第43話

 シャワー後、まだ少し湿っている毛先を拭きあげながら部屋の主へ声を掛ける。

「ハクちゃーん、わたしシャワー上がったよ~」

「うーん」

 部屋の主、いばら はくは脚を抱えながら椅子へ座って、ボンヤリと天井を見つめたまま、曖昧あいまいな返事をしてくる。

「おーい、次使うんでしょ~?」

「うーん」

 残念ながら自分の世界へ浸っているようだった。試しに目の前で手を振ってみても反応はない。わたしはカーペットに腰を下ろし、ハクちゃんをしばし眺める。

 恐らく、今日の練習を反芻はんすうしているのだろう。今は年内最後の学際練習から帰ってきたばかり。ただ、練習中もあまり集中できずにミスが多く、監督役のクラスメイトから何度も注意をされていた。何かを警戒している様ではあったが、その理由を教えて貰えはしない。

「もー、先に髪乾かしちゃうよ。いいのね?」

「んー? うん……」

 ダメだこりゃ。ハクちゃんから背を向け立ち上がろうと腰を上げた時だった。

「ひゃっ!?」

 覆いかぶさる様に背中が重くなる。力が完全に入り切っておらず、脚が正座のまま床に寝そべる形となってしまう。

「ちょっ、ちょっとハクちゃん! わたし達にはまだ早いって!」

 若干の期待を込めた静止で止まることはなく、わたしよりも小さな手が細い指を絡めてくる。首元から感じる興奮した熱量の吐息に、わたしの心臓がドキリと跳ねる。ムードは無かったものの、自分が妄想していた一端が現実になるのだと考えるだけで、鼓動がドンドン早くなってくる。

「……モモカ」

「ハクちゃん……」

「血が欲しい」

「へぇぁ!?」

 期待していた事象でないことで変な声が漏れる。己の勘違いで全身が一気に暑くなってくる。が、それどころではない。

「ハクちゃんまだダメって! クマ姉にも言われたじゃん!」

 まだハクちゃんに吸血の許可はクマ姉から出ておらず、許可なしに吸わせたらわたしも一緒に怒られる。何より、今のハクちゃんは正気ではない。

 静止の為に起き上がろうとするも、腰をがっちりと脚で押さえつけられてしまっている。可能な限り藻掻もがいても姿勢は変わらない。

 エナメル質の刃が首をなぞり、背筋に冷たい汗が流れる。

「やめてよハクちゃん……」

「……」

 ハクちゃんは何も答えない。代わりに、わたしの肌に歯が少しずつ沈んでいく。

「やめてよっ!」

 転がる様に背中のハクちゃんをどうにか振り払う。そのまま離れようとしたけど、脚に力が入らない。

「モモカ……」

「ヒッ……」

 瞳が紅に染まったハクちゃんは覆い被さってくる。わたしよりも小さな体躯なのにパワーがあって、押さえつけられた手首が痛い。

「……っ!」

 パジャマ代わりのシャツがまくり上げられる。ハクちゃんはわたしのお腹をゆっくりと撫で、爪を立てる様に指先の力が強よめていく。

「ゃ……」

 声が出ず、涙が湧き、視界がゆがむ。

「……モモカ?」

 今の光景に思考が追い付かないか、ハクちゃんは目を白黒させている。

「怖かった……」

 涙が決壊してわたしの頬を濡らす。ハクちゃんは自分のやったことに気づいたのか狼狽うろたえ始める。

 それをみて、涙の勢いが増していく。正気に戻ってくれて良かった。



 薄い扉の向こうからシャワーと共にブツブツと声の様な音が聴こえる。あの後ハクちゃんは少し塞ぎ込んで、頭を冷やしてくるとお風呂場へ向かった。

 それから30分経ってもハクちゃんは戻ってこず、いたたまれなくなったわたしはお風呂場へおもむいた。

「いいかなハクちゃん」

 ノックと共に声を掛ける。返事はないが、シャワー音が止まる。わたしは腰を下ろすと、お風呂場の扉に背を預けた。

「さっきすっごく怖かったんだよ」

「ごめん……」

 今にも消えてしまいたい、そんな感情をハクちゃんの声から感じ取れる。

「……今日さ、ハクちゃん一日中変だったよ。観て欲しいからって練習には連れてかれるし、そう言う割に練習に身は入ってないし」

 自主参加者は多かったと言え、小道具係のわたしが、練習に参加する義務はない。

「その……ごめん」

「謝ってばっかりじゃなくて、話をして欲しいん……何かあったんでしょ? わたしに関係することで」

 いつもそうだ。ハクちゃんはわたしに何かがありそうな時、いつも何も話してくれない。数日に1度しかソシャゲのログインはしなくなるし、SNSも使わなくなって、わたしの通知欄は静かなまま。アカネちゃんの時もそうだった。

「それは……言えない」

「わたしが心配だから? それともわたしのことなんてどうでもいいから?」

「違う……っ!」

 お風呂場にガコンと椅子の動く音が響く。

「ごめんね、意地悪言っちゃった……」

 互いに口をつぐむ。1分にも満たない沈黙は、とても長く感じられた。

「……モモカ」 

「何?」

 ハクちゃんは涙声だった。

「ボクは……化け物だ」

「違うよ」

 わたしは即座に否定する。

「違くない! ボクは、モモカを襲ったじゃないか……」

 あの夜、10年ぶりの吸血を行うまで、ハクちゃんは血が嫌いだった。牛乳でさえ口に含めば吐いてしまう程に。これまで嫌悪し、理性で押さえつけていた吸血鬼の本能が、たった1度の吸血で目覚めたのだ。自責の念に駆られるのも当然と言える。

「そんなの! どうでもいい!」

 わたしはお風呂場のドアを勢いよく開ける。

「んなっ、どうでもぉっ!? 何してんだモモカ!!」

 わたしは裸の状態で、ハクちゃんの前で仁王立ちをする。正直ちょっと寒かった。

「わたしは! 怖くない!」

 どちらかというと恥ずかしい。何回か一緒に入浴してるとは言え、どうどうと見せつけるたことはまだ無い。

「ハクちゃんはどう? わたしのこと美味しそうに見える?」

「いや、その、吸血したいとは思わないけど……今は目のやり場に困る」

 ハクちゃんの視線は明後日へ泳いでおり、耳の先が赤く染まっている。

「そう思えるってことは、偶然タガが外れちゃっただけだよ。これからはきっと大丈夫」

 羞恥心を抑え込みながら膝をつき、視線の高さを揃えると、そのままハクちゃんを優しく抱きしめた。

「……ありがとう」

「うん、元気が出たならよかった」

 ハクちゃんからも抱きしめ返される。

「そのー……裸で抱き合うのめっちゃ恥ずかしいんだが」

「実は……わたしも」

 互いに同じタイミングで噴出し、さっきまでの空気が嘘の様に笑い合う。

「なぁモモカ」

「どうしたの~?」

「このまま一緒にお風呂入らないか?」

「ハクちゃんならそういうと思ってた」

 その後、湯船にお湯を満たしながら他愛もないことを喋ったり、体を洗い合ったりして2時間以上の入浴になってしまった。

 お互いにのぼせてフラフラになり、水分を摂った後、ろくに髪も乾かさないままベッドへ潜り込む。

 そして眠る前にハクちゃんが抱き付いて来る。わたしはそれを受け入れて、眠りながら朝まで抱き合った。

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