第33話

 食材を切る包丁の音と2人の会話。通常であればなごんだことだろう。

「これってどう切ればいいんだ? なんか画像みたいにならない」

「こうじゃないですか? あ、ほら出来ましたよ。ちょっといびつですけど……」

「どっちも不慣れだからモモカも気にしないっしょ……多分」

 微笑ほほえましい会話とは真逆の、ダァンと力強い音が扉越しでも聞こえてくる。吸血鬼の身体能力に振り回されるキッチン道具が心配でならない。まな板はまだ良いとしても、包丁は無事であって欲しい。

「あれ? ハクさん、このレシピって……」

「んぇ? うわマジじゃん。どーすっかな……あ、じゃあこうしよう」

「確かに! これならカバーできますね!」

 それ以上に、わたしの心配をした方が良い気がしてきた。吸血鬼の味覚は人間とベクトルが違う。食べれない訳ではないが、吸血鬼の嗜好しこうにわたしはついていけない。

「ギャー! なんか噴火した!」

「とりあえず火止めましょう火!」

 あぁ……。ただでさえ気分が重いというのに、キッチン掃除も視野に入れなければならなくなった。



「……美味しい!」

 口の中に広がるアッサリとした出汁だしに、刻まれた小松菜がアクセントとなって先程まで減退していた食欲が戻り始める。小松菜の卵がゆというシンプルなものではあるが、わたしを満たし始める。

「だろー? 信楽しがらきに教えて貰ったんだそれ」

「へ~、信楽さんから」

 弟さんが居るんだったか。風邪を引いた時に作っているレシピなのかもしれない。

「きっとお弁当とかも自分で作ってるんだろうね~」

「はい、美味しいですよ! たまにうちのお昼も作って貰ってるんです!」

 アカネちゃん……それはどうかと思う。

「アカネ……それはどうかと思う」

「えぇ!? ハクさんだってモモカさんにお弁当作って貰ってるじゃないですか!」

「それはそれだよ~。わたしが好きでやってるんだし」

 自分のことは棚に上げる。というか、ハクちゃんの場合は面倒見ないと何するかわからないのが怖い。毎食エナドリは見てて気分がよろしくない。

「ずるいですよー!」

「フフッ……あ」

 お粥の残りを口へ運ぼうとすると、茶碗が空になっていた。喋っている間に食べ切ってしまったらしい。

「まだ食べるならお代わり持ってくるけど、どうする?」

 ハクちゃんが茶碗を持って立ち上が

「ならさっきの半分くらいでお願い~」

 ハクちゃんのこういう所が好きなのだと、ときめいたのも束の間、チラリと見えたキッチンの惨状さんじょうがわたしを現実に返す。なんでお粥を作るのに寸胴鍋とラクレットチーズが必要なんだろうか。



「それじゃあ、うちはそろそろ帰りますね」

 片づけを終え早々にアカネちゃんが宣言する。もうちょっとゆっくりしてくれてもいいのに。

「おう、気をつけろよー」

「部屋近いんで気を付けるも何もないですよ。また明日学校で」

 手を振りながら視界から外れ、玄関の閉まる音が残る。

「んじゃーボクもそろそろ帰るか」

「……ねぇハクちゃん」

「んー?」

 別に用事もないのに呼び止めてしまう。後に言葉が続かず、溜息をつかれる。

「寝るまでは居るから、そんな泣きそうな顔しないでくれよ」

「えー……そんな顔してた?」

「してたしてた。寂しいなら寂しいって言えばいいじゃんか。その……恋人なんだし」

 付き合い始めて1月以上経つというのに、いまだに恋人と言う際は言葉に詰まる。わたしとしてはもう少し堂々として欲しいが、それもまたハクちゃんの良さだと思う。

「そしたらさ、一緒に寝ようよ~」

「……いいよ。でも寝たら帰るからな」

「やった~」

 いそいそとベッドに潜り込み布団を広げ、ハクちゃんを招き入れる。1人用のベッドでは狭いおかげで密着できる。子供っぽい少し高めの体温がどこか心地よい。

「んー? どうかした~?」

「……何でもない、よ」

 嘘だ、首筋に視線を感じた。きっと血が吸いたいのだろう。アレから1か月近く経過しているし、血の味を思い出して仕方がないんだと思う。わたしが貧血になるから、最低でも2か月は禁止だっけ。吸わせてあげたいけどなぁ……。

「なぁ……モモカ」

 理性と生命を天秤にかけていた所で声を掛けられる。

「……なーに?」

「ぁ……今日の学校でさ」

「う、うん。何かあったの?」

 予想してたのと違う発言が来て少し戸惑う。頼んで来たら吸わせてあげようと思ったのに……。

「知らん内に大役を任される羽目になって、めっちゃ辞退したい」

 確か、今日のLHRで学際の出し物を決める予定だったはず。知らないとなると寝てたのだろうか。

「うちのクラス何やることになったの~?」

「あー……えっと……」

 言いたくないのか、モゾモゾと動いてわたしに丸めた背を向ける。ハクちゃんのお腹に手を回し、抱く様な姿勢を取る。

「教えてよ~」

「……不思議の国のアリス」

 定番ではあるが劇をやることになったようだ。ただ、この不貞腐れ具合からすると……。

「アリス役にでもなった? わたしは可愛いハクちゃんが見たいな~」

「みんなそう言うんだが!? ボクには似合わないって言ってるのに」

 反応的に正解らしい。似合わないことは無いと思い、絵本でよく見る衣装を脳内で着せてみる。うん、可愛い。イメージ的には金髪だが、銀髪のアリスってのもありじゃないだろうか。

「わたしは似合うと思うよ?」

「いやいや、アリスのイメージと違う気がするんだが。そもそも、ボクみたいなチンチクリンにそういう服は似合わないだろ」

 背が小さいからこそ少女チックな服が似合うような……というか、今のハクちゃん的に可愛い恰好が似合わないとは思えない。

 以前とは違いツヤの出てきた肌、肉付きの良くなってきた頬、だいぶ薄れてきた目元のくま。顔立ちが整っていることもあり、美少女と呼んで差し支えない見た目になってきている。主役に選ばれない道理はないだろう。

「ハクちゃんは嫌? 可愛いって言われるの」

「嫌って訳じゃないけど……自信はない」

「なら自信持ってよ。昔からハクちゃんは可愛いよ」

「ん……」

 背を軽くらし、わたしへ密着するように頭を寄せてくる。髪から香るハクちゃんの匂いが、安心を与えてくれる。

「ありがとうモモカ」

 その言葉を聞いてすぐ、わたしの意識は眠りへといざなわれた。



 目が覚めると、時計の針は12時を過ぎを指している。宣言通り、ハクちゃんは帰ってしまった様だった。

 水でも飲もうと立ち上がると、ガラステーブルにハクちゃんの文字でメモが置いてある。

『冷蔵庫にスポーツドリンク入れてある。水分はシッカリ摂れよ。明日はボクが迎えに行くから、それまでゆっくりしとけよー』

 手書きの文字に、何故だかたまらなく愛おしくなり、一粒の涙が頬を伝る。

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