第24話

「わたしの血、吸ってよ」

 そんなモモカの提案に、戸惑いと恐怖がおそう。自分の心音が脳に響き渡る。

 モモカからの吸血、それはとても蠱惑的こわくてきであり同時に恐ろしい。

「それは……」

 血は苦手だ。見るのも味わうのも嫌だ。最近は毎日服用しているとはいえ、血液カプセルだって可能なら飲みたくない。

 でも、吸血衝動は定期的におとずれる。その度に恐怖の感情がき上がり吸血衝動が萎縮いしゅくしていく。

「……ハクちゃんはどうしたい?」

「ボクは……」

 理性と本能を載せた天秤は、とても不安定だ。普段なら理性へかたむくはずのそれは、今均衡きんこうたもっている。

 言葉に詰まるボクを見かねたのか、モモカは羽織はおっていた制服を脱ぎ出した。

「ちょっ!?  何してんだよ!?」

 動転するボクを無視して、モモカはYシャツのボタンを外す。衣擦きぬずれ音が本能にうったえかけてくる。

 左肩を露出すると、指を震わせながら首と肩の間を円状になぞる。

「……ここだよ」

 理性を押し退け、吸血鬼本能が牙を出す。モモカの肩をつかみ、床に強く押し倒す。

「ヒッ……」

 牙が柔肌やわはだつらぬく寸前、小さくおびえる声で踏みとどまる。自分の荒い吐息がひど耳障みみざわりだ。

「……やっぱり無理だよ」

 病室でしたキスとは違う、種としての行動へボクは踏み切れない。

「ハクちゃんの意気地いくじなし」

「ごめん……」

 ただ謝ることしかできず、葛藤かっとうだけがボクの中でうず巻いていく。

 突如とつじょ鳴る軽快な着信音が、重たい空気を吹き飛ばす。

「誰だよこんな時に……って葉瀬はせ!?」

 あわてて電話を取る。いつもはメッセージなのに、電話かけてくるのは珍しい。

「もしもし? 葉瀬、急にどうしたんだよ」

『あー、お久しぶりですはく様。ちょっと話したいことがありまして』

 会話が気になるのか、視界の端でモモカがこちらをうかがってくる。しゃーないな。スピーカホンに変更してベッドの上へスマホを移す。

「話したいことってなんだよ。しばらく連絡取れなかったし」

『いやー申し訳ありません。ちょっと死にかけてしまいまして』

「「は!?」」

 モモカと二人して驚愕きょうがくする。いやお前そんなノリで言うもんじゃないからな。

『もうとうげは越えたのでご心配なく。ただその……以前の様にお手伝いは難しいかと』

「……何があった?」

『そのぉ……』

 急に歯切れが悪くなる。勿体もったいぶらずさっさと言って欲しいんだが。

『珀様が逃げるの手伝ったじゃないですか……それが理由で捕まりまして』

「ハクちゃん?」

 やっべぇ何もいえねぇ。ボクのせいじゃんか。どう責任取ろう……。

『気に病まないでください珀様。私は覚悟してましたし、うらんだりとかしませんよ』

「葉瀬……」

『あ、でも、助かった命は大切にしたいと思います。まだまだ珀様と研究したいこと沢山ありますし』

 そんな葉瀬の言葉に目頭が熱くなってくる。

『珀様、申し訳ございませんでした。大人という、あなたを守る立場なのに……ごめんなさい、ここで失礼します』

「あ、ちょっと葉瀬!」

 最後は涙声になりながら通話が切られる。勝手に対等とか思ってたけど、ボクのことそんな風に考えてくれてたんだな。ならボクのやることは一つ。

「……覚悟決まった?」

「あぁ……ごめんな、自分で進めなくて」

「いいよ~。最後はハクちゃんの為になるし」

 先程とは違い、ベッドに優しくモモカを押し倒すと、モモカの首筋へ牙を突き立てる。皮を破り、肉を裂く感触が犬歯から伝わる。ジワリと染み出した液体が、舌先を甘美かんびへといざなう。トラウマだったのが嘘みたいに自分の体に馴染んでいく。

「あっ……んっ!」

 理性のかせは外さずに、より歯を食い込ませることで、果実のごとうるおいが蜜となってあふれ出る。甘く瑞々みずみずしく、なんて美味しいんだろう。

「ハクちゃ……もう……んっ!」

 満たされた口内を空にすると、ごくりと喉が鳴った。蜜壷みつつぼとなった傷口と、漏れ出る嬌声きょうせいが、本能をたかぶらせる。むさぼる様に唇をわせ、一滴も残さぬ様に舐めつくす。

「もう限か……あっ! ダメ……っ!」

 何度か背中を叩かれ我に返る。ヤバイ吸血し過ぎた。

「ご、ごめん! 大丈夫!?」

「はぁ……はぁ……止まって、良かった……」

 モモカの顔は真っ赤に火照ほてり、荒い吐息にどこかなまめかしさを感じる。全身から力が抜け、どこか弛緩しかんした様子だった。息も絶え絶えなモモカに思わず喉が鳴る。

「ハクちゃんのえっち」

「んなっ!? しょうがないだろ! 吸血鬼ってそういうもんなんだから!」

 吸血時、対象の死を防ぐ為に唾液から痛覚を和らげる成分が出てるんだとか。効能としてはその……媚薬の様な感じらしい。こうなるとは思ってなったけど。

「それでどう? 調子の方は」

 深呼吸し、血の流れを意識する。頭のてっぺんから指の先まで。心臓の鼓動に力強さを感じる。

「うん……今まで以上だ」

「それは良かった。……いってらっしゃい」

 優しく微笑ほほえむと、そのままモモカは眠ってしまう。ありがとう。

「いってきます」



「おう、おめっとさん」

 家から出ると、クマ姉から祝福される。もしかしてだけど……。

「あー……外まで聞こえてた?」

「バッチリな。一回で吸い過ぎなんだよ馬鹿が」

「仕方ないだろ!? 加減とか覚えてないんだから!」

 人生で2回目の吸血だし、10年のブランクがある吸血鬼に無茶をいうな。

「次は気を付けるこったな。んじゃ、行ってこい。守っててやっから」

「うん、ありがとうクマ姉」

 夜がけても星の見えない夜空を眺める。これならバレること無いだろ。その前にだ。

 頭に血の流れを集中させ、成長するイメージを脳内で組み上げる。ふむ、こんなもんか。頭の重さで髪の長さを測る。

「待ってろよアカネ、助けてやるから」

 廊下の塀に右足を掛け、力を込める。壊れない程度に跳び上がり、ボクは宙を舞った。




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