第16話

 お母さんと公園を散歩している時だった。砂場で1人の女の子が遊んでいる。けれど周りに大人の姿はない。お母さんの方を振り向く。

「えぇ、行ってらっしゃい」

 お母さんはわたしの意図いとを組んでくれたようだった。走ってその子の元へ向かう。

「ねぇ、なにしてるの?」

「おとうさんとおかあさんをまってるの」

 女の子はこちらを見ようともしない。

「おかいものにいったの?」

「わかんない、まってなさいって」

 なんだかその子が可哀かわいそうに思えてしまう。

「ねぇ、わたしといっしょにあそぼうよ」

「だめ! おこられちゃうもん」

 悲しそうな顔で女の子は振り向くが、わたしを見て笑顔になる。

「そのかみ、おひめさまみたい!」

「えへへ、すごいでしょ!」

「うん! さわっていい?」

「やっ!」

 砂だらけの手で髪に触られるのが嫌で、つい振り払ってしまう。

「きゃっ!」

 砂場だから良かったものの、女の子は倒れこんでしまう。

「こらっ! 手出しちゃダメでしょはく!」

「ごめんなさい、おかあさん……」

 車椅子でゆっくりとお母さんが近づいて来る。すごい怒っている。

「謝るのはお母さんじゃないでしょ。君、大丈夫?」

「ちょっといたいけど……へいき」

 今にも泣きそうな表情で座り込んでいる女の子。服が砂だらけになってしまっている。わたしはその子の前に座り込む。

「つきとばしてごめんなさい。けがしてない?」

「うん。モモカじょうぶだから、けがしないよ」

 両手を広げ、元気いっぱいとアピールするモモカちゃん。

「モモカちゃん。おようふく、よごしちゃってごめんなさい」

「だいじょうぶ。おひめさまも、ドレスすなだらけだよ」

 お姫様、そうかわたしのことか。

「わたし、おひめさまじゃなくてハクだよ」

「ならハクちゃん、いっしょにあそぼ!」

「うん!」



「珀~お母さんそろそろ寒いな~」

 あれから2時間、モモカちゃんの両親が戻って来る気配はなかった。

「そろそろわたし、かえらなきゃ」

「ハクちゃんもういっちゃうの?」

 楽しそうにしていた顔が一瞬で悲しいものに変わる。

「もうゆうがただし……おかあさんまってるから」

 タイミングを見計らかったかのように、夕方のチャイムが鳴る。モモカちゃんはよりいっそう悲しそうな顔をする。

 それを見たお母さんが助け舟を出してくれる。

「ねぇモモカちゃん。お父さんとお母さんはいつから買い物に行ったの?」

「えっと……おひるごはんたべてから、モモカここでまってる」

 お母さんの表情が強張こわばっていく。スマートフォンを取り出すと、どこかに連絡し始めた。お母さんのあの表情、今まで見たことない。

「どうしたんだろうね、ハクちゃんのおかあさん」

「わかんない。わたしもはじめて」

 5分程の電話を終えると、おかあさんはこちらへ向き直る。

「モモカちゃん、しばらくの間うちにまらない? お父さんとお母さんが迎えに来るまで居て良いから」

「ほんとう!? モモカ、ハクちゃんといっしょがいい!」

「わたしも! モモカちゃんといっしょがいい!」

 2人して喜び合う、砂だらけの手で握り合って。

「はぁ……どうしてこんないい子を置いていけるのよ」

 ボソリとお母さんがらした言葉は、わたし達は耳に入らない。



 モモカちゃんが家に来てから数日が経った。

「ハクちゃん! おひめさまごっこしよう! ハクちゃんがおひめさまで!」

「モモカちゃんはなんのやく?」

 わたしとおそろいの服を着たモモカちゃん、今日も一緒に遊んでいる。

「えっとー、モモカは……どうしよ」

「じゃあいっしょにおひめさまやろうよ! ふたりともおひめさま!」

「えーハクちゃんのがおひめさまっぽいよ」

「なら、わたしはきゅーけつきのおひめさまで、モモカちゃんはにんげんのおひめさま!」

 モモカちゃんにはわたしが吸血鬼ということは話してある。食事に血を飲んでいたら誤魔化ごまかしようがないからだ。

 2人でお姫様ごっこをしていると声がかかる。

「おや珀、そっちの子は友達かな?」

「うん、お父さん! この子はモモカちゃん!」

 お父さんはニコニコとした表情でモモカちゃんを見つめる。

「そうか、君が。ご両親が君を探していたそうだよ」

「ほんとう!?」

「あぁ、本当だとも。きっとすぐに会えるよ」

 そういってお父さんはモモカちゃんの頭をでる。

「そうそう、今日は特訓の日だから、夕飯の後にね」

 忘れないようにと念押しし、お父さんは去っていった。

「とっくんこわいなぁ」

「こわい?」

「うん、いつもくらいへやでやるの」

 特訓部屋と呼んでいるうす暗い部屋を思い出す。コンクリートの壁で覆われた、血の匂いがただよう部屋。怖いしあまんりいい気分ではない。

「ならやくそくしよ、ハクちゃん!」

「やくそく?」

「うん! とっくんおわったら、ピクニックいこう!」

 お父さんとお母さんも一緒に、というモモカちゃん。きっと楽しいピクニックになる。

「ハクちゃん、ゆびきりしよー」

 モモカちゃんは薬指を差し出し、にこやかに笑う。わたしが薬指を絡ませると、モモカちゃんが歌いだす。

「ゆーびきりげんまん、がんばったらピクニックいーく!」

「「ゆびきった!」」

 最後はわたしも声を合わせる。なんだかおかしく感じて、2人で笑いあってしまった。



 夕飯後、特訓部屋までやってきた。家の奥にあるこの部屋は、来るだけでも少し疲れてしまう。もう少し狭い家が良いな。

「お父さん来たよー」

 わたしの身長よりはるかに大きい扉が、ちょっと引っ張るだけで簡単に開く。きっと吸血鬼の力が強くなっているのだとほこらしくなる。

「待ってたよ珀。今日の特訓は……これだ」

 お父さんは部屋の中央に視線を移す。その先には、目と口がふさがれた男女2人が椅子に座っている。

「このひとたちでとっくん?」

「あぁ。今日は珀に、この人間達から吸血して貰う。好きなだけ吸っていい」

 薄暗い部屋と相まって、今日のお父さんがすごく不気味に感じる。帰りたい。

「ねぇおとうさん、わたしk「駄目だ。血を吸うまでこの部屋から出さない」」

 体全体がブルリと震える。指先が冷たくなっていくのを感じる。

 怖い。お父さんもだが血を吸うという行為に、恐怖を感じる。

「大丈夫だよ珀。誰だって初めての吸血はそういうものだ。怖がる必要はない。ほら、首の横に噛み付くんだ」

「う、うん……」

 心臓がバクバクと鳴り続ける。ゆっくりと女性のひざへ座り、恐る恐る首元の皮膚を犬歯で喰い破る。

 舌先にいつもと違う血を感じる。美味しい、求めるように吸い出すと、口内が血で満たされる。甘く瑞々みずみずしいそれは、わたしの気分を高揚こうようさせ、後に引く鉄分の味が吸血鬼の本能を刺激しげきした。

 えぐる様に噛み付くと、血の出る量が一気に増す。

「~~~~”!」

 女性が何か叫んでいる。うるさいなぁ。先程よりも深く噛み付くと、肉が千切れ、吸血の邪魔をしてくる。これらない。

 女性から声にならない悲鳴が聞こえる。そのわめいているのがとても耳障りに感じた。

「しずかにしてよ」

 わたし今、真剣なんだから。今までで一番大きく口を開け、喉元を噛み砕く。ボトリと血肉がこぼれ落ちる。あぁ、勿体もったいない。

 でもこれで、吸血に集中できる。なんて楽しいんだろう。ずっと吸っていたい。

「あはっ」

 自然に笑いが零れる。これが吸血鬼と言わんばかりに。

 しばらくすると、女性の体が冷たくなっていく。それにつれ、血も不味まずくなっていく。そういえば、まだもう1人居たっけ。ならそっちにしよう。

 男性の膝に座ると、振り落とそうと暴れ始めた。くさりがじゃらじゃらと大きな音を立てている。

「こんなじかんに、きんじょのひとにめいわくでしょ!」

 普段、お母さんから言われている注意と一緒に、男性の腕を叩く。ボキリと音がすると、暴れなくはなったが、叫びだした。もー、煩いなー。

 女性と同じく喉元へ噛み付くと、静かになった。これで静かに血が吸える。

「うーん、さっきのがおいしい」

 変な雑味と臭さがある。いつもご飯の時に飲んでるものと比べたら、格別においしいのは間違いない。でもさっきのが美味しかったなー。

「珀、そろそろ特訓の時間は終わりだよ。お風呂に入ってきなさい」

 お父さんに声をけられてハッとする。そうだ、今日はモモカちゃんと一緒にお風呂に入ろうと思ってたんだ。

「おふろいってきます!」

「あぁ、行ってらっしゃい。ちゃんと体を洗うんだよ」

「うん!」

 そのまま走って特訓部屋を後にする。モモカちゃんの所に行かなきゃ。


「モモカちゃーん! おふろいこー!」

 モモカちゃんの居る部屋に突撃する。

「おかえりハクちゃn……ヒッ!」

 一瞬でモモカちゃんの顔が強張り、部屋のすみに逃げていく。どうしたんだろう。

「こないで!!」

 泣きながらクッションを投げつけられる。なんか悪いことでもしてしまったのだろうか。

 ふと、姿見すがたみが視界に入る。全身が血に染まり、歯には肉のようなものがはさまっている。鏡に映る怪物のようなそれは、間違いなくわたしだった。

「あ、ぁ……ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ああああああああ!!!!!!!」

 叫び、部屋から飛び出す。わたしがやったことへの恐怖、わたしが吸血鬼だという恐怖、わたしの見た目への恐怖、なによりも友達を傷つけてしまった恐怖。

 わたし自身が、人間とは違う怪物なのだと自覚してしまう。

 どうしたらいいのかわからなくなり、広い家の中を駆ける。ただ行先はハッキリしていた。

「おかあさん……おかあさん!」

 お母さんならきっと助けてくれる。そう思ってお母さんの部屋まで来る。扉に手を駆けようとした瞬間、部屋の中から声が聞こえる。

「あなた正気なの!?」

「正気だとも。これも始祖様に繋がるための第一歩だ」

 お父さんとお母さんの声だ。

「それがあなたの目的だとしても、物事の分別はつけるべきでしょう! 珀だけじゃなくて、モモカちゃんが可哀そうだと思わないの!?」

 なんでモモカちゃんの話をしているんだろう。

「あの子も吸血させればいい。ご両親と同じ様に」

「ふざけないで!!」

 パァンと何かを叩く音が聞こえるが、それよりも別のことが気になる。今日、わたしは誰の血を吸った?

「ご両親を吸いつくしたくらいだ。吸血鬼としての本能がまされば、珀もわからないと思うよ」

 全身を嫌な汗をかく。わたしが吸ったのは……。

「うゎああああああああああ!!」

 感情と共に涙があふれてくる。血の混じった涙が床をらしていく。もう嫌だ。自然と駆け出していた。

「珀!? そこにいるの!?」

 お母さんがわたしを呼んだが、今ここに居たくない。

「もうやだぁ!」

 泣きながら来た道を戻る。さっきと同じ距離のはずなのに、酷く長く感じる。

 目的地へ着く。グシャグシャの顔になりながら扉を開ける。

「ハ、ハクちゃん!? ごめんね、モモカがクッションなげたから……」

 違う、違うんだよ。モモカちゃんは何も悪くない。悪いのは全部わたしだ。涙目ながらも、なぐめてくれるモモカちゃんに、わたしは嗚咽おえつを返す。

「ごめんなざい……ごめんなざい」

 何とか口にした謝罪は、それ以上の言葉をつむぐことができなかった。

 決して許して貰おうとは思わない。ただ、あの時のボクは謝ることしかできなかった。あぁ、そうか。これは昔の記憶だ。初めて吸血した日の記憶、これ以上吸血をしないと決めた日の記憶。

 あの後、結局どうなったんだっけ。思い出そうとすると、記憶にもやがかかる。

 なんにせよ、これ以上モモカを悲しませる訳にはいかないな。そろそろ起きなきゃ。

「ん……また知らない天井か」

 意識を失う前と違うのは、拘束もされてなければ、周囲が病室の様に見える所。後手にめっちゃチューブついてる。

「手足も無事だし……まぁいっか」

 意識が戻ったことを伝える為にナースコールを鳴らす。どうせまた数日寝てたとかだろうし。モモカに会ったら謝らないと、迷惑かけてごめんって。

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