第15話

 話し声が聞こえてくる。いつの間に私は寝ていたのだろう。

「だから! 教室に帰らせてくださいって!」

「少しだけでいてくれりゃいいんだって。大事な電話があんだよ」

「百合に挟まる男は不要なんです! 俺はその罪を犯してしまった!」

 世迷言よまいごとが聞こえる。会話相手は久間先生だろうか。となると、ここは保健室のベッドか。

「む、てめぇがでけー声出すから、起きちまったじゃねぇか。んじゃ看病かんびょうよろしくな。担任の先生にゃ話ておくからよ」

「ちょっと久間先生! ぐっ……あーそのー、体調は大丈夫でしょうか津名つなさん」

 まだぼんやりとしたまなこで男子を見つける。もしかして、わたしを助けてくれた人か。意識を失う前の出来事を思い出し、自己嫌悪じこけんおする。

「うーん、大丈夫~。ありがとうございました」

 上半身を起こし、礼をする。それにしても、この男子なんだか見覚えがあるよな。

「無事ならいいんだ……その津名さん、この前はすまなかった」

 感謝を伝えたら謝罪されるとはこれ如何いかに。あ、思い出した。

「下駄箱男子くんか。本当は嫌だけど、ハクちゃんに謝ったんでしょ? だからいいよ~」

 正直存在を忘れていたのだが、ハクちゃんが許しているし、助けられた上に謝罪してきた。これで許さないと言うのは、意固地いこじが過ぎる。

「下駄箱……俺の名は宗像むなかたです。いばらにも同じこと言われましたよ」

「へ~ハクちゃんも同じよb……ねぇなんで今ハクちゃんにさん付けしなかったの?」

 聞き逃しはしない。ハクちゃんのこと、勝手に苗字呼びしていいと思ってるのかな。

「へっあ!? いやその、荊……さんと和解した時に、付けなくていいと言われたので」

「なんだ~ならいいよ」

 下駄箱……ではなく、宗像くんを睨みつけるのをやめた。

「こ、怖かった……」

 小声で何か言ってるが、聞かなかったことにしておこう。

「と、ところで津名さん。今日はなんで荊と一緒じゃなかったんだ?」

 思考の隅に追いやっていた現実を思い出し、悲しくなる。

「あー……言えないなら、無理に言わなくてもいいんだけど」

 顔に現れていたのか宗像くんは察してくれた。でも、隠す程のことでもない。

「えっと、一昨日からハクちゃんと連絡が取れなくて。今日も休みっぽいし……」

「連絡が取れない……それって行方不明とかじゃないのか? 警察に連絡した方が」

 そうか、普通はこういう発想になるのか。うーん、どこまで説明したものか。

「家の都合で連絡が取れてねぇんだよ、荊は。警察ってのはだいぶ過剰になる」

「あぁ、そういうことですか。用事は終わりましたか久間先生」

 困った時の久間先生、ありがとう。タイミングを計ったかのように戻ってきた先生に、アイコンタクトで礼をする。

「おう、宗像も教室戻っていいぞ。すまんな引き留めて」

「いえいえ、でもこれ以上は巻き込まないでくださいね! 俺は壁となって外から見てたいんです!」

 なんとなく、ハクちゃんが許した理由が分かった気がする。荒唐無稽こうとうむけいな自己主張の後に、宗像くんは教室へ去っていった。

「さて……連絡の取れなかったハクが見つかった。だが結構マズイ」

 苗字ではなく名前で呼ぶ。つまり今は教師ではなく、吸血鬼の立場で話す。ハクちゃんにそれ程よくないことがあった証拠しょうこだ。

「無事……なんだよね。教えてクマ姉!」

 久間先生の腕につかみかかる。心臓が素早く鼓動こどうし、全身に嫌な汗をかき始める。わたしは、昔の呼び方になる程、冷静さを欠いていた。

「……お互い落ち着こう。ハクが無事なことは確かだ。ただ、かなり血を使ったらしく、相当弱ってる」

 非常にまずい、どうにか血を供給きょうきゅうしないと。

「それにな……」

「それに?」

「髪を切られた」

 絶句した。血のコントロールが未熟なハクちゃんは、このままなら消滅してもおかしくない。わざわざそんなことをするとしたら、あの人しかいない。

「先生……わたし一昨日、八雲やくもさんと会いました」

「本当か!? クソッ! そこまですんのかよ。モモカ、早退しても問題ないな!」

 コクリとうなずき、ベッドから離れる。今すぐにでもハクちゃんの元へ行かなければ。

「タクシー呼ぶから校門で待ってろ。早退手続きはこっちでやる」

「病院って大堂寺だいどうじ先生の所?」

「だと楽だったんだがな。……こくさんと同じ所だ」

 琥さん……ハクちゃんのお母さんだ。長期入院中の彼女と同じ病院に運ばれる。それはハクちゃんの深刻さを物語っていた。

 あぁ、アカネちゃんに、今日のお昼一緒に食べれないって連絡しないと。



致命的ちめいてきに血が足りてません。むしろ、今までこの状態で動けていたのが謎です」

 わたしもそう思う。わざと血液カプセルを飲まないって、普通の吸血鬼ならあり得ないって聞くし。

「んで、どのくらい必要なんだ。用意できる血にゃ限度あんぞ」

「そうですね……だいたい人間1人分でしょうか」

 わたしを吟味ぎんみするように視線を送る医者。わたしの命1つでハクちゃんが救えるなら安い。

「はぁ!? ふざけてんじゃねぇぞ! どっちかの命、犠牲ぎせいにしろってか!」

「そ、そんなこと言われましても! 我々にはく様のデータはありませんから……」

 ハクちゃんの主治医は大堂寺先生だし、この病院にデータがないのは当たり前だ。

「落ち着いてよ久間先生。わたしはハクちゃんが救えればいいよ」

「なんでお前は落ち着けるんだよ……はぁ。どっちも助かるでいいじゃねぇか……」

 と言われても、わたしはハクちゃんが救えるならそれでいいし。……ハクちゃんと会えなくなるのは悲しくなるけれど。

「……わかりました。事態は緊急をようしますが、大堂寺先生の状況判断をあおぎます」

 あきれた顔で溜息ためいきをつく医者。彼も吸血鬼の様だし、久間先生の天秤てんびんが変わっていると思っているに違いない。吸血鬼と人間えさが同列なんて、普通は考えないのだろう。

「ですが、これ以上が無理だと判断したら、構いませんね?」

「はい、大丈夫です。いくらでも使ってください」

 昔とは違い、わたし自身を差し出す覚悟はもうできている。

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