第4話 あいるびーばっく
※ 鷹元月乃 ※
「じゃ、行ってきます」
玄関でパンプスを履いて、祈と向き合い私は声を掛ける。見送りにここまで来てくれた祈に、御座なりな態度は取りたくないから。ちゃんと目を見て。
「……ん」
祈は『いってらっしゃい』を言ってくれない。いや、正しくは『言えない』。
だから、その代わりに私は宣言する。毎朝。だけでなく、別々に出かけなければならない時には毎回。
「私
「ん、信じてる」
大仰な返事だ。とは思わない。祈の精一杯の言葉だ。その必死な言葉に、心が引き締まる。『無事』である、という事は決して当たり前ではないのだと。
けれど目の前に居る『私だけの可愛い子』がその身に纏う緊張を、ほぐしてやりたいとも思う。笑ってくれるだろうか。
「あいるびーばっく」
「しっかりしろよ英語教師」
祈はナマイキな事を言っているけれど、自分が涙を流している事さえ気が付いていない。体質かも知れないけれど、自分の脆さを自覚していないのだろう。
それでも私のヘタクソな『にほんご英語』に目じりを下げて笑ってくれた。
……ヤバイ。可愛い……もう一度ベッドルームへ行こうかしら。
さすがにダメよね。だから。
「生意気な事を言う口はこうよ」
なんて言って。私は祈の唇を塞いで、しっかりと貪ってから言い直す。有名私立進学校、星辰学院高等部の英語教師の名にかけて!
「I'll be back.」
「I'm gonna wait, My love. 」
「……まって。ちょっとまって。ちゃんと返事してもらえると思ってなかったわ。私、張り切っちゃってて、恥ずかしいんだけど」
「ターミネーターの印象しかないセリフだもんね」
「サムズアップだってしちゃうから」
ウィンクしながら立てた親指を見て、祈は楽しそうに笑ってくれた。その眼に残った涙をサムズアップした親指の先で払ってあげる。祈は少し驚いたような顔をしたけれど、嬉しそうだ。
でも、ちょっと納得できない。祈は『My love. 』なんて言ってくれたのに、私は映画のセリフでイキってるだけとか。
「ねぇ、やり直しを要求するわ」
「ん、どうぞ」
祈の微笑みが優しくて。祈の『ん』って言い方が可愛くて大好きで。そんなつもりじゃ無かったけれど、言葉に感情が過剰なほど乗ってしまう。
「Love you,darling. 」
頬が熱くなっているのがわかる。
照れ隠しに『帰ってくる。なんて、恋人同士なんだから、これでいいわよね』って付け加えて言ってみると、祈も顔を真っ赤にさせて、また涙ぐんでしまって。
この子むっちゃ可愛いんだけど……やっぱり大きくなっても『私の祈くん』は最高に可愛い。
泣き虫なエルフがいたらきっとこんな感じ。
祈が『ぎゅっ』て強く抱きしめてくれる。幸せだ。私よりも背が高くなって、力も強くなって。可愛い子ちゃんだった祈くんがちゃんと男になってる。
そっと背中に手を回して、きゅっと私の方に抱き寄せる。
祈の全身から『嬉しい』って声が聴こえてきそう。
それから私の首筋にキスしてくれて。
「メイク。とっても綺麗だから、今はこっち。崩すのはまた夜にしよ?」
首から唇を離さないで喋るものだから、もぞもぞって気持ち良くなってしまいそうで。……いいえ、誤魔化さない。気持ちいい。
それに夜の話までするなんて。蕩けてしまいそう。こんなの濡れてしまう。
我慢してたけれど、呼吸が吐息になって甘い喘ぎが混ざってしまう。
「……ぁ……っん」
それが合図のように、祈は私の首から離れていった。安堵と不満が一度にやってくる。わがままで面倒臭い女だと、自分でも思う。
「ごめん。夢中になってた。キスマークは付けてないから」
「……ん。わかる。心配してない」
そう言って、私は両手で祈の胸を押して、距離を取る。
祈の瞳は少しだけ潤んでいたけれど、涙になって零れていない。色っぽい濡れた瞳が私を見てる。私を捕らえてる。
コレ、私が困るヤツだ。油断したら『抱いて』って言ってしまうヤツ。こんなタイミングでなければ、と悔やまれる。
私が押し退けたみたいにしてしまった事は、祈も嫌な感じには受け止めていないみたいで安心した。
「ここで遅れると、せっかく祈が頑張って時短してくれたのに悪いわ」
「うん、そうだね。入学式に先生が遅れたらダメだよね。俺も代表補佐で出席するから、すぐ追いかけるよ」
「ええ、祈の雄姿を楽しみにしてる。職員席からバッチリ見てるからね」
「去年してもらった事のマネでいいんだから気は楽だよ」
「流石ね。頼もしいわ。じゃ、また後で。学校で会いましょう」
「うん」
玄関のドアを開けて、ギリギリまで祈の顔を見ながらヒラヒラと手を振る。
少し悲しそうに笑いながら、祈も手を振ってくれる。
私の体が完全に外に出て、ドアの締まる音が……聞こえない。
『マンション』の上に『タワー』という文字が付いてしまう
私はいつものように振り返る。毎朝そうだから。
そこにはドアの隙間から、祈が顔をのぞかせて、小さく手を振っている。
今朝の祈はナイトガウンのままだからか、いつもより開いている隙間が狭い。そういう恥ずかしがりなところも、可愛い。
どのタイミングで振り返っても、いつでも手を振ってくれている。
私が見えなくなるまで、私が振り返って見ていなくても。祈はずっとそうしてくれている。
『なによ!祈のこの健気な可愛さは!』
私は毎朝、そう叫びたくなることを我慢して、何度も振り返って祈の姿を見る。手を振り返す。
廊下を曲がって、姿が見えなくなるまでずっと。
私はエレベーターホールで階下に降りる下向き矢印のボタンを押す。ここにはその一つしかない。この階より上は二つしか無くて、普通の方法では上がれない様になっていると聞いた。
エレベーターを待っている時間。それなりに待たされるものだから、どうしたって祈を思い出してしまう。
さっき離れたばかりなのに、もう祈に会いたくなっている。
「はぁ……」
祈の事しか頭に浮かばないから、恋煩いのような溜息だって出てしまう。
──私の恋人は最高に可愛い。
私だけの祈。
祈には私だけを見ていて欲しい。
そのために私は未成年との
時折、軽率に祈に近付く子達が居る。
私と同じ度胸も覚悟も無いくせに、今更欲しいって言っても誰にも渡してあげない。
でもね。
もしも、祈が私よりも他の子の方が良いって思ったら……その時はちゃんと言って欲しい。
祈の幸せな姿を見届ける事が出来たなら、私は静かに消えるから。
嘘。
そんなの絶対無理。
祈。あなたはずっと私だけの祈なんだから。
それを忘れたりしちゃ、ダメだから。わかってるよね?祈。
ね?
そう《ショタ》じゃなくなった俺が大好きなお姉ちゃんのために出来る事って何だろう? ほにょむ @Lusuz
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます