第3話 お姉ちゃんに……



「わぁ……!」


 シャワールームから出てきた月乃はタオルで髪を雑にゴシゴシしながら、大きめの声で呟くように言った。

 俺は『ダメ、髪が痛む』とタオルを取り上げて、月乃をパウダールームの鏡の前に座らせる。


 ドレッサーに置いた今日の朝食。こういう所で食事っていうのはあまり好きじゃないけど、今日は仕方ない。


「シャワー浴びてる間にこんなに出来たの⁈祈が成長してる!」

「大げさだよ。月乃を起こす前にサラダとミネストローネは作っておいたから。生地を焼いて包んだだけ」

「大げさじゃないし、だけって事も無いでしょ。凄いわ」


 確かに実際には『だけ』って事は無い。でも苦労や努力を自慢して承認欲求を満たしたいとは思わない。月乃が食べて『美味しい』って言ってくれたら、それでいい。


「コレなら髪を乾かしながらでも食べられると思って。喜んでもらえたなら、良かった」

 小さめのグラスによく冷えたオレンジジュースそっと置く。ついでに熱いブラックのコーヒーも。食後に飲みたがるから、今のうちに。


「私、祈のクレープ好きなの♪」

「ん、知ってる。あ、でも今朝はサラダのクレープがメインだからね」


 お店で売ってるような大きさのモノではなくて、小さめのサイズで。食べやすさを最優先にして。


「そっちも好きだから嬉しいわ。それに、ちゃんと甘いのも作ってくれているじゃない。祈、大好き」

「っ……うん……俺もお姉ちゃんが大好き。大好きだから頑張れる……」

「ん?なんて言ったの?ちゃんと聞こえなかったわ」

「絶対嘘だぁ。ギリギリ聞こえるようにブレス多めで、あざとかわいく言ったもん」


『あはは』と楽しそうに笑う月乃の髪をマイクロファイバーのタオルで水気を吸い取る。丁寧に指先で優しく。タオルで挟んで『トントン』ってふわりと叩いたりもして。摩擦は出来るだけ少なくして。




 月乃の髪は美しい。


 ほんの少しだけ、ガサツなところのある月乃では、この美しさは維持できないだろう。だから俺がこの長く見事な黒髪を守る。


 俺の大切な宝物だから。他人が聞いたら『キメぇ』とか言われそうだけど、知るもんか。


 鏡に映る月乃は嬉しそうだ。幸せそうだ。それだけが俺の大事なものだ。


 タオルドライを終えて、ヘアミルクをよく馴染ませてからドライヤーをあてる。隙間に空気を含ませるように軽く。当てすぎない様に。程よく。



「はぁ……クレープは当たり前みたいに美味しいし、ミネストローネもさぁ、コレ最高なんだけど」


「味には自信があるよ。あと月乃、猫舌だからね。飲みやすいでしょ?」


 食べ物なんて熱いものは熱く出すのが俺は良いと思っているけれど、こんな時間のない時には飲みやすい温さでも良いかなって思って。


『もぐもぐこくこく』なんて喉を鳴らしながら、春キャベツたっぷりのミネストローネを味わってくれる。そんな月乃の姿だけでも、俺にとっては最高のご褒美だ。


「……何もかも分かられてるって、女にしてみれば結構恥ずかしいものなのよ?」

「そんなのお互い様でしょ?俺の事、俺以上に知ってるくせに」

「……」

「どうかした?」


 黙ってしまった月乃が優しい顔でなにか恥ずかしそうにしていて。俺はそれを微笑みで返す。


「別に。なんでもない。祈と一緒なんだなって思っただけよ」

「ん」


 乾いた髪にヘアオイルを塗りながら、俺は短く返事して。月乃はそれをとても嬉しそうに受け取ってくれた。

 

「祈に髪をしてもらえるの、気持ちいいわ。最高の朝ね」

「時間はギリギリだけど」


 ギリギリでも間に合う目途が立って良かったって思う。月乃に余計な苦労は掛けさせたくないから。


「その事で、一つわかった事があるの。聞いてくれる?」


 朝ご飯を食べ終わって、猫舌には適温の温くなったコーヒーを飲みほした月乃が、急に真面目な顔で鏡越しに俺の眼をじっと見てくる。


 にわかに不安になる。揺るがない自信なんて程遠い俺には、月乃の改まった態度は正直なところ、怖い。でも、聞きたくないなんて思わない。


「うん。聞く。月乃の言葉は全部聞きたい」


 どんなに尖った言葉の欠片でも、月乃のそれなら全力で受け止めてみせる。

 さぁこい。



 少しの沈黙の後、月乃は語りだす。


「お姉ちゃんには任せない」

「それが正解なんだよなぁ」




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