ギリギリの先に


 かつて――星の海を越え、銀河すら揺るがした大戦が起きた。

 全ての始まりは、小さな青い星。


 星は豊かな資源に溢れ、多くの知恵を持つ存在を生み出した。

 やがて星の命は高度な文明を築き、星の外へ旅立つに至る。


 しかしその旅路は、彼ら自身を滅びへと導く船出だった――


「我が名はユーニ・アクアージ! 流派クラス――ギリギリ侍! 我が流派と僕たち二人の絆にかけて! 今ここで……貴方の揺らぎを斬るっ!」


 天を突くオームの頭頂部。

 翡翠の雷光を纏ったユーニが、揺らぎによって生み出された光の刀身を大きく掲げる。


 もはや彼女の体は無数の傷にまみれ、その身を守る勇者の甲冑は全て砕けていた。だが――

 

「目を開き、前を向け……! そうすれば、ギリギリ侍の切っ先に敵はなし……ですよね、カギリさんっ!」


『ユーニ・アクアージが、ギリギリ侍に――? そんな――そん、な――こと――』


「神様の揺らぎが……っ?」


 ギリギリ侍として開眼し、揺らぎの存在をはっきりと視認出来るようになったユーニの目の前。

 そびえ立つオームの巨体が突如として震え、傾く。


 オームを覆っていた膨大な揺らぎが、まるでパニックになったように渦を巻き、荒れ狂う暴風となって周囲の空間ごと衛星要塞ゲフィオンを砕いていく。


「揺らぎが怯えてる? 違う……これは、カギリさんとオウカさんが……!」


 溢れる揺らぎに手を添えたユーニの心に、遙か下方で対峙するカギリとオウカの姿がはっきりと浮かび上がる。


 オウカの掌握を試みたオームは、オウカの持つ死の暴力に逆に飲み込まれようとしていた。

 その光景は、かつてカギリが揺らぎの収束に我を失い、宇宙そのものを滅ぼしかねない状態に陥っていたのと似ていた。


「いけない! このままじゃ神様もこの星も、何もかも――!」


『殺す――みんな殺して、わたし一人になればいい』


「っ!? この声――オウカさん!?」


 すぐさまカギリの元へと飛ぼうとしたユーニに、耳障りな音を立てて変容するオームの巨体が襲いかかる。

 ガラクタの山のように見えた巨体に歪な腕が持ち上がり、頭頂部に赤い眼光が明滅。

 その身から生え出た無数の砲塔が、再びユーニ目がけて攻撃を開始する。


『恐ろしい――人は、私は――なんと恐ろしいことを――』


「神様……本当は、貴方も……」


 オウカの深層意識と混ざり合い、機械の魔神と化したオーム。


 だがオームから放たれる揺らぎの奔流の中で、ユーニは確かにオームとオウカの悲しみと懊悩を見た。


 人を恐れ、それ故に人を傷つけながら。

 それでも人を信じたいと、人のぬくもりを求める心を。

 命の歩みを止めたくないと願う、数多の想いを見た。そして――


『さあ、ユーニ殿! 今こそ共に――!』


「カギリさん……!」


 そしてその想いを受けたユーニの元に、まるですぐ隣にいるかのような、普段と変わらぬカギリの穏やかな声が届いた。

 無数の想いと声の先――誰よりも愛しい思い人の声を胸に抱いたユーニは、すぐさま自身の成すべきことを理解する。


「はい……っ! やりましょう、いつも通り……僕たち二人でっ!」


 ――数百。数千。数万を越える星を滅ぼした人と人の争い。

 戦いは凄惨を極め、最盛期には一千億を越えていた総人口は、僅か数十年でその99%が死に絶えた。


 夢と希望で作られた星の航路は、死と絶望で閉ざされた。

 どこまでも行けたはずの命は、再び青い星に封じられた。

 しかしそれでも、人は争いを止めなかったのだ――


『――どうして? どうしてみんなわたしを殺そうとするの? いたいのはいや――死ぬのはいや――わたしにひどいことをする人は、みんな殺さないと――そうしないと、わたしが殺される』


「師匠……」


 要塞そのものを滅ぼしながら、魔神オームがまるでのたうつようにその巨体を鳴動させる。

 そしてその魔神の足元。全てを忘れ、幼子のようにがたがたと怯えながら、必死に剣を握るオウカと対峙するカギリ。


 オウカは今まで、一度たりともカギリの前で弱音を口にしたことはない。

 時折深い悲しみと後悔の表情を覗かせることはあっても、決してその辛さをカギリに語ることはなかった。


 しかし今。カギリの前に立つオウカの姿は、その身に纏う恐るべき力とは裏腹に、余りにもか弱く、酷く怯えていた。


「師匠……拙者、ようやくわかったでござる。師匠は決して、望んで強くなったわけではなかったのでござるな……ただ生きるために……師匠にとっては、強さなど本来どうでもよかったのだ」


『やめて、やめてよ――わたしをいじめないで――そんなことをしたら、みんな死ぬ。わたしが殺しちゃう――』


 国を救い、大勢の仲間に囲まれ、カナンやアルシオンと出会い、人としての心を知った一人の少女。

 やがて少女は深い挫折を味わい、自らの犯してきた咎の報いを受けた。彼女を慕う全ての仲間を失い、心を通わせた大切な友を救うことも出来なかった。


 オウカはずっと苦しんでいた。


 仕方なかったと。

 あの地獄で正常な倫理を知ることなど不可能だったと。


 たとえ世界中の人々が彼女にそう声をかけたとしても。

 もはや人のぬくもりと心を知り、さらにはカギリという愛する命を立派に育て上げたオウカには、なんの慰めにもならない。


 オウカが鬼から人になればなるほど。

 カギリが優しく、健やかに成長すればするほど。


 自らが奪った無数の命。

 その事実はより重くなり、オウカを苦しめ続けていた。


 この世で最も強い悪党――〝オウカ自身を討て〟とカギリに託したのも、そのような行き場のない罪悪感ゆえ。


 だが、だからこそ――


「――だからこそ、師匠は拙者が救わねばならぬ! 誰からも許されずともいい……! 師匠が己の罪を許せなくてもいい! だが、それでも拙者は――!」


 怯え竦むオウカの前。

 カギリはその言葉と共に構えた二刀を鞘に収めると、片膝を突いて地面に置く。

 そしてそのまま立ち上がると、丸腰のまま一歩――また一歩とオウカの死の領域へと歩みを進める。


 文字通り死と破壊が渦巻くオウカの領域。

 近づけば近づくほど、カギリを必死に守ろうとする揺らぎが砕け、死の闇に呑まれていく。

 カギリの肉体もまた次々と傷つき、舞い上がる突風に鮮血の華が混ざる。しかし――

 

「――拙者は、いついかなる時も貴方の支えとなる。貴方の元に生まれ落ちた時より、とうにそう決めているでござる」


『あ――』


「これで一安心……さあ、拙者と一緒に帰るでござるよ。母上――」


『かぎ、り――?』


 死を抜けた先。

 満身創痍となったカギリの両腕がオウカを包んだ。


 光が弾ける。

 オウカの死の領域が、暖かな光によって砕ける。


 そしてそれとほぼ同時。抱きしめ合う二人の遙か頭上では――


『人を生かすには――命を守るにはこれしかない。オームよ――人を縛れ――恐るべき罪を犯した我々人類を縛れ――』


「はぁああああああああああああ――ッ!」


 機械の魔神となったオームが、その巨体から一斉に破滅の光を撃ち放つ。

 もはや光の壁にも見えるその弾幕の嵐を、翡翠の雷光と化したギリギリ侍のユーニが加速飛翔。

 淡く輝く緑光の聖剣で揺らぎの壁を切り裂き、悲鳴にも聞こえる摩擦音を響かせるオームに迫る。


「僕に出来ることを! みんなが僕に教えてくれた……カギリさんが僕に教えてくれたことをっ! 今、ここで――ッ!」


『ああ――オームよ。我らが作りし機械の神よ――君の使命は人の暴走を止めること。しかしもし――これから先の長い年月の果てで、もしも人が――』


 オームを生み出した創造主の声が響く中、暴走した魔神はその山よりも巨大な両腕で宙を疾駆するユーニを掴みにかかる。

 ユーニの光がオームの腕に覆われ、やがて完全にその姿を消す。だが、しかし――!


「まだです! ギリギリ侍の真髄は――今この時にあるッ!」


『――もしも我々がその罪を償い、自らの足で再び歩み始める日が訪れた時は――どうか、我々を許してやって欲しい――我々の犯した、大きな罪を――』


 赤い眼光が輝くオームの眼前。

 閉ざされた巨大な手のひらの隙間から閃光が奔る。


 この場に満ちる全ての揺らぎの後押しを受け、ユーニが更に加速する。


 かつて、カギリと初めて出会った時。

 破壊神と対峙したユーニの瞳に、光は見えていなかった。


 あるのはただ絶望の闇。

 その闇の中でユーニは一人、必死に戦い続けていた。


「みんなを守る、それが僕の夢……僕の願い! カギリさんが教えてくれたこの剣にかけて……僕は、貴方も救ってみせる!」


 しかし今。彼女の澄んだ瞳には光だけが映っていた。

 もはや、彼女の進む先に闇はない。


 カギリと共に過ごした日々が。

 カギリと共に育んだ想いが。


 ユーニの進むべき道を、暖かく照らし続けていた。


「人も魔物も……そして貴方だって! この星から生まれて、ずっと一緒に生きてきた――! ギリギリを乗り越えて、必死に生きてきた命です――!」


 一閃。


 極大化したユーニの光刃が、オームを正中線に断ち切る。

 翡翠の光芒が崩落するゲフィオン内部に満ちあふれ、それは要塞の外壁を越え、青く輝く星にすら届く光となる。


『私も――オームも、命――』

 

 溢れる光に呑まれながら、神だった命は確かにそう呟いた――。


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