作り笑いの英雄


 世界を救う。

 みんなを守る。


 この世界に生きる、全ての人を笑顔にする。


 とある小国の世継ぎとして生まれ、誰もが見惚れる容姿と健やかな肉体。そして溢れる才を持って生まれた少年――アルシオン・ファルムータは、ただそれだけを成すために生きてきた。


「にゃははは! だーいじょーぶだって! ちょー強い俺に任せておけば、魔物なんてみーんな倒しちゃうからさー!」


 アルシオンは強く、賢く、そして全てに優しかった。


 両親を始めとした国に住む誰からも愛され、動物はおろか、草花すら彼の前で咲き誇ることを喜んだ。


 アルシオンは全てに愛され、全てを愛していた。

 自分ならこの世界から悲しみを無くせると。

 そう本気で信じていた。


 まだ十歳になるかならないかという頃。

 すでに王冠の魔物はアルシオンの相手にならず、神冠の魔物ですら、彼が我流で学んだ様々な流派の技を駆使して打ち倒していた。


 人々は彼を救世主と呼び、次世代の希望と信じて疑わなかった。だが――


「なんでだよ……? どうして……こんな……っ!?」


 ある日。国外から戻ったアルシオンを待っていたのは、魔物の群れによって滅ぼされた故郷の姿だった。


 希望に満ちた美しい少年の瞳に映る、全てが死に絶えた大地。

 草花も、動物たちも、人々も――あらゆる命の痕跡が消え去った地獄絵図。

 彼を愛し、彼が愛したなにもかもが滅びたその光景は、アルシオンに強烈なトラウマと深い挫折を与えた。しかし――


「〝俺だけじゃだめなんだ〟……っ! 俺がいくら強くても……俺だけじゃみんなを守れない! 俺と同じくらい強くて、俺と一緒にみんなを助けられる仲間を探さなきゃ……! それで今度こそ……本当にみんなが笑顔で暮らせるようにするんだよっ!」


 だがしかし。そのような絶望の現実を突きつけられたにも関わらず、アルシオンは折れなかった。


 誰よりも強く、美しく、そして優しい少年は、全てを失ってなお希望を求める心を失わなかった。


 今にも泣き出してしまいそうなその顔に、かつてと変わらぬ笑みを懸命に浮かべ、それでも前を向いて歩き続けた。


「――にゃははは。まさか噂の〝鬼〟が、こんなに可愛い女の子だったなんてねぇ! まーじでびっくりだわ。一目惚れしちゃったかもっ!」


「はぁー? なんだおめー?」


 やがて彼は出会った。

 大陸の果て。

 海を越えた先。


 戦乱と絶望に覆われた島国を、たった一人で平定した鬼がいる。

 その噂を聞いたアルシオンは、そこで鮮血と死臭にまみれた一人の美しい少女――オウカと出会ったのだ。


「世界中の奴らを笑顔にしたいから手伝えだぁ? ハッ! なんで私がそんな面倒なことを……」


「それそれ! それよオウカちゃん! みんなを笑顔にするのって凄く大変だけど、絶対に退屈なんてしないのよ! 世界中を旅して、色んな所を探して……色んな奴らと戦ってさ! どうどう? すげぇ楽しいと思うんだけどなー!」


「う……そ、そう言われると、確かに……ちょっとだけ面白そうか……?」


「でしょでしょー! 特に俺とオウカちゃんならすーっごく楽しいって! もし旅がつまらなかったり、俺が途中で放り投げたりしたら、遠慮なくその剣で斬ってくれていいからさ! お願いだよ、オウカちゃん!」


「ちっ……わかったよ。けど今の言葉……絶対に忘れるなよ! 私は嘘と嘘つきがこの世で一番嫌いなんだからなッ!」


「やったー! ありがとうオウカちゃん! 大好きっ!」


「や、やめろこの……っ! 勝手にくっつくな! 殺されたいのかてめぇ!?」


 嘘はなかった。

 この時の言葉を、嘘にするつもりはなかった。


 みんなを笑顔にするという言葉も。

 オウカが大好きだという言葉も。


 まだ、この時は。

 そのどちらも、絶対に嘘ではなかった。


「アル……やっぱりお前は大嘘つきだ。自分一人まともに笑顔にできない奴が、世界中のみんなを笑顔になんて……そんなこと、できるわけないだろ――!?」

 

 果たして、彼はどこで間違ったのだろうか。

 それとも、これが正しい道だったとでもいうのだろうか。


 オウカの命を守るため、大勢の人々の命を守るために神に従い、代わりに自らの手を血で染めた。


 あの時は、それ以外に道はなかった。

 

 ユーニに真実を話したことも。

 カギリに揺らぎの行使を促したことも。

 聖域を襲った魔物を見逃したことも。


 どれも最善の判断だったと、アルシオンは今でも信じている。


 だが――


 だが、それで世界は救えなかった。

 みんなを笑顔にすることは出来なかった。

 結局、アルシオンの笑みは作り笑いのままだった。


 ずっとそれだけを見て歩いてきたはずなのに。


 彼を包んでいた愛する人々はもういない。

 それでも挫けず、彼が自ら選んだ掛け替えのない仲間――オウカも、カナンももういない。


 闇。

 

 一つの命の分を越えた望みを抱き、神に挑んだかつての少年はついにその光を全て失い、一人となって絶望の闇に沈もうとしていた。


「聖下……っ! お願いですから……また、私達と一緒に……っ」


 漆黒の闇の向こう。

 どこか別世界のように感じる、アルシオン自身の視界の中。


 そこでは全身傷だらけとなり、立っているのもやっとという有様のティアレインが、それでも必死にアルシオンに呼び掛けていた。


 勇者の力に目覚めたティアレインは、確かにアルシオンを相手に良く戦った。

 こうしてアルシオンが自意識を取り戻せたのも、もしかしたら彼女の想いが届いたのかも知れない。


 だが、無限とも思える神の力を持つ今のアルシオンの前には、やはり彼女では遠く及ばなかった。

 カギリですら完全には断ち切れなかった神の支配から、アルシオンを解放することは出来なかったのだ。


(ああ、まただ……また俺のせいで……)


 本当は守りたかった。

 誰よりも大切にしたいと、本気で思っていた。


 自分を愛してくれた国の人々も、両親も。

 オウカも、ティアレインも。


 アルシオンはそのどれに対しても、傷ついて欲しくないと思っていた。


 しかし結果は全て裏目。

 アルシオンが守りたいと思えば思うほど。

 大切に思えば思うほど。


 その全ては無残に傷つき、失われていった。


(こんなことなら、俺なんて生まれてこない方が良かった……いない方が良かったんだよ……っ。俺なんかと会わなければ……オウカちゃんも……ティアレインちゃんも……傷つかなくてすんだのに……っ)


 闇に囚われたアルシオンは、もはや自分の物ではなくなった体が、容赦なくティアレインの命を削っていくのを見ていた。


(誰か……! せめて、この子だけでも……! そうしたら、俺なんてどうなってもいい……! だから、ティアレインちゃんまで……俺に殺させないでくれよぉぉ――――!)


 アルシオンの絶叫が、闇の中に木霊する。

 しかしどれだけ叫ぼうとも、その声が届くことはない。


 闇の向こうで神の傀儡となった自分が手を掲げ、満身創痍となったティアレインの命を消し去ろうと光を放った。そして――


「――ごめんな、お前をずっと一人にして。遅くなったけど、私の方から謝りにきてやったぞ……アル」


 神に操られ、ティアレインを襲うアルシオンの光。

 しかしその光は、突如現れた〝白紅の斬撃〟によって砕かれた――。

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