いつか、元通りになったら


「――こんばんは、ティアレインちゃん。今日もこんな時間まで勉強してるのん?」


 それはまだ、ティアレインが騎士団長となる前のこと。


 当時、読み書きすら満足にできなかったティアレインは、生まれて初めて手に入れた〝学びの機会〟に、誰よりも努力を重ねる日々を送っていた。


 光信塔下層に設けられた公共の図書室。

 いつ、誰でも利用できるその場所で。その日もティアレインは、日をまたぐ時分まで読み書きの勉学に励んでいた。


「はうああああああッ!? せ、聖下ッッッッ!? なぜこんなところに!?」


「君はすぐに頑張り過ぎちゃうからさ、様子を見に来たんよ。ティアレインちゃんはまだここに来たばっかりなんだし、もっとゆっくりしていいんよ?」


「そ、そういうわけにはいきませんっ! 今の私では、みんなの足を引っ張るばかりで……昨日も風呂の湯を沸かすのに失敗し、大爆発を起こしてしまいましたっ! お許し下さい!」


 突然現れたアルシオンの姿に、ティアレインは一瞬で椅子から床に転げ落ちると、平身低頭して額を地面にこすりつける。

 

「にゃははははは! そりゃ大変だったね。怪我はなかった?」


「はいっ! なんの取り柄もないポンコツですが、体だけは頑丈で!」


「ふふ……そいつは良かった。でも今は大丈夫だと思っても、後で痛くなることもあるからね。何かあったら、ちゃんとすぐに知らせるんだよ?」


「は、はい……っ! ありがとうございます!」


 そう言って笑みを浮かべるアルシオンの姿。

 それはまだ聖域に来て間もないティアレインにとって、自らを絶望と悲しみの底から救い出してくれた太陽そのものだった。


「けどさ……君がなんの才能もないポンコツだって、俺はあんまり思ってないんよね」


「え……? ですが私は、勇者学校の入学試験もさっぱりでしたし……ここでも沢山の人に迷惑をかけてばかりで……!」

 

「にしし。そーいうのは才能とは関係ないっしょ! もし俺が勇者学校の担当だったら、ティアレインちゃんなんて一発合格よ!」


「わ、私が……ですか?」


 アルシオンのその言葉に、ティアレインは目を丸くして首を傾げる。アルシオンはそんな彼女の肩にぽんと手を置くと、地面にぺたんと座るティアレインに目線を合わせた。


「そりゃそうよ! なんたって、君には勇者にとって一番大切な〝勇気〟があるからさ!」


「私に、勇気が……?」


「そうだよ、ティアレインちゃん。読み書きも剣術も、今の君みたいに頑張ればある程度までは出来るじゃん? 君は今まで、そーいうのを頑張るチャンスがなかっただけなんよ」


 アルシオンの陽光のような瞳が、まんまると見開かれた無垢なティアレインの青い瞳を見つめる。

 彼のその穏やかな瞳には、まるでティアレインが失ったばかりの母に代わって、我が子を見つめる親のような優しさが宿っていた。


「けど勇気だけは……大切なもののために、死ぬほど怖いって気持ちを乗り越えて前に進む心は、そんなに簡単に身につくものじゃない……その点ティアレインちゃんは、〝俺なんかより〟ずっと勇気のある子だと思うよ」


「聖下……」


「けどごめんね……俺はそんな君の勇気も、他のキラキラな所も元通りにしてあげられなかった。今のティアレインちゃんはボロボロのまま……お母さんのことや、いろんなことで傷ついてる。ちゃんと治るのかどうかも、俺には分からないんだ……」


「……???? 何を仰います! 私はもうどこもおかしくなんてありません! ご覧の通り元気満々、ムキムキです! ふんす!」


「……まだゆっくり休まないと駄目だよ。まずはゆっくり休んで……それでいつか、君が〝元通りのティアレインちゃん〟に戻ったら……その時は、こんなことでしか君を助けられなかった俺を、いくらでも〝恨んでくれて良い〟からね――」


 ――――――

 ――――

 ――


「我が名は勇者ティアレイン――! 貴方に救われ……導かれたこの命と剣にかけて! 今ここで、私は貴方を足止めするッ!」


『ティアレイン・シーライトの行使エネルギーを解析。祈りから勇気への変換を確認。対象の属性を〝勇者〟と確定――〝準イレギュラー〟と判断』


「だっはああああああああああ――ッ!」


 渦巻く紫炎。舞い降りた黒剣。

 狂暴な笑みを浮かべたティアレインが、極光を切り裂いてアルシオンへと迫る。


『勇気――〝最も揺らぎに近い〟エネルギー。エネルギーレベル増大。緊急排除の必要ありと判断』


爆炎戦型ルートバースト――!」


 極光を纏い、身構えるアルシオンの眼前。


 閃光に包まれたティアレインの甲冑が、荒れ狂う火炎を模した禍々しい形状に変化。

 片刃となった黒剣の峰部分から凄まじい炎が吐き出され、加速した刀身が極光を焼き尽くす。


 放たれたティアレインの一撃はアルシオンの法衣を極光ごと切り裂き、その余波は広大な回廊を一撃で大きく破砕した。


『予測不能――祈りを宿した存在が、勇気へと属性を変化させる前例は皆無。データベース参照――類似例検索――』


「聖下……私は貴方に感謝こそすれ、恨むことなど一つもありません……っ! あの雪の日……貴方は確かに私を救ってくれました……! その後も私を常に気にかけ、いつだって暖かく見守って下さっていた……! だから、私は貴方に――っ!」


 確かに、ティアレインに〝勇者の試験を合格する才〟はなかった。学もなく、知識もなく。剣の腕も、体術の技もなかった。


 だがしかし――光と闇の二つの心に分かれる前の、本来の彼女にはたった一つだけ。誰よりも優れた才能があった。


 それは勇気。


 善であれ闇であれ、決して恐れずに前へと突き進む強い心。

 執念と言ってもいいだろう。

 

 あの時。雪の中で壊れた心が二つに分かれたことで、ティアレインが持っていた強い意志もまた互いに正反対の道を向いた。

 それは彼女の才能を殺し、二つの心の再統合を阻む最大の障壁となってしまっていた。


 しかし今。アルシオンが繋ぎ、ユーニが受け止め、多くの仲間が包んだ彼女の心は再び一つとなっている。

 互いに真逆を向いていた二つの強烈な意志は統合され、分かれる前よりも遙かに強固な勇気となって舞い戻った。


 アルシオンすら認めた勇気の才。

 そして、ユーニとの戦いで見た彼女の勇者の技と、騎士団の中で仲間と共に磨かれた剣の技。


 あの雪の日――母と共に全てを失ったティアレインが、今日までの日々で一つ一つ得てきた全てが、彼女を勇者の領域に押し上げていたのだ。

 

『解析完了――いかに勇気が揺らぎの近似値だとしても。勇気が揺らぎに勝ることはあり得ない。排除する』


「な――!?」


 怒濤の勢いで黒剣を繰り出すティアレイン。

 だがそこまで防御に徹していたアルシオンは、彼女の力を見切ったとばかりに再び光を放つ。

 四方から蛇のように纏わり付く七色の光がティアレインの体を激しく打ち据え、焼き尽くし、とどめとばかりに回廊へと叩きつける。


「うぐぐ――ッッ! ま、だだぁああああああ――ッ! 光影戦型ルートイクリプスッ!」


『勇気の増大を確認――この力は、運命の勇者に匹敵――』


 だがしかし。一瞬にしてボロ布のようにズタズタとなったティアレインの体が、再び強烈な炎に包まれる。

 燃えさかる炎の中。砕けた甲冑が再構築され、かつて聖域でユーニとの戦いで見せた、光と闇の翼を纏うティアレイン究極の形態を形作る。


「だぁああああああああああああああああ――ッッ!」


『想定外――ティアレイン・シーライトにここまでの力はない。なぜ――?』


「見て下さい聖下……! あの時……母を失い、自分の命しか持っていなかったポンコツの私が……! 今はこんなにも沢山のことを知りました……! ユーニ君と友達になり、カギリ君や騎士団の仲間とも出会えました……っ! 全部、貴方に助けて貰ったから――っ!」


 ティアレインの背負う光と闇の翼が、月白の光と紫炎の尾をそれぞれに引く。

 握りしめた黒剣に二つの力が混ざり合い、それはティアレインだけが持つ心の力となってどこまでも昇華した。


「だから……お願いだから、戻ってきてください――アルシオン様ああああああああああ――っ!」


『エネルギー上昇加速、測定不能――』


 もはや、今のティアレインに時間稼ぎや足止めという考えは消えていた。


 ただ自分の想いを。

 ただアルシオンへの感謝を。


 それだけを漆黒の刃に乗せ、自らを構成する全てでもって叩きつけた。


戦型最終奥義アーツオーバー――昇華・光臨剣リィン・オラクルグランツァー――ッッ!」


 一閃。


 光と闇。相反する二つの力が、神の傀儡となり果てたアルシオンの魂魄を駆け抜けた――。


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