拙者、今度こそギリギリ侍!


「さあカギリ。三年前は私に手も足も出なかったお前が、どれだけ成長したか見せてみろ!」


「承知! 今日こそ師匠に認めて貰うでござるぞっ!」


「頑張って下さい、カギリさん!」


「がんばれ、ギリギリ侍」

「ふれーふれー」


 翌日。

 庵の周りをぐるりと囲む美しい庭園の外れ。


 晴れやかな表情のカギリとオウカが互いに自身の愛刀を構え、真剣な眼差しで対峙する――



 ――あの夜。オウカはカギリに全てを話した。


 カギリがカナンの力によって揺らぎから生まれたこと。

 これから先、カギリがどのような生を歩むのかは誰にも分からないこと。


 しかしユーニの言ったとおり、カギリはその話に驚きはしたものの、やがて喜びも露わに感謝の言葉をオウカに告げた。


「ありがとう、師匠……こうして師匠という素晴らしい母に育てられたこと……拙者はまっこと、果報者にござる!」


「お、お前……っ! 私のことは、師匠って呼べって……」


「師匠……どうか今だけは、貴方のことを〝母〟と呼ぶことをお許し下さい。このカギリ……母上の腕に抱かれてこの世に生を受け、こうして育てていただいたこと……決して忘れませぬ。これからも、決して……!」


「カギリ……」


 自らの始まりを知る者がいる。

 自らの始まりを喜んでくれる者がいる。


 カギリはその事実に改めて深く感謝し、今この瞬間まで自らを育んでくれたあまねく全てに感謝した――



「我が流派は〝天地無双〟――お前のギリギリ侍は、相手の力が起こした揺らぎの波を操る剣だ。けど、私の力はこの世で唯一揺らぎに頼らない。あまりにも強すぎる私からは、〝揺らぎが逃げ出しちまう〟からだ――!」


「く……ッ!」


「……っ!? こ、これが……オウカさんの剣……!? な……なんて〝禍々しい〟……っ」


 構えたオウカの周囲に大気が渦巻く。

 だがそれはほんの一瞬のこと。


 次に訪れたのは圧倒的静寂。

 あまねく全ての気配の死。

 絶対的な破滅の運命だった。


 美しい庭園に咲き誇る草木が呼吸を止め、虫の鳴き声も、小さな動物たちの気配も、大気の流れすらも。全ての気配が死んだように消失した。


 あのカギリが、この世で最も強いと断言したオウカ。


 その力の本質は、人類最強とも目される勇者ユーニをして、〝逃亡すら無意味〟と、本能が死を覚悟する程の圧倒的暴力――死の結末そのものだった。


「つ、強いとか……そんなレベルじゃない……! こんな……こんな人が……本当に、存在するなんて……っ!」


「うそ」

「なに……これ?」

「こわい」

「逃げなきゃ」

「みんな、死んじゃう」

「みんな、殺されちゃう」


「リーフィアさん……! 大丈夫です、僕がいますから……っ」


 その光景に、ユーニは強烈な息苦しさと貧血時のようなめまいを覚える。

 見れば、先ほどまで無邪気に手を振っていたリーフィアすらもユーニの手を握り、オウカが展開した〝死の領域〟の恐怖に小刻みに震えていた。


「お前も知っての通り、私にギリギリ侍は扱えない。けどそれは同時に、元から揺らぎを遠ざける私にはギリギリ侍は通じないってことでもある……お前がこの三年で成長したって言うのなら、この状況をお前の力でなんとかして見せろッ!」


「ぐ――ッ! や、やはり……師匠のこれはいつ受けてもえぐすぎるでござる……ッ!」


「カギリさん……っ!」


 オウカという名の死と絶望の象徴。

 ただ対峙しているだけだというのに、すでにカギリは全身から滝のような汗を流し、構えた二刀は切っ先が僅かに揺れていた。


「お前はアルが使う揺らぎを見切れなかった。だから自分で揺らぎを使おうと思った……そうだな?」


「そうでござる……っ! 本気になった教皇殿の揺らぎは、拙者には全く見えなかった……!」


「いいかカギリ……大昔の人間やあのくそったれの神は、揺らぎを〝無理矢理〟操ってる。それは神のおかげで揺らぎを使えるアルも同じだ。お前がアルの揺らぎを見切れなかったのは、あいつの揺らぎを支配する力が、お前の見切りを上回っていたからだ」


「教皇殿の力が、拙者を〝上回っていた〟……」


「けどな……お前の本当の力は揺らぎの見切りや力の比べ合いじゃないはずだ! さあカギリ……今ここでもう一度、私が教えたギリギリ侍の極意を思い出せ! 私とカナンが探した、アルとは違う別の道……〝お前とユーニの道〟を私に示して見せろッ!」


「拙者と、ユーニ殿の道……!」


 恐るべき死の領域を展開しながらも、オウカの言葉はカギリへの励ましと想いに満ちていた。

 その言葉を受けたカギリは瞳を閉じ、己の中に残る聖域での戦いの感覚を想起する――


 上回ろうとするべからず。

 ねじ伏せようとするべからず。


 ギリギリ侍の剣は、勝るための剣ならず。

 敗れぬための剣ならず。


 死生の狭間に、絶えた願いを見出す剣なり。 


 目を開けろ。

 前を向け。


 さすればその切っ先に敵はなし。


(そうだ……拙者の目的は、教皇殿に勝ることではない。教皇殿の行いを正すことでもない)


 ユーニから伝え聞いた、教皇アルシオンの苦悩。

 そして、この世界を縛る閉じた命の管理。


 かつてオウカが、アルシオンが、そしてカナンがその鎖の打破に挑み――敗れ、跳ね返された。

 結果オウカはカナンと大勢の仲間を失い、アルシオンは管理の中に組み込まれている。


 ユーニは言っていた。


 本当にその方法しかなかったのか。

 本当に、その仕組みよりも良い方法はないのか。


 この星に生きる命の力と知恵を合わせ、より良い道を探すことは出来ないのか――今一度、それを問いたいのだと。


(拙者には力がある。揺らぎに自らの願いを伝える力が……もし拙者がここでより大きな力を望めば、揺らぎは拙者に望む以上の力を与えてくれるやもしれぬ。だが――!)


 そうではない。


 揺らぎと心を通わせることのできる自分が、その才を用いて成すことは、敵を打ち倒すことでも、勝利することでもない。


 ならば、何を成すのか。


 自らの出自を知り、掛け替えのない存在となったユーニと想いを交わした今のカギリには、すでにその答えは見えていた。


 それは――


「――どうか、怖がらないでくれ。この方は拙者が最も敬愛する師……そして拙者をここまで愛し、育んでくれた〝最愛の母〟でござる。誰よりも強い力を持っているが、その力を無為に振るうことは決してしない。本当に……誰よりも優しい女性なのだ」


「っ!? お前……いきなり何を……!?」


「え……?」


「ギリギリ侍……?」


 カギリはオウカの目の前でゆっくりと二刀を下ろすと、笑みを浮かべて周囲にそう呼びかけた。


 するとどうだろう。オウカの絶望的な力に恐れをなして消失した揺らぎ――つまりは周囲の命の鼓動や大気の流れ、虫や草木のささやきが、カギリを中心にして辺り一帯に再び舞い戻ったのだ。


「お、おお!? まさか、本当に拙者の声に応えて戻ってきてくれたでござるか!?」


「嘘だろ……!? これが揺らぎ……? 私にも分かった……初めて感じた……! カギリがやってくれたのか!?」


「凄い……! 僕にも分かります……! とても大きくて、優しい力が僕達の周りに溢れてます……! こんな……こんなことって!」


「すごい」

「ギリギリ侍がやったの?」

「本当にすごい」

「信じられない」


 それはまるで、光の雪のようだった。


 カギリの呼び掛けに応えて舞い戻った膨大な揺らぎは、ユーニやリーフィア、更には今まで全く揺らぎの存在を感知出来なかったオウカにすら、はっきりと見える程となってその場に満ちていた。


「はっはっは! よく分からぬが、これならば師匠と戦ってもギリギリ侍になれそうでござる! やはり何事も、まずは話し合いでござるな!」


「ああ……! 文句なし……今のお前なら、きっとアルのことも、あの神の力もなんとか出来るかもしれない! 合格だっ!」


「ご、合格……!? 初めて師匠から合格と……拙者、師匠に認めて貰えたでござるか!? く……っ! 目から汗が……ッ!」


「わぁ! やりましたね、カギリさんっ!」


「やったー!」

「ギリギリ侍すごい」

「おめでとう」


「見事だった! 本当に立派になったな、カギリ!」


「師匠……!」


 オウカに認められ、嬉しさの余り膝を突いてむせび泣くカギリ。

 そんなカギリに、ユーニとリーフィアは真っ先駆け寄ると、共にその喜びを分かち合う。


 オウカはその光景を見つめながら、かつて三英雄と呼ばれた自分達がついに見つけられなかった別の道――それを彼らが確かに歩んでいることを認め、笑みを浮かべて深く頷いたのだった――。


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