生まれてくれた喜びに


「――これがカギリが生まれた理由だ。あいつは世界の救世主でも何でもない……泣きわめくしか出来なかった私に、カナンが残してくれたたった一つの命なんだよ……」


「そう……だったんですね……」


「私にとってはカギリに揺らぎが見えるとか、そんなのはどうでも良かった……カギリが少しずつ大きくなって、歩いたり……喋ったり出来るようになるのを見るのが、本当に……凄く嬉しくてさ……」


「オウカさん……」


 青白い月明かりの下、そう語るオウカの表情は、紛うことなく最愛の息子を思う一人の母の顔だった。


 そしてそれを見るユーニもまた、ずっと自分が感じていたカギリに対する不安……オウカのことを嬉しそうに語るカギリから感じていた〝ざわつきの正体〟を知った。


 それは〝儚さ〟。


 確かに目の前に存在しているはずのカギリという存在が、どこか遠い――全く違う世界に遠ざかって行くような感覚。


 カギリの出自や背景に深く根ざしているはずの、オウカという師の存在を耳にするほど、ユーニの中でカギリから感じる〝非実在感〟は増していたのだ。


 そう――ユーニはその類いまれなる才覚と、純粋なカギリへの想いによって、心の何処かですでにカギリが人ではないと――本来は存在しなかったかもしれない命だということに、無意識に気付いていたのだ。だから――


「いきなりこんな話をして悪いと思ってる……けど、カギリがユーニを連れて帰ってきたのを見たとき……本当に想い合ってる二人を見て、この話をしなきゃって思ったんだ」


「何も、悪い事なんてありません……僕もこうして、カギリさんが生まれた時のお話を聞けて、本当に良かったです……っ」


「ユーニ……?」


「良かった……っ。僕……もしかしたら、カギリさんがどこかに消えちゃうんじゃないかって……カギリさんに何か良くないことがあるんじゃないかって……思ってたから……っ」 


 オウカが全てを語り終えたとき。

 ユーニはその瞳から涙を零し、微笑みながら泣いていた。


 それは安堵の涙。

 嬉しさによる涙。


 ユーニの中でカギリの存在が大きくなればなるほど。

 掛け替えのない存在になっていけばいくほど。


 ユーニの中で大きくなっていた、無自覚に感じていたカギリ消失への不安。その不安から解放されたことによる涙だった。


「け、けどさ……私が言うのもなんだけど……揺らぎなんてもんから生まれたカギリに、これから先何が起きるかなんて誰にも分からないだろ? ユーニの言うとおり、明日いきなり消えることだって――」


「……いいえ。きっともう……そんなことにはなりません」


「え……?」


 涙と共に笑みを浮かべ、ユーニはオウカの言葉を否定する。


「カギリさんは……〝僕の大好きな人〟は、オウカさんや僕のことを置いて消えたりする人じゃありません……聖域で揺らぎに呑まれてしまった時だって、僕が駆けつけるまで、カギリさんは必死にこの世界を壊さないように頑張ってくれていたんです……っ」


「でも……! それでも、この先何があるかなんて……!」


「そうかもしれません……けど、それでも僕はこれからもずっとカギリさんの傍にいます。カギリさんが少し特別な生まれでも……そのせいでカギリさんが困ったり、辛い目に遭ったりするのなら……その時こそ僕はカギリさんの傍にいたい……カギリさんのことを、支えてあげたいんです」


「お前……そこまで……」


 強い。


 ポロポロと大粒の涙を零しながらも、よどみなくそう口にしたユーニに、オウカは内心で驚嘆の声を漏らした。


 決してユーニを軽く見ていたわけではない。


 まだ出会って僅かな時間しか経っていないが、すでにオウカはユーニを心から認め、誰よりも信頼したからこそカギリの出生を話したのだ。


 しかし、ユーニの想いの強さはオウカの予想を超えていた。


 たとえカギリに何があっても、自分が共に支える。

 かつてカギリがユーニに対して誓ったのと同じ共に生きる覚悟を、とうにユーニはカギリに対して持ち合わせていたのだ。 


「はは……あはははははっ! 凄いな……さすがはあのカギリが惚れ込んだ子だ! 私の下らない心配なんて、あんた達二人の足を引っ張るだけだったな!」


「そ、そんなっ!」


「嬉しいんだよ……! カギリは……私の息子は、また私のことを喜ばせてくれたんだ! ユーニみたいな、こんなに素敵な子と縁を結んで里帰りしてくるなんて……最高の孝行息子じゃないか!」


 それは、嘘偽りないオウカの本心だった。


 先ほどまでの悲壮な雰囲気は消え、オウカは涙の跡をその可憐な顔に残すユーニを両手でひしと抱きしめると、心からの喜びをその顔に浮かべ、何度も何度も頷いた。


 カギリの出自そのものに大きな意味はない。それはオウカも分かっている。

 なぜなら、すでにカギリは立派に成長し、自らの意志でこの大地に生きる一つの命だからだ。


 しかし、オウカもユーニと同様ずっと不安だったのだ。


 オウカには感じることも出来ない、揺らぎという未知の力。

 そんな未知から生まれたカギリが、この先もずっとこの世界に有り続けてくれるのかと。


 親であれば誰でも持つであろう、我が子の無事を願う想い。

 オウカは今、初めてその気持ちをユーニという息子の思い人と共有し、その覚悟の強さを見せつけられた。


 その喜びに――


 自分がなによりも大事だと想う我が子を、自分以上に大切だと迷いなく言い切ったユーニの想いに――オウカは再び救われたのだ。


「決めたよ……あいつが生まれてから今まで、このことはずっと黙ってたけど……ちゃんとカギリにも、この話は伝えてやらなくちゃな」


「それがいいですよ! カギリさんがどれだけの気持ちを受けて生まれたのか……それを聞いたら、カギリさんならきっと喜んでくれますっ!」


「だな! 実は私も不安だったんだ……カギリにこんな話をしたら、あいつが明日には消えてるかもって……ショックでどっかに行っちまうんじゃないかってさ……でも、ユーニの言うとおりだった。私も信じるよ……カギリのことを。それに、ユーニのこともなっ!」


「……はいっ!」


 母と思い人。

 立場は違えど、共に同じ命を想う二人。


 月明かりの下。


 二人はそのままいつまでも笑い、時には涙を浮かべて――ずっと抱え続けていたカギリへの様々な思いを確かに共有したのだった――。

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