拙者、帰ってきた侍!
日の本。
かつては大陸諸国からの苛烈な侵略に苦しめられたこの国も、今は豊富な旧世紀の技術を利用し、僅か二十年余りで目覚ましい復興を遂げていた。
過去に侵略を受けた経験から、日の本は表向きは厳格な鎖国体制を敷いている。
だが法の目を逃れ、自力で大陸や他の島国と行き来する者は数多い。カギリもまた、そうしてこの地を旅立った一人だった。
「ここが、カギリさんが生まれ育った国なんですね」
「うむ! こうして帰るのは三年ぶりでござるが、暫く見ぬ間にまた一段と活気に溢れているようでござる!」
「わいわい」
「がやがや」
先の流派同盟での現状確認の際、突然現れた多元神ポラリスによる会談要請には、ティリオだけでなく〝二体に分裂したリーフィア〟と、ラティアを初めとした複数の六大流派が対応している。
カギリとユーニ、そして〝もう片方のリーフィア〟は、カギリの師匠であるオウカに過去の真相を尋ねるべく、こうして日の本でも一番の都――〝京〟へと降り立っていた。
「すごい……僕も今まで色々な街を見てきましたけど、こんな街は初めて見ました」
「お魚さんいっぱい」
「木のにおい」
「水のにおい」
「石のにおい」
「あと錆びのにおいもする」
「確かに、拙者もこのような街は京以外に知らぬ! だが無論、日の本全てがこうというわけではないでござるぞ! 理由は分からぬが、京だけがこのような有様なのだ!」
そこは、豊かな森と青い海に覆われた巨大都市。
旧時代の高層建築が現存する京の街並みは、生い茂る木々と流れ込む大量の河川に半ばまで〝飲み込まれていた〟。
木々と灰色のコンクリート、そして水が融合した街の景色は独特であり、海中には遙か昔に水没した建物が魚たちの住処になっている様子が窺えた。
「この街だけこうなってる」
「それはきっと、千年前にここを襲った魔物のせい」
「水とか木を使う魔物がいたんだと思う」
「水や木……そういえば、教皇様も仰ってました。魔物は〝この星を治してる〟って……リーフィアさんはご存知でしたか?」
「ぜんぜん」
「さっぱり」
「でもみんなが水を綺麗にしたり」
「森を増やしたりしてるのは知ってた」
「ずっと趣味だと思ってた」
「だからびっくり」
行き交う人混みの中、はぐれないように三人で手を繋いだカギリ達は、頑丈な木材で組まれた道の上を歩いて行く。
周囲に目をこらせば、旧時代の構造物は木々に呑まれつつも未だその〝機能を維持している〟ようだった。
聖域でも目にした壁面に映像を映し出す機械や、チカチカと点灯するランプ。その他にも明らかにベリンより優れた技術の数々が、街の導線として活用されていた。
「たとえ魔物にその気はなくとも、巡り巡って魔物の行いは拙者達や他の命を生かしていたと……そういうことでござるな」
「そう考えると、なんだか不思議です……ずっと倒すべき敵だと思っていた魔物が、僕達にとっても必要な存在だったなんて」
「みんなにそんなつもりないと思う」
「役目だからしてるだけ」
「だって、私はそういうのしたことない」
「お仕事したことない」
「働きたくないでござる」
「はっはっは! もしかすると、師匠もそういった魔物の事情を知っているかもしれぬな! ささ、師匠の住む庵まではもう少しかかる! のんびりサクサク向かうでござる!」
「はいっ!」
「おー」
自然に埋没した旧時代の建造物と、そこで生きる人々が新たに築き上げた力強く活気に溢れた街並み。
心なしか嬉しそうな様子のカギリを先頭に、三人はあまりにも独特すぎる京の街を、てくてくと歩いていったのであった――
――――――
――――
――
「わぁ……――」
「すごい」
「きれい」
「ひろい」
それから一時間ほど。
あれだけいた人の姿もやがてまばらになり、街の喧騒からも離れた頃。
いくつかの森と川を越えた先で突然広がった光景に、ユーニとリーフィアは思わず感嘆の声を漏らす。
数十段程の石階段を登った末に現れたのは、見事に手入れが施された美しい庭園。
騒がしさとは無縁の、静寂と木々の息づかい、そして流れる水の音。
すでに夏を終え、間もなく冬を迎える時期。
根を広げた雑木は思い思いに枝葉を広げ、美しく赤に染まった紅葉をもってユーニ達を出迎えた。
だがしかし、とうに落葉の季節にも関わらず庭に積もる葉はまばらだ。
それはつまり、この庭園が今現在も〝主〟によって丁寧に管理されていることを意味していた。
そして――
「――ようカギリ。久しぶりだな、そろそろ来る頃かと思ってたよ」
「……師匠っ!?」
そして、ユーニがその庭園の美しさに目を奪われたのとほぼ同時。
奥に見える質素な平屋から、白紅の着物を着こなした一人の美しい女性が現れる。
「この方が、カギリさんの……」
その女性の姿を見た瞬間、ユーニは思わず息を呑んだ。
長く艶やかな黒髪と黒い瞳。
凜とした横顔に柔らかな笑みをたたえた美しい相貌。
すらりとした長身に、女性らしさを感じさせるしなやかな体躯。
ユーニは、確かにその女性に見覚えがあった。
聖域でアルシオンが彼女に見せた過去の光景。
その中でアルシオンに痛烈な言葉を投げかけ、去って行った小柄な少女――
あれから、かなりの年月が経っているはず。
にも関わらず、同性であるユーニから見ても美しいと感じた少女の容姿は、年を経てより美しく研ぎ澄まされていた。
しかもそれだけではない。
過去の彼女からは全く感じられなかった人としての優しさ、暖かさすらも、今のオウカからははっきりと感じられたのだ。
「師匠……っ。せ、拙者は……!」
「なんだなんだー? 久しぶりに私に会えて感動しちゃったかー? んー?」
オウカはそのままつかつかとカギリ達の前までやってくると、まずユーニとリーフィアにそれぞれ頭を下げる。
そして再びカギリをまっすぐに見据えると、そのまま何も言わず、彼の体を優しく抱きしめた。
「あ……っ」
「う、あ……? し、師匠……っ?」
「よく戻ったな……心配したぞ、カギリ」
「っ……――只今、戻りました……師匠」
そうして――静かに抱擁を交わすカギリとオウカ。
カギリのすぐ隣に立っていたユーニは思わず出かかった声を抑え、その光景から目を離せず――しかし同時に、今すぐ目を逸らしたいという無自覚な思いにも駆られた。
それは、確かな絆で結ばれた師弟のような。
深く思い合う親子のような。
互いに愛し合う恋人のような。
いずれにせよ、二人が並大抵の関係ではないことを感じさせるに十分な抱擁だった。
やがてオウカはその身をカギリから離すと、改めてユーニとリーフィアに視線を向ける。
「悪い、待たせたな。久しぶりにカギリに会えたもんだから、私も嬉しくてさ」
「あ……いえ! そんなこと……っ!」
「はじめまして」
「私はリーフィア」
「星を見るのが好きなリーフィア」
「よろしく」
「ゆ、ユーニ・アクアージです」
「私はオウカ。もう聞いてると思うけど、カギリの師匠で育ての親だ。いつも弟子のことを支えてくれてありがとな。カギリの師として、私からも礼を言わせてくれ」
それは、オウカが姿を現わしてから都合二度目の礼。
弟子であるカギリのために躊躇なく頭を下げるその姿からは、もはやユーニが知るかつての少女の刺々しさは微塵も感じられなかった。
「さてと……立ち話も何だし、二人も遠慮せず入ってくれよ。私が知ってることで良ければなんでも教えてやるからさ! ちょうど美味い魚もあるんだ!」
「お魚?」
「ピーマンはなし?」
「セロリは許さない」
「あはは! リーフィアは正直でいいな! セロリもピーマンもないから、安心していっぱい食べてくれよ!」
「うむ! ならばユーニ殿、拙者達も行くとしよう!」
「は、はい……! お邪魔、します……っ!」
そうして。
オウカに促され、ユーニはもう何度目かも分からない心のざわつきを抱えたまま、庭園の奥へと歩みを進めた――。
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