壱 故郷

断章 彼女の初め


 彼女――〝オウカ・シン〟が初めて人を殺めたのは四歳の頃。


 彼女と寝床を共有していた、家族でも血縁でもない名も知らぬ女が、別の男に殺された時だった。


 彼女は自分も殺されてはたまらぬと、そばに落ちていた錆びた短刀を背後から男の心の臓に突き立て、躊躇なく息の根を止めた。


 その後、彼女が初めて名有りの魔物を倒したのは五歳の頃。


〝なにかの王〟と名乗っていたことしか覚えていないが、彼女は持っていた刃こぼれだらけの刀でその魔物を真っ二つにした。


 彼女にとっては、人を殺すのも魔物を殺すのも何も変わらなかった。

 

 彼女に害を与えようとする存在は、誰であろうと敵。

 それが、彼女が物心ついた時に唯一学んだ知恵だった。


 当時――かつて日本と呼ばれ、今は日の本と名を変えた極東の島国は戦乱に覆われていた。

 日の本には多くの旧時代技術が現存していた。それを奪おうと、近隣諸国から大規模な侵攻を受けていたのだ。


 国は荒れ果て、人々は飢えていた。

 もはや日の本は国の体をなさず、現地の抵抗勢力が必死に大陸からの侵攻を防いでいる有様。

 

 そんな国で育ったオウカにとって、人も魔物も等しく〝エサ〟だった。

 人を殺せばその所有物が手に入り。魔物を殺せば食い物になる。


 地獄のような世界。

 しかしオウカは、それを地獄だと思ったことは一度もなかった。


 なぜなら、オウカは強かったからだ。

 彼女は、生まれながらにして途轍もなく強かった。


 武装した人間の軍隊も、魔物の群れも。

 どちらもまだ五歳か六歳かという年のオウカの前に、次々とほふられた。


 彼女の強さに理由はない。

 なんの特殊能力もなく、特別な力を操ることもない。


 ただひたすらに、とにかく彼女は強かった。

 誰にも負けず、屍の山を築き続けた。


 殺戮の先で手に入れた染色される前の純白の着物が、人と魔物の返り血で赤く染まっていくのが好きだった。何かを斬れば斬るほど、いつも違う模様になるのを見るのが好きだった。


 そんな――あまりにも凄惨な景色が彼女の全てだった。


 だがしかし。

 歪みきった彼女の幼少期は、ある時期から転機を迎える。


「お前ら、なんでわたしについてくるんだ?」


「あ、あんたは強い……! とんでもなく強い……! 俺達を、あんたの仲間にしてくれ! 頼む!」


「……好きにしろ」


 いつ頃からか、彼女の周りには人が増えた。


 ある者は庇護を求めて。

 ある者はおこぼれを得ようと。

 ある者は彼女の強さを笠に着ようと。

 またある者は、彼女の強さに惹かれて。


 孤独を失い、人との関わりを手に入れた彼女は様々なことを学んだ。


 人と魔の違い。

 世界の理。

 それまで欠落していた人としての感情。


 本来のオウカは、誰よりも素直な心根を持っていた。


 誰よりも素直だったからこそ、この地獄のような日々を疑わず。

 生きるために他者を殺めることを疑わなかったのだ。


 生来の素直さを人との関わりの中で発揮した彼女は、徐々に社会性や仲間を大切だと思う感情を育てていった。


 あまりにも長い孤独と、おぞましい原体験による心理の歪みはオウカの心に深く根を張っていたが、それでも彼女は、まだギリギリ人の輪に戻ることが出来たのだ。


 そんな彼女が、人との関わりの中で最も嫌ったのが〝嘘〟だった。


 嘘をつかれたと知れば年相応に悔しがり、大粒の涙を流して非難した。

 時には激怒したあげく、仲間を斬り殺す寸前にまでしたこともあった。


 子供そのものの素直さ。

 世界の残酷さを全く疑わず、闘争を心から喜ぶ狂暴さ。

 そして、人なら誰しもが慣れていく嘘に激怒する純粋さ。


 それら歪な心を小さな体に抱えたまま、やがて強すぎる彼女はこの世界を管理する〝神〟に目を付けられた。


『私は〝連なる星のカナン〟……貴方をイレギュラーと定め、排除します』


「ハッ! 面白い――やれるもんならやってみなッッ!」

 

 突如としてオウカの前に現れたのは、美しい銀髪をなびかせ、赤く輝く〝紅の瞳〟を持った魔物だった。

 星の名を冠し、人と変わらぬ青年然とした姿のその魔物は、当時十歳になったばかりのオウカと三日三晩に渡って死闘を繰り広げた。そして――


「へへ……お前なかなかやるな! でも今回は私の勝ちだっ!」


「行動……不能。これ以上の戦闘継続は不可能と判断……ゲフィオンとの交信……途絶……記憶領域に重大な障害……」


 オウカは勝った。


 彼女は知らなかったが、相手は星冠と呼ばれる最強の魔物の一体。

 しかしオウカは苦戦しつつもそれに勝利し、倒すことに成功したのだ。


「安心しろよ。お前は魔物だけど、とっても強かったから殺さないで助けてやる。おい、お前ら! こいつに手当してやれ!」

 

「ま、マジですかオウカさん!? マジで魔物を助けるおつもりで!?」

「しかも、こんなヤバいほど強い奴を!?」


「ばーか。だから助けるんだろ! こいつがいれば、これからは私も退屈しなくてすみそうだからなっ!」


「救助の意志を確認……緊急措置として、今後は貴方の指示に従います」


「んー? そいつはいい心がけだな! なら、早く元気になってまた私と戦えよ! あははは!」


 彼女にとって、人も魔物も結局は同じ。

 その認知は変わっていなかった。


 カナンと名乗ったその魔物はやがて回復し、オウカの忠実な側近として常に彼女の傍に付き従うようになる。


 最強の魔物の一柱に、その魔物すら打ち倒す少女。


 この二人に対抗できる存在は当然ながら日の本にも、日の本を襲った大陸の軍勢にも存在しなかった。


 皮肉なことに、戦乱と地獄から生まれたオウカはやがて、その圧倒的な力で全ての外敵を滅ぼし、日の本に平和を取り戻していた。


 敵の消えた故郷。

 特に望んでもいなかった平和。

 手に入れた仲間。


 そしてそうなったからといって、オウカの心には感慨も、感動も、感傷もなかった。


〝ただそうなった〟というだけの退屈な景色に、オウカが苦痛を感じ始めた頃――


「――にゃははは。まさか噂の〝鬼〟が、こんなに可愛い女の子だったなんてねぇ! まーじでびっくりだわ。一目惚れしちゃったかもっ!」


「はぁー? なんだおめー?」


 平和を取り戻し、戦乱から復興へと歩み始めた日の本の外れ。


 仲間と共に退屈な時を過ごしていたオウカの前に、彼女と変わらぬ年頃の一人の少年が、輝くような笑みを浮かべて訪れたのだった――。


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