二人で見た夢
懸命に。
清く。
正しく生きていれば。
嘘をつかず。
人を助け。
真っ直ぐに生きていれば。
きっと救われる。
たとえ貧しくとも。
食べるものもなく、腹を空かせていても。
神様はきっと見ていてくれる。
きっと、いつか救いの手を差し伸べてくれる。
敬虔な聖教会の信徒……というよりも、一般道徳として聖教会の教え以外を知らなかったティアレインの母は、いつもそう繰り返し彼女に教えていた――
「クク……ッ! クハハハハハ! アハハハハハハハハ! どこだ!? どこにいる!? 私とお母様を苦しめる悪者はどこだー!? この〝立派な勇者ティアレイン〟が、私達を虐める悪い奴は皆殺しにしてやるぞー! アハハハハハハハッッ!」
目を覆いたくなるような光景だった。
遙かなる空の果てまで続く光の柱。
その近傍に現れた巨大な紫色の炎。
それは、その身に望んだ通りの絶大な力を宿したティアレイン。ティアレインはアルシオンから与えられた刻印によって、自身が望むままに力を増大させることが出来る。
しかし今。ユーニとの戦いの中で制御を失った彼女の心は、その身を焼き尽くすほどの力を求めた。
運命の勇者ユーニを遙かに上回る力の代償に、彼女の身心は崩壊を始めていたのだ。
「見て下さいお母様……! 立派な勇者になったティアの姿を! これでもう、私達がお腹を空かせることも、寒い冬に辛い思いをすることもありません! これからはティアが……見事勇者になった私が、お母様を幸せにしてみせますっ!」
「ティアレインさん……っ!」
「んん……!? 見つけたぞ悪者め……っ! お前だな……? お前が私とお母様を虐める悪者だなッ!? よーし、私がお前を倒してやる!」
先ほどまでの濁った瞳ではない。まるで美しいガラス玉のように澄み切った瞳。
子供のように無邪気な笑みを浮かべたティアレインが、上空から自身を見下ろすユーニを視界に捉える。
それと同時。彼女の周囲で渦を巻く膨大な力が収束し、それはまるで彼女自身の苦しみと、彼女が今も追い求める夢を具現化したかのような、美しい天使の翼と、禍々しい悪魔の羽をその背に形成した。
「フフフ……! アハハハハハ! 覚悟しろ悪者……! この世界と人々を傷つける者は、この私が許さないッ!」
「……――
「私の正義の剣、受けてみろ――!」
――彼女の家は、貧しいという度を超えていた。
極貧を強いられるベリンのスラムでの暮らし。
その中でも更に底辺が、ティアレインと母の暮らしだった。
本来であれば、母にはティアレインを養う余裕などなかった。
しかしスラムの者としては非常に珍しく、彼女の母はティアレインを捨てず、懸命に育てた。
どんなに貧しくとも、ティアレインが笑顔で暮らせるように彼女の分も日々働いた。
彼女が今でも覚えているのは、ある日母が大はしゃぎで持ってきた一枚の紙切れ。それは、破れて剥がれ落ちた勇者募集のポスター。
そこには、勇者となった者の華々しい活躍と共に、勇者候補生として入学を許可された者への三食の保証や、学問の無償提供など、貧しい親子にとって夢のような待遇が書かれていた――
「――
「だっはああああああああああ――ッ!」
激突。
世界全てを焼き尽くすかのようなティアレインの炎。
そして壊れた笑み。
ユーニは、そのどちらからも目を逸らさず。
自らの持つ全ての力を解放。翡翠の粒子を纏い、四本の光剣を従えた最後の戦型を取ると、正面からティアレインの剣を受け止めた。
「死ね……! 死ね、悪者! お前が死ねば、私は立派な勇者になれる! お母様を助けてあげられるッ! 今ならまだ……あの〝雪の中から〟助けられる……! だから死ね、死ねッ! 死ねぇええええええ! 悪者オオオオオオオオオオ――ッ!」
「く――ッ!?」
ユーニの光が砕ける。
圧倒的な勢いで襲い来るティアレインの炎に、ユーニの最終戦型は一撃で押し負け、弾丸のような勢いで遙か直下へと吹き飛ばされる――
――ティアレインの母に学はなかった。
母は優しく、ティアレインのことを心から愛していた。
だがティアレインと同じく極貧に生まれ育った母は、ティアレインと同様〝何も知らなかった〟。
あるのはただ、聖教会の教えだけ。
ベリンのスラムという限定された世界で、なんとかその日を生きるための知識だけ。
勇者となれる者がほんの一握りであることも。その試験がいかにハードルが高いものであるのかも、全く知らなかった。
果たして、ティアレインが試験に合格することはなかった。
一年が経ち、二年が経ち、五年が経っても。
ティアレインは一度も二次試験にすら進めなかった――
「――あぐっ! ぐ……っ! うあ――あああああああああっ!?」
「どうだッ!? どうだどうだどうだ!? 私は強いだろう……!? 誰だ、私のことを馬鹿にする奴は……!? 私の母様を馬鹿にする奴はどこだ!? 私は強い! 貧しくても、お腹が空いていても、何も知らぬポンコツでも強ければ……! 勇者になれさえすれば――!」
防戦一方のユーニの体を、ティアレインの刃が何度となく打ち据える。
ユーニはその手に握りしめた聖剣を自身の血で濡らし、従える光剣を必死に操ってティアレインの猛攻に耐える。
そうして耐えながら、ユーニはそれでもティアレインを見ていた。壊れ、無防備になったティアレインの心から溢れる叫びに耳を傾け、その中にある想いを真っ直ぐに見ていた――
――やがて母は、勇者とは別の救済を知る。
ベリンから遙か北の果て。
聖教会の総本山である聖域にさえ行けば、どんなに貧しい者でも施しを受けられるというのだ。
聖教会の教えは知っていたが、各地に点在する教会に信徒として所属していなかった母は、すぐさまティアレインを連れて聖域へと徒歩で旅立った。
ベリンから聖域へと続く巡礼列車が、聖教会の信徒であれば金がなくとも〝誰でも乗れる〟ことすら知らずに――
――愚かであること。
弱者であることは罪ではない。
なぜなら――貧しくも懸命に生きていたこの親子には、この世に生を受けてからただの一度たりとも、学ぶ機会はおろか、より良く生きる知恵すらも与えられなかったのだから。
しかし、確かにそれらは罪ではないが、厳しい現実となって親子を苦しめ続けた。
あらゆる救いの機会を時には運無く、時には自らの愚かさ故に失い続けた親子は、当然のように聖域へと辿り着けずに力尽きた――
「――あ……ああああああ……!? ま、待って……待って下さいお母様……っ! 死なないで……すぐに私が、この悪者を倒しますから……! お母様が見たがっていた、立派な勇者になりますから! だから、お願いですから死なないで……! 死なないで……お母様あああああああああああ――ッ!」
この親子に罪はなく。
力も、知恵も、救いもなかった。
愚かさ故の自業自得だと、蔑む者の目にすら止まらず。
ただ世界の片隅に生まれ。誰にも知られぬまま、弱さ故に消えるありふれた命の一つだった。
「お前を倒して……今度こそ私はお母様の願いを叶える……! 誰よりも立派で……優しい勇者になるんだからアアアアアアアアア!」
もはや剣技も何もない。
ただ溢れる力に任せた連撃に弾かれ、全身傷だらけとなるユーニ。
しかし彼女は、それでもその瞳に翡翠の光芒を宿して聖剣を構える。
(もし……僕がみんなと会っていなかったら……っ)
すでに、ユーニの覚悟は決まっていた。
そして、今ここで自分に何が出来るのかも分かっていた。
(僕だって……もしみんなと出会っていなかったら、きっとここにはいなかった……。ティアレインさんの言うように、逆の立場になっていたかもしれないんだ……)
魔物によって最愛の両親を失い。
幼いユーニを包んでいた全てを失ったあの日。
あの時、もし運良くベルガディスと出会っていなければ。
ユーニもまた、勇者としての道を歩むことはなかっただろう。
今の彼女のように強く、正しくいられた保証などどこにもない。
ユーニはただ一人で強かったわけではない。
大勢の人々に支えられ、運にも恵まれて強くなったのだ。だから――
(まだ間に合う! まだ、僕に出来ることはある――!)
「死ね――! 私とお母様のために――ッ!」
炎が迫る。
必死に形成した翼も甲冑も、身に余る力の余波で崩壊させたティアレインが、ユーニ目がけて狂った刃を突き出す。
だが、しかし。
「――っ!」
「やった――っ!」
交錯の瞬間。
ユーニはその両手を夜空に広げ、戦型すら解除してティレインの刃にその身を晒したのだ。
「あ、ぐ……――っ!」
ユーニの腹部から鮮血が溢れる。
意識を飛ばす程の痛みと、一瞬で全ての力が抜ける喪失感が同時に襲い、ユーニはその双方に耐えるべく歯を食いしばる。そして――
「やった……のか……? ついに、私が悪者を倒した……? 勇者……! 私が勇者に……お母様ぁあ!」
ユーニを仕留めたと確信し、ティアレインの〝炎が消える〟。
大気を震わせるほどの力が嘘のように霧散し、ティアレインの体を蝕んでいた〝崩壊が止まる〟。
「よかっ……た……」
「え……っ?」
腹部を貫かれているにも関わらず、ユーニは自ら踏み込んだ。
そして――柔らかな緑光をその身に宿したまま、まるでティアレインを守るようにして手を伸ばし――優しく抱きしめたのだ。
「立派ですよ……もう貴方は……何度も、立派に沢山の人を守ったじゃないですか……傷つけてしまった人もいるけど……それでも……貴方は沢山の命を助けてきたんです……」
「な、なんで……? どうして、ユーニくんが……? 私は……お母様を……っ! お母様に、見て欲しくて……っ!」
「大丈夫です……貴方はもう、本当に立派な……貴方のお母様が願った通りの……とっても優しい勇者です……だから、もういいんです……ティアレイン……さん……――」
「私が、勇者……? ああ……ユーニ君……っ」
それは、あまりにも優しい翡翠の光だった。
互いに血と涙を流す二人はそのまま離れることなく。
やがて眼下で輝く聖域目がけ、光に包まれて落下していった――。
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