勇者の涙


 世界を救う。

 みんなを守る。


 運命の勇者ユーニは、それだけを考えて生きてきた。 


 千年に一人の天才と。

 人類の運命を背負う救世主だと。

 

 絶望に覆われた世界を救ってくれるはずと誰からも言われ。

 ユーニはその言葉全てに笑顔で頷き、そのためだけに戦い続けてきた――


「――なぜだ?」


「なにが、ですか……?」


 いつの間にか、白い雪が降っていた。


 光信塔から伸びる光に照らされた雪はキラキラと輝き、傷ついたユーニと、彼女を抱えて膝を突くティアレインの元に落ちていく。


「なぜ私を助けたのだ……? 私は、この手で君の大切な人々を傷つけた……命すら……奪ったというのに……っ」


「…………」


 そのティアレインの言葉に、ユーニは視線を遙か彼方の空に向ける。

 そこには、ちぎれた雲間から見える星の光と、それと交差する雪の光


 ユーニがティレインから受けた傷は、他ならぬティアレインによる懸命な手当と、ユーニ自身が持つ勇者の治癒力によって落ち着きを見せつつあった。


 危険な賭けではあったが、歴戦の勇者でもあるユーニは自らの命を無為に捨てるようなことはしない。

 先の最後の攻撃を受けたのも、ティアレインの一撃が最も致命傷を避けやすい軌道を描くまで耐えた先の挺身だった。

 ユーニは、自分とティアレインが共に生きる道を確かに見据えていたのだ。


「……ティアレインさんが、僕にとって大切な人だからです。立派な人だって、素敵な人だなって……あの列車の中でお話しして、一緒に戦って、そう思ったんです……」


「そんなことで……? なぜだ……なぜ君はそう思える……? なぜ君はそうも強いのだ……っ?」


「ティアレインさん……」


 ティアレインに支えられたユーニの頬に、一つ、二つと涙が落ちる。

 

「はっきりとは思い出せない……しかし、今の私は……君のお陰で〝こうなった〟のだろう……? 君が自分の身を挺して、私を救ってくれたのだろう……っ?」


 ユーニを抱え、大粒の涙を零し続けるティアレインの瞳に、もう狂気は宿っていなかった。


 だが――だからといってその瞳に影がない訳ではない。


 その蒼い瞳には、かつて巡礼列車でユーニが見たティアレインとも違う、深い〝苦悩と後悔〟の色がはっきりと宿っていた。


「分からないんだ……っ! 君のことを放っておけない……心から感謝する気持ちはいくらでも沸いてくる……! なのに……それと同じだけ君を憎いと……私を助けた君に、強い憎しみも感じているんだ……ッ! なんで……どうしてこんな私を助けた……っ! どうして……君はそんなにも強いままでいられるんだ……!?」


 問われ、ユーニは静かに瞳を閉じる。


 それと同時に、閉じたユーニの瞼にティアレインの涙がこぼれ落ち、まるでユーニが涙を流してるかのように、彼女の頬を伝った。そして――


「僕は……そんなに強いですか……?」


「え……?」


「先生は、僕を数百年に一度の天才だと言っていました……ベリンのみんなも、偉い人達も……沢山の人が、僕なら世界を救えるって……きっとみんなを守れるって……そう言ってくれました……」


 ――ユーニは、周囲からの期待に押し潰されるような存在ではない。


 教えられたことを誰よりも素直に実践し。

 期待が大きければそれに応え。

 励まされれば、それをそのまま受け取って何倍もの力にできる。


 優れた才能と力が自らにあることも、彼女は疑問なく受け入れた。

 ティアレインのように、ユーニのようになりたくともなれなかった者達の思いも、自分は一緒に背負っているのだと早い段階から自覚していた。


 だからこそユーニは、まだ子供と呼べるような歳でありながら命がけで戦った。自分に力があるのなら、そうではなかった人達の分まで自分がやろうと。


 なにより――自分が救いたくとも救えなかった両親の命。

 その喪失の苦しみを、もう誰にも受けさせたくないと思っていた。


 そうして、ユーニならきっと世界を救えるという人々の言葉を信じ、それを現実にしようと必死に魔物と戦い続けてきた。しかし――


「でも、駄目なんです……っ。僕がいくら一人で頑張っても……ぜんぜん……駄目なんですよ……っ」


 ユーニの純心。


 自分ならきっと世界を救える、人々を守れるという思い。

 彼女の持つ素直さが抱かせた、希望に満ちた夢。

 子供じみた高慢さ――


 それは、すでに〝粉々に打ち砕かれていた〟。


 世界最強。人類最強と謳われる運命の勇者――ユーニ・アクアージ。

 彼女が勇者として魔物と戦い初めてから、すでに三年。


 世界は良くなるどころか、魔物の被害は増大の一途を辿るばかり。


 ユーニが必死に何万という数の魔物を滅ぼし、無数の王冠の魔物や、何体かの神冠の魔物すら、ボロボロになって討ち果たしたにも関わらず。


 人々の悲しみと苦しみは減るどころか、増える一方だったのだ――


「もう……僕にも分かってるんです……っ。僕だけじゃ……どんなに頑張っても世界を守る事なんてできない……! 絶対に守りたいと思った人の命だって……満足に守ることは出来ないんです……っ!」


「ユーニ、くん……」


 そう。ユーニは――世界を救うと誰からも期待された勇者の少女は、とうに〝挫折していた〟のだ。


 戦えば戦うほど。自らの弱さが見えてくる。

 大勢の人を守れば守るほど。守れなかった命が積もっていく。


 昨日笑みを交わした命が。

 明日また会おうと約束した命が。


 そのどれもが、ユーニの力の及ばぬ場所であっけなく消えていく。


 自分には、世界を救うことが出来ない。

 みんなの命を守ることも出来ない。


 立ちはだかる現実にユーニは打ちのめされ、必死に答えを求めて、いつ終わるとも分からぬ闇の中で剣を振るう日々だったのだ。


 あの日――


 あの燃えさかる村の中で。

 おかしな〝ござる口調の侍〟に救われる、あの時までは。


「本当に嬉しかったんです……ティアレインさんが一緒にやろうって……二人でみんなを守ろうって、そう僕に言ってくれたのが……。だって……僕だけじゃ無理だから……っ。どんなにみんなが僕を強いって言ってくれても……僕だけじゃ、みんなを守れないんですよ……っ。そんなの……当たり前じゃないですか……っ!」


 もはや、ティアレインから受けた涙ではない。

 ユーニ自身の涙をその瞳から流し、彼女はそう訴えた。


 破壊神に敗れたユーニが、カギリによって救われた物――それは、命だけではない。

 

 自分の知らない世界を。

 見たこともない強さを。

 学べなかった覚悟を。

 

 あの時のカギリは、ユーニが闇の中で見つけた光だった。

 それ程までに、当時のユーニは追い詰められていた。


 そしてだからこそ、カギリやティアレインがユーニに一緒にやろうと。

 一緒に戦おうと言ってくれたことが、どれだけの救いだったのか。


 その存在がどれだけユーニを支え、彼女を強くしたのか。

 ユーニはティアレインを見つめたまま、そう正直に伝えた。

 

「もし僕のことを強いと感じるのなら……それはティアレインさんや、僕を支えてくれる大勢の皆さんのお陰なんです……。ティアレインさんが生きていてくれて、本当に良かった……」


「っ……! ユーニ……くん……っ。すまない……っ。本当に……すまないことをした……私は、君に……っ! 本当なら、こんな………――っ」


「いいんです……ティアレインさんが無事なら、それで…………だから――」


 段々と勢いを増す雪の中。

 ユーニを抱え、縋るようにしてティアレインは嗚咽を漏らした。


 ユーニはそんなティアレインの背にそっと手を回しながら、その視線を再び遙か上空――星と雪の夜空へと向けた。


「だから――お願いですから、どうか貴方も無事に帰ってきて下さい……カギリさん……」


 ユーニの澄んだ翡翠の瞳が見つめる先。


 そこには――激しく輝く七色の極光と紅蓮の雷光が、未だ止むことなく明滅していたのだった――。

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