第18話夢の中
天使と私だけになった部屋で、何をするでもなくぼんやりしていると、唐突に天使が話しかけてきた。
「夢だと思う?」
「え、今、ですか?」
「そう」
「……はい」
天使……だってそんなの、存在するはずないもん。
「人間って、どれだけ自分が不確かな存在か、なんて、考えないものなのね」
「え……」
「いえ、なんでもないわ。答えにたどり着いた人はまだいないみたい」
「わかるんですか?」
「ええ。この空間自体がそのためのものだから……」
そう言うと天使はバサッと翼を広げ、部屋の入口でこちらを振り返った。
「さぁ、私達も探しに行きましょう。先導はお任せするわ」
私は腰かけていた台から降りて、廊下に出た。どちらに行こうか。皆の姿はどこにもない。
自分はもう死んでいるかもしれない。確かに最初に聞いたときはびっくりしたけど、知らないうちに違う世界へ行けたなら、それはそれで悪いことじゃない気もする。
眠りに落ちたときなんて、皆無防備で、確かなことは言えないはずだ。
ひょっとしたら私かもしれない……。
「天使さん」
「なに?」
「死んだらどうなるの」
天使はフフフと品よく笑った。
「ごめんなさい。あなた達のことはわからないの」
それは、宗教的なことだろうか……。階段を上りながら髪を引っ張る。
「でも、この夢の主を迎えに行くって言ってませんでしたか?」
「そう。特別にね」
「いいな……」
天使はくるりと、何色とも形容しがたい宝石のような目を私に向けて笑った。
「そんな年で何を心配しているの? 詳しくは知らないけど、あなた達だって人間なんだから正しく生きれば大丈夫よ」
私と同い年か、へたをすれば年下に見える羽根の生えた少女は、そう言って私を諭した。
スピーカーが雑然と置かれた部屋に入る。部屋の大きさに合っていないような……。きっと音を出せば、とんでもない音響効果だろう。
何気なく見て回ると、隅の壁が、少しめくれてみえた。触れると一部外れる壁になっており、手を型どったパネルが表れた。念のため右手で触れてみるが、反応はなかった。
「貸してみて」
天使が細くて繊細な掌をパッと広げると、ガタゴトと壁が大仰に動いた。
目の前に薄暗く、陰気な鉄格子が表れ、右手にトイレ、左手の奥に小さな浴槽らしきものがあった。
「え……何、これ」
鉄格子は来る者を拒む冷たさで、中の孤独を増長させていた。
まるでケーキ屋に並ぶショートケーキのような形で、真っ白な壁と無垢なフローリングが奇妙な生活感を漂わせていた。
一段高くなった奥のフローリングに詩門がちょこんと座っている。
「詩門君、どうやって入ったんだろう……」
天使が鉄格子に向けて右から左へ腕を動かすと、ガガギギギと、鉄格子も開いた。
詩門はうつむいていて表情は読み取れない。私は彼の右隣に腰を下ろした。天使は少し離れて足を崩す。
「お姉ちゃんの大切な人は?」
「え?」
突然の問いかけに聞き返すと、詩門は真っ直ぐ私の瞳を覗き込んだ。
「大切な人だよ、自分よりも」
「……私には、そんな人……」
情けない声が出た。詩門は続けて尋ねる。
「お姉ちゃんは世界から閉じ込められていた?」
「……ううん……」
詩門はふう、と息を吐いた。
「お姉ちゃんは夢から目覚めなければいいって、思ったことなんかないよね」
「あるよ」
自分でも大きな声が出て驚いた。何もない場所なのに、声だけはよく響く。
「私は怖がりなんだ。世界はたぶん、私のことを受け入れも、拒みもしない。皆自然と溶け込んでいく。それが当たり前みたいに。でも、私にはそれができない。自分が特別だからとかそんなんじゃない。世界もびっくりするほどの不器用なんだよ。だから、大切な人もできない。閉じ込められていなくても、同じこと、なんだよね」
独り言みたいに口を突いて出る。詩門は同意も否定もすることなく、ただ黙って聞いていた。馬鹿だと思っているだろうか。
「あそこの窓から空が見えるね」
ふと見上げた先に四角い小さな世界が見えた。夢の中で青空を指差していることが、なんだかおかしく思えた。
「たまに虫が遊びにくるんだよ。蟻とか蝶も」
「虫かぁ、ちょっと苦手だな」
まるで自分の家に来た友達の話をするような詩門の言葉を、受け止めきれずにいた。
夢の中なのに、少し開いた窓から柔らかな風が私と詩門の間を流れた。
「僕なんだ」
「……なにが?」
「きっと僕なんだよ」
空間が小さな地震が起きたように、僅かに震えた。
天使が後ろでバサバサと翼を広げて立ち上がった。両掌で器を作るようにして口の前に掲げると、ふぅと息を吹きかけた。
すると私と詩門の目の前に、他の皆が姿を現した――。
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