第17話過去の君

 得体のしれない人達と別れ、今一度建物内を見て回る。

 この顔のない体にもようやく慣れた。

 広い吹き抜け、楠に夕顔が絡み付いている。

 夕顔……花言葉は罰だったような。パティオのその光景は、癒しよりもこちらを責めるような息苦しさを感じさせた。

 部屋の並んだ廊下を進む。こちらは床に所々青い正方形の模様がある。向こうは赤色。推測だが、こちらが男性用で、向こうが女性用なのではないか。

 全ての扉のドアノブを回してみた。空いたのは向こう側の一室だけだった。軍隊のような鉄筋二段ベッドが二つ、申し訳程度の洗面台、トイレ、小さなシャワー室。ベッドには手鏡やくしが散らばっていた。左手の二段ベッドの下段に、男の写真が入った写真立てが倒れていた。これといって何の特徴もない男。明後日の方向をむいて、腕を後ろで組んでいるようだった。

 なんとなしに持ち上げると、ひらり、もう一枚の写真が落ちた。拾って裏返すと、そこには無邪気という言葉がぴったりの女の子と、あの、二人の見雪小冬とそっくりのロングの女性が微笑んでいる写真だった。

 ――その写真を見たとき、もっとふさわしい感情があったはずだが、私に浮かんだのはあの人の香水の匂いだった。

 トロフィーの展示されたケースの前を通り、教室の連なる廊下を渡りながら思い返す。

 どうして毒を盛られたなどと考えたのか――。恥ずかしい話が、百何年と生きて初めての大恋愛を経た恋人を信用しきれていなかった自分に驚いた。あれから、彼女に会っていない。子どもができたことも、弟から伝え聞いた始末だ。こちらからなにも連絡しなかったのは、その子どもが、自分ではなくあの男の子どもではないかと、彼女とその子の存在も訝っていたからだった。

 そんなこと、一神という男の時代ならまだしも、私の時代ならどこにいても一瞬でわかってしまうというのに、調べる気力もなくほったらかした。

 夢の中でやっと冷静に、客観的になれたなんておかしな話だ。男と連絡を取り合い、たまにランチを食べていた、それだけの話じゃないか……。

 無意識に二階へ足を踏み入れていた。目の前には巨大なスピーカーが設置された部屋。その隣から、バチバチと、火花の散るような音がする。

 覗いてみると、一神が部屋の中央の椅子に座り、頭に電極が大量に取り付けられたヘルメットと、大袈裟なゴーグルのようなものをつけて体を小刻みに震わせていた。

 部屋には脈絡のない映像が流れている。人身事故、揉める家族、あの写真の男、捨てられたロボット、交通事故……。


「何をしてるんです、勝手に装着して、どういった影響があるかわかったものではないというのに」


 声を張り上げても、部屋に響くバチバチという音や、映像に合わせた大音量の効果音のせいで、声がかき消される。

 私は部屋を見渡し、それから一神が握っている手の中のものをみて、ひったくり、スイッチを反対側にスライドさせた。

 ブレーカーが落ちたような重い音がして、映像は消えた。


「あ、ちょっと何するんすか」

「何じゃないでしょう。こんな訳の分からないものを生身で試すなんて、全くどうにかしていますよ」

「動画製作者魂っすよ。舐めないでもらっていいっすか」

「舐めてるんじゃなくて、呆れているんです……」


 昔の人が考えていることはわからない。私達の時代にとんだ遺産を残した無責任な人達だが、考えてみれば、彼らがいなければ私達も存在しなかったのか……。


「これ、すごいっすよ。嫌なこと丸ごと吹っ飛びそうっす」

「嫌なこと? 何の悩みもなさそうなあなたにも忘れたいことが?」


 一神は顔を顰めてから、小さくボソッと言った。


「そりゃあるっすよ。だってどいつもこいつも勝手なことやっては、勝手にいなくなるんすから」


 一神の言葉に、声が出なくなった。ゴーグルを外した一神がこちらを見つめる。よく見るとまだ子どもの幼さが残っているようだ。


「どうしようもないじゃないっすか。勝手にされちゃうと。でもそうさせたのも、勝手な俺じゃないかって、なんかいろいろ考えちゃうんす。ほんっと勝手なヤツばっか……」

「君のせいではないですよ」


「へ?」とヘルメットを持ち上げた一神が言う。若い頃の自分と似ている気がするのは気のせいか?


「君以外に勝手を許してくれる人がいなかったんですよ」

「――そう、だったんすか?……」


 一神はどこか遠くを見ているようだ。私はまた、彼女のことを思った。

 ――と、一神のもう片方の手に、小さな袋が握られているのが目に入った。


「――それは?」

「あ、これっすか? なんかそこに置いてあって」


 一神は他のヘルメットが置かれた台を指差した。袋の中には、何やら怪しげな乾燥した葉っぱが入っている。


「まさか、使ったんですか?」

「え? ……いやいや、使ってないっすよ、さすがに。何かヤバいっぽいじゃないすか、それ。それ吸い込んだのが原因とか?」

「……オーバードーズということですか……?」

「いや、だから吸ってないっす!」


 一神がバタバタと暴れてゴーグルが飛んでいった以外、何も起きなかった。

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