第12話私の考え

「つか、職員ってなんすか」

「私は研究所で生活しているから。ね、ウブラン」

「つかウブランってなんすか」

「何って、ウブランはウブランだけど。ね、ウブラン」


 一神と香菜を尻目に、天使は悩まし気に手の甲を顎に当てた。


「ここで一体何が起きたのかしら……」

「でもここって誰かの想像かもしれないんですよね」


 私は天使に勇気を出して話しかけてみた。


「ええ。でも想像にしては、この場所への思いが強くて……。具体的でしょ。こういうものも……」


 天使は硝子ケースの中に視線を巡らせる。なにか力になりたくて、周囲を見渡す。ケースの隣はトイレ、その横はエレベーター、階段と連なっている。

 私がここに来たとき通った反対側を歩く。守衛室には防犯カメラのモニターがいくつか、マイクにボタン。飲みかけのコーヒー。その向こうはこちらを警戒するような小さな格子窓がついた扉がある。だけど開かない……。


「貸してごらんなさい」


 天使がそっと手を触れたので、慌てて自分の手を引っ込めた。天使が触れると、ドアノブは音もなく開いた。

 中は重厚な印象のベルベットのカーペットに楕円形の木製テーブル。いかにも偉い人が座る用の椅子が六脚――。


「おお、なんすか、その部屋。VIPっすねぇ」


 一神が覗いてくる。


「何か落ちてるよ」


 もう一人の私は、そっとテーブルを回り、少し引かれたままの椅子の近くで屈んだ。


「ネクタイだよ、なんでこんなところに落ちてるのかな」


 私も近寄って見てみる。白地に赤と青のスラッシュが交互に引かれていて、あまり趣味は良くない。


「おや、ずいぶんよれていますね……」


 いつの間にか父川がネクタイを拾って両端を引っ張っている。

 ――ぐらりと視界が揺れた。嫌なことを思い出した。

 微睡みはじめて、ちょうどふんわり浮いたような気分になっているときだった。

 突然首に圧迫感を覚えて驚いて目を開けると、酒の匂いがする息を吐き出しながら、血走った目の母が私に馬乗りになっていた。

 母はほとんど白目を剥いていた。とにかく息をしないと。私の頭はそれだけになった。母の顔めがけて腕を振ったり、腹を膝で蹴ったりして暴れた。


「ほらみなさい……あなたは自分勝手なのよ……いつもいつもいつも……あなたがいなければとっくに……」


 母は掠れた、けれど地獄の底から聞こえてきたような低い声でブツブツ言うと、フッと、唐突に我に返ったような顔で、私を見下ろした。

 私も黙って母の目を見返した。

 母は無言で私からおりると、亡霊のように、そのまま部屋を出ていった。

 それから数年後、離れた部屋で眠る母と養父を、あの時の母のような顔で私は見下ろしていた。何を思って二人の部屋に行ったのかは覚えていない。たぶん、眠れなかったんじゃないかな……。

 幸せそうに、心の隅に巣くう不安など、なにもないような顔をして眠る二人を見ていると、無性に腹が立ってきた。

 それはフツフツと沸き上がり、足の先から頭のてっぺんまで身体を熱くした。

 私は養父のクローゼットから、するりとネクタイを一本抜き取った。それから再び二人の元に音もなく忍び寄り、二つの顔を見比べた。五秒ほど考えて、養父の首にスッとそれを通した。起きたらどうしよう、なんて全く思わなかった。不思議だけど、起きないとわかっていたみたいに。どうして母にしなかったのか、よくわからない。ただたんに、養父が私側に寝ていたからかもしれない……。

 そっと両端を結び、するすると結び目を首に落とす……。

 このまま絞めれば、養父はどう反応するだろう……。私のように、苦しむだろうか。私を殴るだろうか――。そういえば、この養父は私に直接手を出したことはなかったな……。でもだからって、クソガキと言われ続けることに甘んじる必要が――?

 母は、きっと物凄く怒って、物凄く悲しむだろう。それはきっと私が死ぬよりも……。


「ううーーん」


 静止していた世界が、母の呻き声で動き出した。私は危うくネクタイごと尻餅をつきそうになった。ハッとして我に返る。あの時の母のように。

 ――どうしてこんな人のために、私が手を汚さないといけないの――。

 ネクタイを元に戻し、振り向かずに部屋を出た。


「誰かに、恨まれてたんじゃないかな……」


 無意識に呟いていたようで、父川がはっと、顔……脳を上げる。


「これで、首を絞められた、と?」

「え……いや、わからないですけど……」


 私は髪を引っ張って、落ち着こうとした。もう一人の私の視線を感じるけど、顔は上げられない。


「――いえ。なんの反応もないわ。たぶん違うようね」


 天使は、はぁと息をつき、フワリと部屋を出ていった。

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