第9話天使
自由に人間の夢の間を飛び回る。大人はあまり夢を見ないか、見てもつまらないものが多いから、子どもの夢に入りこむ。
私と一緒に空を飛んだり、悪者を倒したり。迷宮に迷いこんだ子どもの手を引いて、悪夢から救いだしたこともたくさん。
私の友達は、そもそも人間界に興味がなくて、お喋りしたりお茶会を開いたりする子達か、起きている人間にイタズラをして、面白がる子達のどちらかだ。
だけど、私は夢が好き。寝ている間にも力を使うわけだから、当然学校では居眠りをする。このときは本当に眠っている。そうすると、先生が親に注意をする。そして、私は怒られる……。
「マーガレット。これで三度目だ。人間の夢で遊ぶのはやめろと言っただろう」
「ごめんなさい……。でも、あの子、誰かに殺されそうになっている夢をみていて、私が助けてあげたのよ」
「言い訳をするんじゃない。人間に影響を与えるのは危険なんだぞ」
私はうっすら涙を浮かべる。パパに怒られるのは慣れている。パパは私の涙に弱いのだ。
「うむ……。とにかくほどほどにしなさい」
「あなた! 甘やかしてはいけません。パシンと罰してやらないと、堕天使になっては大変です!」
ママは掌で空を切る。ママは私の演技にいつも気づく。やっかいだ。
「叩くのはいかん。それでは叩かれたことしか記憶に残らん。なぁ、マーガレット」
「あなた! 叱っている相手に同意を求めてどうします!」
「もうしません。だから叩かないで……」
私は目が潤んでいるのを意識しながら、胸の前で指を組んだ。
「むむ。行ってよい」
「あ、ちょっと待ちなさい、マーガレット! もう、あなたったら」
ママから逃げて、自分の部屋に駆け込む。姉さんが呆れた顔で振り向く。黄金の流れるような髪をとき、静かな湖畔を思わせる瞳の姉さんは、私の憧れだ。姉さんに導かれる死者は、皆初めて太陽の光を浴びたような顔で、天国の扉を跨ぐ。兄さんとは大違い。
「マーガレット、またママとパパを困らせたわね。お二人は天国の維持や、悪魔との話し合いでお忙しいのよ」
「姉さんには関係ないわ。それに人間もいい夢を見たいでしょ?」
「あのね、悪夢にも意味はあるのよ。それに、もう少ししたら、あなたも見習いになるのよ。お転婆は卒業して」
私は「はーーい」と生返事をした。姉さんは一つ小さな溜め息をついて、仕事に出掛けていった。
近頃は変わった国の子ども達の夢に、よく遊びにいく。私が「天使だ」と言ってもピンとこないような顔をして、恐れることもなく、すぐに仲良くなれる。
その子達は緑の茶をよく飲み、お祈りをするときは十字架をきるのではなく、胸の前で掌を合わせて祈る。
昼間に叱ったことなど、すっかり忘れた様子のパパと、まだ怖い目で私を睨んでいるママ、それに五人の兄弟姉妹とともに夕食を囲みながら、今日はどんな子の夢だろうと考えた。
寝床で目を閉じると、人間界に意識を集中させた。人間界の空に漂う煙を吸い込むイメージだ。
やがて、ちょっと掴み所のない、フワフワした煙を見つけた。
近寄って触れてみる。それから思い切り吸い込んだ。引き寄せられるように、周囲が渦を巻く。やがて景色が鮮明になり、私はどこかの建物の天井から、ピアノの上に落下しそうになった。慌てて翼を広げ、フワリと降り立つ。
「誰かいるの? 出ていらっしゃい」
呼び掛けるが、答える声はない。
おかしい……。まず夢をみている本人に出会うものなのに……。
嫌な予感がした。これは夢なの――。
宇宙に放り出されたみたいに静かで、底の知れない不気味さに包まれている。
確かに夢のはず……。掌をかざすと透けて光を通しているから。
吹き抜けの横目に建物内を見渡す。開放的な造りのはずだけど、息がつまるような圧迫感もある。
ここは現実に存在する場所なのか、それとも誰かの夢の中での想像か……。
入口は開かない。二階には扇形の両端にある階段で上がるようだ。
「ねぇ、誰かいないの」
もう一度大きな声で問いかけるが、いくら待っても返事はない。
出よう……この夢は嫌い……。
目を閉じて、意識を体に戻そうとする――。
「――あれ。戻らない……おかしいわ……」
焦る気持ちを落ち着かせるため、翼を出して、くるりと回転する。大丈夫。落ち着いて――。
もう一度目を閉じ、小さく飛び立って、ストンと落ちた。いつもなら最悪、これで目覚める。しかし――。
「まさか、これって……」
降り立った場所はさっきと何も変わらない。
考えられることは二つ。一つは悪魔の罠だけど、悪魔の気配はないから違う。ということは――。
囚われてしまったんだ、誰かの悪夢に。
そしてその悪夢の主は……。
「誰?」
声が聞こえた。さっきの吹き抜けの場所辺りだ。二階に向かいかけた足を戻し、声の方へそっと飛び立つ。
複数人いるようだ……。混乱は避けたほうがいい。しばらくは本当のことを伏せておいたほうがいいだろう……。
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