第5話少年の話
「おじいさん、お話をして」
僕の朝はおじいさんのお話で始まる。
僕の頭のずっと上、背伸びをしても、ジャンプをしても全然とどかない小さな窓から、お日様が僕達に手を伸ばす。
「おぉ、だいぶ葉が落ちたなぁ。空が高いわ。そんな季節か」
「去年は見れなかったけど、今年は見えるかなーー鱗雲」
「そうじゃのぉ」
おじいさんに教えてもらった鱗雲は、魚の鱗みたいにつぶつぶなんだって。
「あ、朝ご飯だ! 取ってきてあげるよ」
おじいさんは足を痛めている。腰も良くないみたい。だから、あまり動けないんだ。
僕は人をかき分けて、パンを二つ腕に抱き、隣の列から水を二パックとり、最後に運良く、サラダのカップも一つ貰えた。
「ほら、おじいさん。サラダ好きでしょ?」
「お前さんが食べるんじゃ、野菜は大事じゃ」
「僕いらないよ」
「なら半分ずつじゃ」
パンをちぎって食べ終わると、おじいさんが不思議な身のなる木の話をしてくれた。その木は、ある男の子と友達で、会えた日の翌日は実を二倍につけ、会えないと、翌日の実は半分になっちゃうんだって。
「おじいさん、二倍ってなに」
「お前さんはいつも、ワシに食べ物をとってきてくれるじゃろ」
「うん」
「本当はお前さんのだけでいいはずじゃろ」
「そうかな」
「そういうことじゃ」
「え、わかんないよ」
おじいさんは人差し指を立て、にゅっと中指も立てた。
「二倍じゃ」
「じゃ、次は三だね」
「いいや、二つずつ増えるんじゃ。だから二の二倍は四じゃ」
「どうして?」
「決まりだからじゃよ」
おじいさんは腕を下ろした。
呻き声がする。またあの人、自分を叩いている。
僕より少し大きい人が、部屋をいったりきたりしている。
この部屋は三角形っていう形に近いんだって。
おじいさんが言ってた。ちょっとチーズみたいなんだって。でも僕はチーズを知らない。
「お前さんはここしか知らないからのぉ。これからも、きっとのぉ。可哀想に」
おじいさんはそう言って、いつも眉尻を下げる。
僕は可哀想の意味がよくわからなかった。
おじいさんが言うには、外の世界は壁で囲まれたりしていないんだって。
おじいさんが言うまで、僕らの部屋、これが世界だと思っていた。
たまに虫が入ってくるんだ。部屋に見えないほどの小さな穴が開いていて、僕らに会いにくる。
だから僕の世界の向こう側に、なにかあるのは気づいていたけど、会いに来てくれるのは虫たちだけ。おじいさんに教えてもらった。蟻でしょ、ハエでしょ、そう、一度、あの窓から蝶が入ってきたことがある。一日に三回、空気を入れ替えるとかで、窓が開くんだ。
その蝶は夜の色を集めたような羽で、窓から注ぐ光に笑いかけるようだった。
外の世界を知りたいと思ったのは、その時が最初。
「どうして僕らは、外の世界に行けないの?」
「そりゃ決まりごとを破ったからじゃ」
「決まりごとって?」
「ワシは食い意地が張るからの」
おじいさんはそう言って笑った。
「それは悪いことなの?」
「いいや。だがここでは禁止されとる」
「僕も禁止されたことをしたの?」
おじいさんは僕をじっと見つめた。さっきから仰向けになった人が、足を折り曲げたり伸ばしたりして部屋中を巡っている。
「いいや。お前さんは何も悪いことなどしとらんよ。悪いのは……」
おじいさんは僕の右目に触れた。見えなくても手の温もりは伝わる。
「お前さんの母さんは、まだ目が覚めぬか……」
「母さんって?」
「お前さんを産んだ人じゃよ」
「産んだって?」
おじいさんは目を丸くしてから、口許を緩ませた。なんだかおじいさんが透けてみえる気がして、腕をつかむ。ちゃんと僕の隣にいる。
「お前さんがここにいるのは、母さんが産んだからじゃ」
「へぇ。おじいさんもそうなの?」
「もちろんじゃ。虫も同じじゃ」
「そうなんだ。母さんはどこにいるの?」
「お前さんの母さんはすぐそこにいるはずじゃ」
おじいさんは俯いて言った。僕も俯いてみる。おじいさんの服は僕の真っ白な服より皺が多くて黄色い。おじいさんは
「そりゃ、ワシは年寄りで、お前さんより長く着とるからの」
って笑った。
「お前さんが産まれるには、父さんもいるんじゃ」
「父さん? 二人いるの?」
「そうじゃよ。父さんと母さんから産まれるんじゃ」
「父さんはどこにいるの?」
おじいさんは顔をあげて、僕をフォークで突き刺すように見据えた。
おじいさんじゃないみたいで、僕はたじろいだ。
「お前さんの父さんも近くにおる」
「どうして会えないの?」
「そりゃ……の……」
一呼吸おいて、おじいさんは部屋にいる人達をぐるっと見渡した。
「お前さんの父さんが、お前をここに閉じ込めたからじゃ」
そう言うとおじいさんは、お日様の光に顔を半分照らされて、僕の髪を撫でた。
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