第4話もう一人の見雪小冬
「小冬、今回も成績優秀で。ね? 学年トップとはいかないけど」
「なに。それぐらいが可愛いんだよ。よーーし、今年の冬は小冬の好きな所へ行くか!」
「ほんとう? ありがとう、パパ」
絵に描いたような、温かな家庭。ママは料理が上手で、お弁当の卵焼きには毎回違う中身が入っている。今夜は包み焼きハンバーグ。洋食屋さんみたいにフォークとナイフで開いて食べる。パパは本当のパパじゃないけど、そんなことどうでもいい。だって、本当のパパはここにいないんだから。私を実の子のように思ってくれている。
「このデミグラスソース、うまいなぁ」
「でしょ? 勉強したのよ?」
これ以上なにを望むの? でしょ?
私はそんなに夢を見る方じゃなかった。小学生の頃は学校のあと、よく友達と遅くまで遊んだ。自転車に乗って、近くのモールまで行ったり。
母は当時一人親で、確かに家にはほとんどいなかった。でも時間が許す限り私に尽くしてくれた。
「学校は? 大丈夫なの?」「お友達が持ってるのに、小冬が持ってないものはない?」「参観、行けなくてごめんね」
そうやって心配されるごとに、「大丈夫だよ。心配しすぎ」と笑った。
友達が用事で一人のときも、私はマンション周辺をぶらぶらとして、おばさんと話したり、手伝ったりして身体を動かした。だから夜はぐっすり眠って、夢なんて見ないまま、朝を迎えるのが常だった。
いつから……? そう、パパが出来たときから。よく、夢を見るようになったのは。
楽しい夢が多い。空を飛んだり、ママやパパと出掛けていたり。でもね、たまに怖い夢をみる。毎回同じような迷宮に、囚われたように逃げ惑う夢。女の子がいて、私は必死にその子を手を引く。振り返っている時間はなくて。
運良く隠れる場所を見つけたら、二人で息を整える。その子の綺麗な膝小僧が見えた。顔も見てみたいけど、見てはいけないような気がして、その子の爪先ばかり見つめる。そんな時その子は口笛をよく吹いた。聞いたことのないメロディーや、よく知ってる歌を。
こんなことがあった。家族で夏に旅行へ行った。シュノーケリングは初めてで、ワクワクしていた。ママの準備が遅くて、パパと先に海に浸かりながら待っていた。
「ママより先に、ちょっと覗いてみるか」
パパはそう言って、ゴーグルのついたマスクを被った。だから私も真似をして、少し水中へ顔を浸した。フィンに馴れなくて、足元が覚束ない。砂が波の満ち引きにしたがって、ゆっくりと揺れ動いていた。貝や海草がゆらゆら踊っていて、ますます先が楽しみになった、その時――。
口に水が入ってきた。飲み込んで、潮の味にむせる。ゴボゴボと咳き込んで、鼻で息をと思うが、マスクで塞がっており出来ない。
パニックだった。手足をバタつかせる。どうしよう、落ち着いて、海水を口に入れちゃだめ! とにかく口を閉ざす。息が続かない。まだ浅瀬。立てる。マスクをとって。その間、一分も経っていないだろう。だけど私にはずっと長く感じられた。
激しく咳き込み、マスクを放り投げた私を父は笑って見下ろした。
「ハハハハ、慌てるからだぞぉ」
朗らかな笑顔。そうかな。私、慌てていたのかな……。
こんなこともあった。初めてのスキー。三人で一通り滑り、母が、「ちょっと休憩!」と休憩所に歩いていったとき。
「小冬ともう一滑りしてくるよ」
私も疲れていたけど、パパのはしゃぎ具合につられてついていく。リフトを降り、乗り場から出ようとすると、パパが肩を掴んだ。
「もう少し上に行こう」
それで、さらにリフトで登ることになった。私はもちろん初心者で、ママに着いていくので精一杯だった。
乗り場から出ると、パパは無言で背を向けて滑り降りた。私は慌ててついていく。みるみるパパの背中は小さくなり、スピードも上がって、私は派手に転けた。口に血の味が広がった。でも、血ではなく、雪の味だった。
助け起こしてくれる人はいない。体勢を立て直すのに苦労していると、近くを通った女性に助けられた。「大丈夫? お家の人は?」私は答えなかった。ただ、身体を支えてくれた女性に礼を言い、下手に動かないよう注意して、物のように滑り降りた。
「ハハハハ、やっと来たな! パパは待ちくたびれたぞ」
大きな口で笑って、私の頭を撫でる。
「もう、十分でしょ? 寒いわ。ホテルに戻りましょう」
「そうだな。小冬はまだ足りなそうだが、楽しみは取っておくのがいい」
ママにそう言って、私の背中をポンと軽く押した。
別に、大したことじゃない。どれも、幸せな家族の一場面だ。私はママもパパも大好きで、二人も私を愛してくれている、そうだよね?
それでも悪夢の中の、あの女の子は辛そうで、悲しい空気に包まれている。私はそんなあの子に共鳴する自分が許せなかった。
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