第2話ここは……

 一日の中で一番安らぐ時間。小学生のときから使っているベッドに腰かける。今日はあの人、帰ってこないみたい……。よかった。目覚ましをセットする。本当は、目覚めたくなんかないけど――。そうだ、このまま……このまま目覚めなければ……いいのに――。

 だんだんとまどろんでくる。ベッドも床も突き抜けて、地面の奥へ埋もれていくような――。


 あ、また学校だ……。でもなぜかいつも、小学校。私、もう中学なのに。これは夢。わかっている。学校はしんとしている。でも人がいないわけじゃない。声は聞こえないけど、理科室を覗くと生徒が授業を聞いている。たまに見る夢。

 ――でも、なんだかいつもと違う。なにが違う? 不安になってきた。どうして?

 夢は癒しを与えてくれるものなのに……。

 私は逃げる。何から――? でも何かが追ってくる。そんな気がする。すれ違う生徒が怪訝な顔を向けてくる。なにも言わずに。階段を下りる。廊下を走る。先生が大きな口で怒ってくる。声がなくても、私に向けられたものだとわかる。どこまで行けばいいの? 図書館は……閉まっている。職員室で助けを……だめ。鍵が開かない――。

 そうだ、来客用のエレベーターに。これは、大人か車椅子の子しか、乗ってはいけないと先生が言っていた。でも、今は仕方ない、よね。

 ちょうど扉が開いている。急いで乗りこむと、私を待っていたように、ひとりでに閉まった。

 ――え……下りてる? 下の階なんて、もうないのに――。降りないと! 途中で笑顔で話をしているらしい、二人の生徒が見えた。助けて! 扉を拳で叩くが、全く気づいていない。先生も、私と目が合ったはずなのに、腕を組んで知らんぷり。どうして――。

 ガクン、とエレベーターが止まる。扉が開く。ここは――音楽室の前? でも、少し、学校とは雰囲気が違うような……。

 恐るおそる、降りてみる。左右を見渡すけど、誰もいない。左は行き止まりだから、右の廊下を歩く。長い廊下……たくさんの部屋がある。外からは見えない部屋が多い。でも教室みたいな部屋もある。ちょっと広い空間に出た。どうやら入口……みたい。でも、ドアノブを回しても動かない。

 ――声がした。ハッと振り返る。奥から聞こえてくる。パティオの向こう。回り込むと、談話室のようだった。人がいる。いち、に、六人。いや、人なのかな……。


「うわ! びっくりしたーー。新入りじゃん、また来たっすよ」

「あ、えっと……」


 耳にかかる髪を引っ張る。夢の中で人と会話するなんて初めてだ。いつもの夢なら、誰も話しかけてこないのに。


「え、なんか、似てないすか。二人。顔一緒っすよ」


 その男の人が私と、窓際で白木の椅子に腰かけた少女を交互に見やる。確かに、そこには、私と瓜二つの少女がいた。


「かわいいね」


 その少女が言った。私に向けられた言葉だと理解するのに時間がかかった。


「髪型。お人形さんみたい」

「え、そうすか? 別になんもしてないすけど」


 男の人がかわりに返事をした。少女の髪は私より少し長めのショートボブ。「あなたの方が可愛い」とは、恥ずかしくて言えなかった。

 吹き抜けになっている、扇形の開けた空間。レストランみたいに、丸テーブルと椅子がまばらに配置されている。パティオには太い木に、蔓が巻き付いて、白い朝顔が咲いていた。


「夕顔ですね」


 さっきとは違う、男の人の声。誰? 誰が喋ったんだろう。


「その白い花です。その木は、クスノキかな」


 皆、口を開けていないように見えるのに……。口? そうだ、一人、口がない人がいる。そちらの方をゆっくり振り返る。水槽の中に脳ミソが浮かんでいる。脳ミソにはいくつかチューブが繋がっている。それが頭。なぜか、頭と体は繋がっていない。プカプカ浮いているのだ。でも、真下にあるんだから、彼の体だと思う。くたびれたスーツ姿。


「あなた、名前は?」


 入院服のような淡いブルーの服を着た人が尋ねる。彼女は隣にいる人型ロボットに抱っこされている。


「見雪、小冬です」


「一緒だ!」と笑う少女の声。尋ねた彼女は、ロボットとひそひそ話をしたあと、私に顔を傾け、「香菜。こっちはウブラン」と素っ気なく言った。


「あ、私は父川永新です」


 口のない人から声がした。


「俺、一神眞秀っす」


 と自分に人差し指を突き刺して、さっきの男の人が言う。


「君も、挨拶しましょう」


 もう一人の私が、さっきから一言も口を利かない男の子に言った。

 彼は俯いたまま、足をブラブラさせている。右目に眼帯をしている。


「さぁ、ほら。お姉ちゃんも見雪小冬だって」


 もう一人の私は、椅子から立ち上がり、少し離れたところに座る彼を覗き込んで言った。振り返り、私に手招きする。私も真似て、彼をそっと覗き込む。すっきりした顔立ちの子だ。


「しもん。鬼石詩門」


 彼はボソッと呟いた。「よくできました!」ともう一人の私がほめる。

 ――もう一人の私って、なんだろう。

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