ホワイトドリーム

昼星石夢

第1話みなさん、こんばんはーー

「はい、どうもぉ皆さんこんばんわーー」


 俺以外だれもいねぇ部屋で、カメラレンズに向かって話しかける。


「じゃ、前言ってたように、これから異世界行ってくっから。戻らなかったらこの動画が最後になるな! いつもの時間に予約してっから。みんな、いいねと、チャンネル登録、よろしくなーー」


 言ってから、戻れなかったら動画をアップロードできないことに気づく。っち、めんどくせーー、まぁいいか。

 カップ麺のゴミを置きっぱなしにしていたせいで、小バエがちょこまかと飛んでいる。

 典型的な1LDKは水を打ったような静かさだ。まるでこの世に、俺しかいないみてぇな。そう考えると、自分が随分と滑稽に思える。


「えーーと、手順は前に言った通り。まず、落ち着いた環境で寝る準備」


 普段は隣の和室で寝るが、動画を撮るときは居間でと決めている。ソファに身を投げ、肘掛けに足をのせる。照明を薄暗くする。

 あ、まずい。薬飲んでねぇ。床に放り出した薬局の袋から、薬の入った紙袋が覗いていた。でも、まぁいいか。もう横になっちまったし。

 外で新聞配達のバイクが排気ガスをふかしている。くだらねぇよな、俺がやってること。腕で目を覆いそうになる。――いけねぇ。俺は今、役者なんだ。誰がなんと言おうが、俺は俺が信じたことを――。


「それから深呼吸を三回、その後目を閉じて、迷路をイメージ」


 声に出してから、イメージを創り出す。迷路……調子が悪いときは意識しなくてもよくみる夢だ。いつも廃病院のような場所で一人、出口を探している。あんな場所をわざわざ思い浮かべるなんてごめんだ。もっと明るくて、宝物が隠されているような夢を――。


「迷路を進み、出口にたどり着く。その先は――」


 ちゃんと言えているかわからない。集中させてくれ。俺は開放的な森林を進んでいる。馬鹿でかい木が視界を遮っている。右へ左へ、俺は心のままに、気ままに進む。邪念が入り込んではいけない。そう書いてあった気がする。考えてはいけない。本能の赴くまま……。

 初めはなにも感じなかった迷路に、音が加わる。葉が風にそよぐ音。俺以外の生命が、傍にいるような音。風を感じる。湿気を含んでいる。匂いも。緑の鋭い香りが鼻腔を刺激する。

 出口なんて存在するのか? これは迷路の概念に当てはまるのだろうか……。失敗しちまったかな。まぁ、いいだろう、それはそれで検証動画にはなる。

 落ち葉の重なる土を踏みしめ、諦めかけたそのとき、二股の分かれ道に突き当たる。なぜか俺は躊躇した。何故だ――?

 片方は日が斜めに差し込んでいて、俺を強烈に誘う。もう片方は、さらに鬱蒼としており、いかにも悪夢が始まりそうだ。おい、迷ったらいけねぇんだろ。でも、どうなんだ? 誘うあの道は、おそらく目覚めの道だ。勘がそう言ってる。なら従うのが正解か? だが、このまま目覚めては、ただの男の睡眠動画じゃねぇか。全く面白くねぇ。……考えちゃ……いけないんじゃ……。

 俺は迷った。心の思うまま、ってなんだ。行きたいほうってことか? 行くべきほうってことなのか……? あぁ、ダメだ。思いっきり邪念が入っちまってる。こうなりゃ自棄だ。どうせ、失敗なんだから。

 俺は暗がりへ足をむける。もう引き返せない、そう感じた。ひしひしと地面から冷気が漂い、木々の後ろから誰かが見ている気がする。止めときゃよかった……。


「なんだ? 巣穴か?」


 行き止まりにある、ひときわ年輪を重ねた太い木の根元に、大きめの穴が開いている。


「おい、俺はアリスじゃねぇぞ」


 誰にともなく呟いている。穴があったら覗きたくなるのが人情だ。しゃがんで穴に顔を突っ込んでみる。よく見えねぇ。だが俺の体じゃ入れねぇな。そう思って上体を起こそうとした、その瞬間――。

 にゅるっと腕が、襟首を掴む。ヒェと、情けない声が出た。ものすごい力で、穴に体を持っていかれる。


「入らねぇ! 入らねぇって!」


 俺が言っても聞こうともしない腕は、俺の顔、関節のあちこちに傷をつけるのをやめない――。


(おい、体ヤバい。めっちゃ震えてる)

(こわっ、反りあがったよ、骨大丈夫なの)

(ガクンってなった。今、ガクンて)

 俺が異世界に送り込まれた瞬間の動画には、こんなコメントが千もついていた。

 ――成功だ。


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