とある准教授のフィールドワーク

小野寺かける

①●葬以外を禁ずる村

 これは僕がとある村に行ったときの話だ。


 大学で民俗学を教えている都合上、僕はよく各地の習俗や文化について耳にする機会がある。

 全国の葬送について講義したあとだった。一人の生徒が近寄ってきて、至極不思議そうな顔で言ったのだ。

「火葬なんて文化、今の講義で初めて聞きました」

 現代日本では火葬が主流と言っても過言ではない。だというのに、彼は全く知らずにいたらしい。

 興味を引かれて詳しく聞けば、彼の出身地では別の方法で故人を送り出すという。すぐに地元の名前と住所を訊ねて、僕は一週間もしないうちにそこへ足を運んだ。

 場所の詳細は伏せたいと思う。今もそこに暮らす住人たちのプライバシーに配慮してのことだ。また村の正式名称についても、同じ理由で明かせない。

 ひとまず今回の話ではA村としておこう。

 A村は鬱蒼とした山の奥にあった。電車やバスが通っておらず、自家用車か自転車、徒歩でしか訪れることが出来ない。まるで外部の侵入を拒んでいるようだった。

 僕は土がむき出しの道を歩いて目的地に向かいつつ、村での葬送方法について想像を巡らせた。

 火葬以外となると、真っ先に思いつくのは土葬だ。現代において禁止されてはいないし、世界に目を向けると土葬を推奨する宗教もある。日本の一部にも土葬の習慣が残る地域がわずかながらあるため、生徒の地元もその一例と考えられた。

 その他に水葬、樹木葬、鳥葬などもあるが、果たしてどれだろう。興味と好奇心に胸を躍らせながら、僕はようやく木々を抜けてA村にたどり着く。

 山の斜面に沿うようにちらほら民家が点在しており、小さな商店らしきものもある。田畑とそこを耕す村人も見つけたが、見ず知らずのよそ者が話しかけたところで不審がられるだけだろう。

 僕はあらかじめ生徒から村長の名前と住所を聞いていたし、訪問することも電話で伝えてあった。寄り道せずに、まずはそこを目指さなければ。

 道すがら村を観察したが、墓地らしきものは見当たらない。目があった村人たちは一様に不審感をあらわにして、ひそひそと声を交わし合っていた。

 村長の家は民家が連なった先の頂点にある。日本家屋と聞いて思い浮かべる立派な家がどんと構え、裏手には森が広がっていた。猪や鹿が飛び出してこないか、少し期待して待ったけれど無駄だった。

 呼び鈴を押した後、現れたのは八十代以上と思われる男で、自分が村長だと名乗った。痩せぎみで腰は曲がり、落ちくぼんだ眼窩には影が落ちて骸骨じみていた。一方で瞳は生命力に満ち、鋭い眼差しからよそ者に対する警戒心が伝わってくる。

 僕は風通しのいい南向きの部屋に通され、突然の訪問を詫びてから村に来るに至った経緯を告げた。

 一通り話を聞いた後、村長は腕を組んで言う。しわがれた声には不愉快さが滲んでいた。

「火葬なんて野蛮な葬り方、うちの村では禁止されてるよ。遺体を燃やすなんて、そんなの故人に対する敬意もなにもないじゃないか」

 ではこの村ではどうやって埋葬しているのかと問う。村長は「なんでそんなに知りたいんだ」と訝りながらも続けてくれた。

「食うんだよ」

 一瞬、自分の耳を疑った。

 食うとは、故人を、だろうか。

 遺灰や遺骨を食す葬送手段もないわけではない。A村もその事例だろうと見当をつけたけれど。

「例えば儂が死んだとする。儂の肉は葬儀中に儂の家族が食べるんだ」

 なにを不思議がることがある、とでも言いたげに、村長は眉をひそめていた。

 内臓はもちろん、目玉や骨の欠片まで、故人の遺体は全て親族の胃に収められるという。髪だけは形見として遺しておくそうで、村長は亡き妻のものだというそれを見せてくれた。

 A村での故人を食べる――〝食葬しょくそう〟の文化はいつからあったのか。僕はそう訊ねた。

「さあ、知らんよ。昔からこれが普通だ。逆に聞くが、あんたは火葬がいつからあったのか分かるのかい」

 僕は返答に窮した。日本書紀などの文献を参考に答えることは出来るが、そういった歴史に残されなかったものも含むとなると難しい。

 話題を切りかえて、僕は墓地について言及した。どうやら無いわけではなく、村の一画に設けてあるらしい。不躾を承知で案内してほしいと頼んだが、渋い表情で断られてしまった。

 というのも村長は足腰が悪く、斜面の多い村を歩き回るのが厳しいからだ。

 代わりに紹介されたのは、村長の孫だという少年――B君だった。中学二年生くらいだろうか、幼さの残る顔立ちながら目つきや口もとがどことなく村長に似ている。彼が墓地まで案内してくれるようだ。

「あんた、ナントカ大学の教授なんだって?」

 さくさくと土を踏みつつ、B君は振り返りもせず訊ねてくる。正確には教授ではなく准教授だと訂正したが、「ふうん」と彼はどうでも良さそうだった。

「なあ。都会ってどんなところ? 人がいっぱいいるんだろ。美味いものもあるの?」

 あれこれと訊ねてくる姿は、各地の風習に興味を持つ僕と同じだ。墓地まで案内してくれる礼も兼ねて質問に答えてやれば、B君は憧れに満ちた吐息をこぼす。

 彼は一度もこの村から出たことがないらしい。学校に通っていた時期もあるが、いじめが原因で通うのをやめたという。

「オレの父ちゃんと母ちゃんが三年くらい前に事故で死んだんだ。だから食べたんだって友だちに話したら、冗談言うなとか、気持ち悪いとか頭がおかしいとか言われてさ。次の日から話しかけても無視されるし、教科書隠されたりしたから、行くのやめた」

 なるほど、B君の学友たちにとって〝食葬〟は異端だったのか。

 つまりこの文化はA村の外に残っていない可能性が非常に高い。学友たちは火葬が当たり前の認識で育ち、B君の行為に恐怖を覚えただろう。

 彼も村長同様に、火葬を野蛮と捉えていた。

「だってひどいだろ。体を燃やしちゃったら、死んだ人が誰の中にも残れないじゃん。――着いたよ。そこがお墓」

 そう言ってB君が指さしたのは、視界いっぱいに雑草が広がる原だった。近くに木製の看板があり、〝A村墓地〟と記されてはいるけれど、墓石も卒塔婆もない。

 看板には注意事項も書かれていた。

 一つ、決められた期間以外は立ち入らないこと。

 一つ、立ち入る際はむやみやたらに歩き回らないこと。

 一つ、食葬以外は全て禁ずる。

 現在は〝期間外〟とやらのため、足を踏み出しかけたところで制された。

「葬式のあと、ここに余った髪の毛と彼岸花の球根を植えるんだよ」

 髪は球根に巻きつけられ、土の中に埋められるという。村で亡くなった者の分は全てここにあるそうで、時期になれば墓地いっぱいに赤い花の絨毯が広がることだろう。

「ここに入っていいのは花が咲く時だけなんだ。それ以外だと、どこに球根が植わってるか分からないから」

 確かにこれといった目印があるわけでもなく、開花時期からかなり外れているため、花の存在感は全くない。看板さえ無ければ荒れ放題の空き地と思われそうだ。

 しかしなぜ髪以外の部分は食べ、髪は球根と共に植えるのか。

 先ほどB君は「死んだ人が誰の中にも残れない」とこぼしていた。僕がそれについて訊ねると、彼は墓地の一点を見つめて口を開く。

 視線の先には、両親の分の花があるのかも知れない。

「祖父ちゃんが言ってた。人間が一番記憶に残しやすいのは〝におい〟なんだって」

 だから食べるんだ、と。

 なんの繋がりもなさそうな言葉を呟いて、B君は自分の腹を懐かしそうに撫でた。

「人には人それぞれでにおいがあるんだ。父ちゃんと母ちゃんも全然違った。父ちゃんはちょっとくさかったけど、母ちゃんは甘くていい香りだった。そうやってその人のにおいや味を覚えておくと、思い出もいつまでもオレの中に残るんだ」

 食べなければにおいも味も記憶に残らず、故人と過ごした日々も月日が経つにつれ忘れてしまう。誰もが忘れてしまった時こそ、故人が本当の死を迎える時なのだ。少なくともA村ではそう伝えられ、だから村人は死んだ家族の肉を食う。

 一般人から見ればかなり歪な思考だ。B君の学友同様に拒否感を示すに違いない。

 けれど彼らにとっては、食葬こそ最適な葬送手段なのだ。僕はそれを闇雲に否定する気はない。

 ふと疑問が湧きあがり、僕は看板にある三つ目の注意事項について訊ねた。

 わざわざ「食葬以外を禁ずる」と書くということは、村人の誰もが受け入れているわけではなく、他の手段を提案した何者かが居たのだろうか。

「十年くらい前かな。余所から引っ越して来た人がいて、しばらくしてその人のお母さん――まあオレから見たらだいぶお婆さんだったけど――が死んで、遺体を燃やそうとしたんだ」

 しかし村に火葬場はない。どうすればいいかと村長に聞きに行ったところで、噂を聞きつけた村人たちが集まってきた。

 村人たちは「なんてことをするんだ」と批判したが――引っ越してきた何者かをC氏と仮定して――C氏も「人を食べるなんてあり得ない」と抵抗した。

 火葬しようとするC氏と、止めようとする村人による騒動は、C氏が死去したことで幕を閉じたそうだ。

 あまりに突然の展開に、僕はB君にC氏の死去について詳細を求めた。

「オレも全部知ってるわけじゃないよ。あとから人づてに聞いた部分もあるから、正確じゃないかもしれない。とりあえずそれを話すと、その人、殺されたらしいんだ」

 誰がやったのかは分からない。単独犯か、複数犯かも。

 村人は誰もC氏を憐れまなかった。「村の規則を守らないからだ」とむしろ嘲る声もあったそうだ。

〝郷に入っては郷に従え〟ということわざがある。C氏がなぜ村に越してきたのか不明だが、この地の一員となった以上、恐らくは風習を守るべきだったのだ。

 C氏は母親と二人暮らしだったため、すでに死んでいた母の遺体とともに、C氏は葬られた。村人の誰かが食べたのかと思いきや、僕の予想は外れた。

「誰も余所者のことなんて覚えておくつもりなかったし、ぶつ切りにして山に置いておかれたんだって。次の日には無くなってたみたいだから、猪にでも食べられたんじゃない? とりあえずそのあとに、祖父ちゃんが注意書きを足したんだってさ」

 言葉にこそしなかったけれど、B君は「ざまあみろ」とでも言うように口の端を歪めていた。

 A村は限界集落、もしくはその予備軍だ。C氏が村に来たのとは反対に、僕の講義を受けた生徒のように、村の外へ出て行く者も今後増えるだろう。そういった者たちがまた村に戻ってきて、ここの葬送手段が他と違うと声高に叫べば、いつか食葬の文化も廃れるのだろうか。

 いや、わざわざC氏を殺害してまで文化を守ることを選んだのだ。そう簡単に葬送手段を改めるとも思えない。

 僕は最後に、なぜ墓石を使わず彼岸花を植えるのか聞いた。

「あの世には彼岸花がいっぱい咲いてるんだって、祖父ちゃんが言ってた。だからこの世にも彼岸花を植えると、咲いてる間はあの世とこの世が繋がるんだ。父ちゃんや母ちゃんの魂は彼岸花を通って、少しの間だけこっちに遊びに来る。目に見えないけどね」

 風習として近いのは〝お盆〟だろう。彼岸花はあの世とこの世を繋ぐ橋となり、先祖の霊は自身の髪を目印に橋を見つけてこちらに戻り、束の間のこの世を楽しむというわけだ。

 村人たちが開花時期だけ墓地に立ち入るのは、先祖の霊を迎えに来る、あるいは送り出すためだろう。目に見えない先祖との再会は、映画のワンシーンさながらの美しさに満ちているはずだ。

「今日は帰るんだろ? また花が咲く頃に来たらいいよ。すっごく綺麗だから」


 あれから数年経つが、A村にはまだ足を運べていない。他の研究もあって忙しいというのも理由の一つだけれど、もう一つ。

 村を去る間際、村長に耳打ちされたのだ。

「基本的に余所者の肉は食わないんだが、あんたの肉は美味そうだな」

 ――A村では本当に、葬送手段として食葬を用いているのだろうか?

 ただ人肉を食べたいがための口実として、食葬の名を借りているのではないか?

 確かめるすべはない。村に再度訪問すれば、僕はC氏と同じか、もしくはそれに近い運命を辿るかも知れないからだ。

 墓地で満開になった彼岸花を想像しながら、村長の一言はただの冗談だったことを祈ることしか、今の僕には出来そうにない。

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