13-2 ある令嬢の死



 会場の中央まで手を引かれていく。

 いつも稽古はマグダレーナさん相手だったから、男性相手はなんだかどきどきしてしまうわたしだ。

 向かい合うと、ルイスさまの手がわたしの腰に回った。

 旗袍チイパオの布ごしに、しっかりとした男子の手がある。

 なんだか急に気恥ずかしくなってきた。

 はわわ、である。

 しかし、やめるわけにもいくまい。

 ええいと気合を入れて、音楽にあわせて体を捻る。

 踊る、という体勢は顔も近いのだ。

 金髪碧眼の王子が、どこかはらぐろい笑みで至近距離からわたしを見た。

 ……ほんとうに、顔はいいのだが。


「よかった。ふたり、ちゃんと会話していて」


 はう。

 顔が近ければ、声も近いし、吐息すら感じる。

 思わず逃げ出してしまいそうだ。

 しっかりしなければ。


「ほんとうに、不仲というほどではないのです」


 事実、マグダレーナさんは派閥を離脱していない。

 今日の舞踏会も、招く側の一員として準備に奔走してくれたのだ。

 ただし。


「……今日のマグダレーナさんは、どこか笑顔が硬かったように思います」

「ああ、そうだったかもしれない。普段は作り笑顔も『作った』と悟らせないくらいだけれど、今日はそうじゃなかった。まるで、緊張しているような……」


 ふむ、とルイスさまが思案の息を吐いた。

 首筋をくすぐる。

 ひああ、と悲鳴が漏れそうになる。


「アルはどう思う?」

「……どう、とは?」

「いや、マグダレーナの様子が……」


 ……なんと返すべきか。

 思案どころである。


「女性と踊っているときに、ほかの女性の話をするのは、どうかと思います」


 慣れないなりに言ってみると、ルイスさまがステップを乱れさせた。

 すぐに持ち直したから、はたから見ると乱れたように見えなかったに違いない。

 ルイスさまは例のはらぐろい微笑みで、わたしの腰に回した手に力を入れた。

 距離が、さらに近くなる。


「嬉しいことを言うね、アル。ようやく僕の気持ちに応えてくれる気になったのかな?」

「……まあ、本気なのは伝わりました。婚約破棄も、そのためなのでしょう?」


 金髪碧眼の美貌がにこりと微笑んだ。

 わたしだって、ここまでされればわかる。

 このひとは、本気なのだ。

 ……なぜわたしに、と思わなくもないが。


「ですが、だからといってルイスさまとその、お付き合いだとか、そういうのはないですからね」

「わかっているよ」


 念押しすると、ルイスさまは例のはらぐろい顔になって、わたしの耳元に口を寄せた。


「これから、好きになってもらうからね」


 おうふ。

 だれか助けて。



 一曲踊り終わって、会場の端へ戻る。

 マグダレーナさんがツァイを用意して、待っていてくれた。

 ちょうど淹れてきたところだったのだろう、茶の入ったカップが三つ載った銀製のトレーテーブルに置かれる。


「……お疲れさまでした。見事なダンスでしたわ」

「マグダレーナさんのご指導のたまものです」

「ありがとう、マグダレーナ」


 マグダレーナさんが受け皿ソーサーカップを取った。


「どうぞ、お二方も飲んでくださいな。アルティさまに習って、大平原のツァイの淹れ方を練習しておりましたの」


 次に、ルイスさまが一組を手に取って、目を閉じて香りを楽しむ。


「……うん、いい香りだ。大平原の茶は、懐かしい香りがするよ」


 わたしも残った杯を持ち上げた。

 湯気が上がっており、一目で淹れたてだとわかる。


「いただきます」


 だれともなしにそう言って、口をつける。

 ……うん、美味しい。

 ルイスさまが嬉しそうにわたしを見た。


「踊り終えたあとのお茶は美味しいね、アル」

「ええ、とても。マグダレーナさんは、最初から淹れるのがとても上手で――」


 視線を隣に向けると同時に、がちゃん、と食器が落ちた。

 受け皿と杯が砕け、白いきらきらになって床に散乱する。

 ぎょっとして、ルイスさまがマグダレーナさんに向き直った。

 マグダレーナさんは机に縋りつき、顔を真っ青に……いや、どころか土気色にして、体を震わせ、ほんとうに小さな声で呟いた。


「――あ、るてぃ……さ……ど、く……」


 優雅な洋服ドレスをまとった肉体が、どさり、と床に崩れ落ちる。

 きゃあ、とだれかが叫ぶ。

 ルイスさまが慌ててマグダレーナさんを抱き起こし、レベッカさんを大声で呼んだ。

 すぐに駆けつけたレベッカさんが血相を変えて処置をはじめる。

 居合わせたピートさんが周囲の生徒たちに部屋に帰るよう案内しはじめ、ガッツさんもそこに加わった。

 そんな風にして、あっという間に事態が進む。

 わたしは――わたしは、ただ黙って、立ち尽くしていた。


「アルティさま……アルティさま!」


 名前を呼ばれて、はっとする。

 レベッカさんが、わたしをじっと見つめていた。

 うなずいて返す。


「やるべきことを、やります。レベッカさん、ここはお願いします」

「わかりました!」


 わたしは舞踏会の主催として、学園の教師や女中メイドたちに事情を説明した。

 マグダレーナさんが倒れたこと、居合わせたレベッカさんが処置をしていること、校医をすぐに呼んでほしいこと、それから……マグダレーナさんの言葉も。


「ほんとうに、マグダレーナ・マドレーヌさまは『毒』と言ったのですかな?」


 しきりに額の汗を拭く学園長に、うなずいてみせる。


「ということは、だれかが毒を盛ったことに……」

「だいじょうぶですよ、レベッカさんは凄腕の薬師ですから。あっというまに解毒してしまうでしょう」

「いや、そういう問題では……」


 不安がる学園長を連れて、マグダレーナさんの倒れた場所まで戻る。

 そして。

 そして、だ。

 わたしは、見た。

 レベッカさんが横たわるマグダレーナさんの傍らに膝をついて泣いているさまを。

 ガッツさんが握りしめた拳で自分の大腿を何度も殴りつけ、歯を食いしばるさまを。

 ピートさんがマグダレーナさんの首筋に手を当てて、悲しそうに顔をゆがめるさまを。


「……あ、あの……みなさま? どうなさったのですか? マグダレーナさんは、治療は、その、どうして……」

「……脈が完全に止まった」


 机のそばに立っていたルイスさまから、端的な言葉があった。

 いつものはらぐろい微笑みも、子犬のような情けなさも見せず、第三王子は淡々とわたしに告げた。


「マグダレーナが……死んだ」



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