12-2 墓所の未亡人
信じられない、という顔をしていたのは、わたしだけではなかった。
ルイスさまも、ガッツさんも、マグダレーナさまも、レベッカさんも。
みんな揃って、ピートさんに『正気かな?』の目を向けていた。
実際、正気だとは思えない。
毒を盛られ、大量の水を飲まされ、腹を圧迫されて毒物ごと胃の中身をまるっと吐き出して、よくわからない解毒剤を飲まされたあとだ。
意識が戻ったばかりで、起き上がるのも辛そうな状況だ。
正気であるはずがない。
なのに、言葉が出てこなかった。
ピートさんの瞳が、らんらんと輝いていたから。
「……だいじょうぶかい、ピート」
かろうじて、ルイスさまがそう言った。
「まだ、意識がはっきりしていないんだろう。横に……」
「いや、いい。問題ないです、ルイスさま。拙僧は……」
ピートさんは少しせき込んでから、再び言った。
「彼女を赦したい」
「なぜなの、ピーター……なぜ、私を赦すの? こんなに罪深い私を……」
マダム・ヴーヴ・フェネライユが泣きはらした瞳で問う。
ピートさんは、微笑んだ。
「罪深いのは、拙僧もです。……いえ、拙僧のほうこそが、真に罪深い」
……おや?
どういう意味だ?
怪訝そうな顔を並べる一同の中で、ピートさんははっきりと言い切った。
「マダム。拙僧は、主に仕える身でありながら……あなたを愛してしまったのです」
雲行きが怪しくなってきた。
「ああ……なんという……! いけません、ピーター!」
マダムが頬を染め、立ち上がって叫んだ。
「罪深いのは、私だけでいいのです! あなたまで罪に塗れては……!」
「わかっております。ですが、拙僧……生まれてこのかた、このような感情を感じたことは、ついぞなかったのです!」
ついさっきまで死にかけていたとは思えないほど元気に、ピートさんが叫ぶ。
「拙僧はあなたを愛しています! マダム!」
「で、ですが……神はすべてを見ておられるのですよ?」
「ともに罪を背負った身、ならばともに生きて罪を償いましょう……! いつか、拙僧らの愛が主の御心に届くまで、償い続けるのです……!」
「お、夫も……草葉の陰から見ております……! いけません!」
「見せつけてやりましょう! 拙僧らの愛を!」
おい。
「い、いいの……?」
「悪いです。ですが……愛とは、そのほうが燃えるもの。そうでしょう?」
「……ああ、ピーター!」
「マダム!」
マダムがピートさんに駆け寄って、ふたりはひしっと抱きしめ合った。
「もう……離しません……!」
「ああ、ああ……! ピーター、愛しいひと……!」
ルイスさまが半目でガッツさんを見て、ガッツさんが半目でレベッカさんを見て、レベッカさんが半目でマグダレーナさんを見て、マグダレーナさんが半目でわたしを見たので、わたしは半目でシュエを見た。
シュエは小声で「今晩の夕食はなんでしょうね」と呟いた。
わたしたちは「ピーター!」「マダム!」「ピーター!」「マダム!」と仲睦まじくいちゃつくふたりを放置して、屋敷の外に出た。
毒を盛られたわけでもないのに、わたしたちのほうがげっそりしているかもしれない。
赤くなりつつある空の色が、やけに空虚に感じられた。
「……なんというか、いや、もちろん、ピートの命が助かったことは、素晴らしいことなんだけど……」
「釈然としねえ。おれたち、ただの当て馬じゃねえか」
ルイスさまが首を振り、ガッツさんがぼやいた。
わたしも同意見だし、とてつもなく疲れた。
「……帰りましょうか。レベッカさん、帰りに書店による時間がなさそうですね」
「そうですね、アルティさま。申し訳ありませんが……」
「レベッカさんのせいではありません。また来週のお休みにでも――」
当たり障りのない会話をしながら、ぞろぞろと連れ立って墓所を歩く。
どんよりとした空気のまま門をくぐろうとしたところで、背後から「待ってください!」と声をかけられた。
振り返ると、体調の悪そうなピートさんが膝に手を付いて息を切らしていた。
「だめですよ、ピーター司祭! 安静にしておかないと!」
レベッカさんが目を吊り上げる。
ピートさん――いまだに女装している――は苦しそうに首を振ったあと、笑った。
「どうしても、ふたつ、伝えておきたくて」
……ふたつ?
首をかしげるわたしたちに、ピートさんは言った。
「まずは、みなさん、ありがとうございます。おかげで助かりました。特にレベッカさん、あなたがいなければ、拙僧はどうなっていたことやら」
「それは、まあ……どういたしまして。でも、毒と判断したのはアルティさまですから」
「では、アルティさまの派閥には、大きな借りができましたね。拙僧にできることなら、なんでも協力させていただきます。……そして、ふたつめですが」
ピートさんは、苦しそうな顔でにやりと笑った。
「拙僧、実は本日あたり、薬を盛られるだろうなと予感しておりました。マダムは隠し事が苦手でしてね」
……は?
全員が動きを止めた。
わかっていた?
毒を盛られると?
ならば、なぜ――。
無言で視線を向けるわたしたちに、ピートさんは微笑んだ。
「命を捨てるだけで、彼女の愛を得られるならば……と。拙僧は、その誘惑から逃れられなかった。愛されたいと、望んでしまったのです。どれほど不道徳で、どれほど教義に反していようとも」
……。
どうかしている。
なかなかどうして、この青髪の司祭も葬儀屋夫人に負けず劣らず、だ。
似た者同士だから、惹かれあったのかもしれない。
「しかし、こたびの件で、拙僧、新たな教えを得ました。死にかけて、ようやく本気で愛を叫ぶことができて、教義や常識に縛られていた拙僧たちは結ばれました。ならば、こう言いましょう。愛に曰く……『教典なんてピクルスの重しにしてしまえ』とね」
「……この、なまぐさ僧侶め」
ルイスさまが呆れ顔で言い放った。
夕日が墓所に差し、やつれた司祭の顔を照らす。
土気色だがやりきった表情で、なんというか、ものすごく負けた気分になるわたしであった。
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