11-3 墓所の未亡人



「マダム・ヴーヴ・フェネライユ。あなたが泣いているからです」


 推理と呼べるほどのものではない。

 こんなものは、状況証拠である。


「隣でひとが倒れたとき、ふつうは慌てます。あるいは介抱するか、だれかひとを呼ぶか。そのどれかの行動をとるでしょう。しかし、あなたは――」

「ええ。泣いております。悲しくて、泣いております」


 喪服の美女は顔を伏せた。

 やはり、だ。

 悲しくて泣く。

 それは……ピートさんの死を確信しているからに他ならない。

 まだ生きているのに。

 であれば、毒を盛ったと考えるのが自然だろう。

 ……泣く、という行動がいささか不可解ではあるが。


「毒を盛ったと、お認めになりますか?」


 マダム・ヴーヴ・フェネライユはあいまいに微笑んだ。

 そして、緩やかな動きで食卓テーブルからカップを持ち上げ、口に――。


「シュエ」

「は」


 目にもとまらぬ速度でシュエの手刀が走って、マダムの手から杯が叩き落された。

 どこに毒があるか、わかったものではない。


「自分の目が黒いうちは、自決もさせません」


 シュエがさらりといって、マダムの肩を押し、椅子に座らせた。

 しおらしく、抵抗する気はないようだが。


「動機をお聞きしても?」


 わたしがそう問いかけると、マダムはまたしてもうるうると瞳を潤ませた。


「私は罪深き女なのです……」

「……はい?」


 なんだ?

 話の脈絡がない。

 もちろん、毒殺しようとしたのだから、罪は深いだろう。

 だが……なんというか、妙に艶っぽい雰囲気だ。

 背後の床からは激しい嘔吐の音と、レベッカさんの「もっと水飲ませて吐かせて!」という容赦のない怒鳴り声が聞こえていて、マダムの台詞とまるであっていない。

 しかも、マダムはそれ以降、またむっつりと黙り込んでしまった。


「……罪深き、とは?」


 仕方なく、問いかけを再開すると、マダムは潤んだ瞳のまま、少し頬を赤らめた。


「私は……ピーターを愛してしまったのです」

「……そうですか」


 それ以外になんと言えばよいのだろう。

 愛していたから殺そうとした。

 罪深き女。

 なるほど、なんというか……。


「……ええと。未亡人ヴーヴ……あなたは遺体保全処理エンバーミングを担当する神官で、しかも夫を亡くして喪に服し続けている身でありながら、ピートさんを愛した……それが罪だというのですね」


 マダムは、こくん、とかわいらしくうなずき、はかなげな視線を窓の向こうに向けた。

 まるで少女のような仕草である。


「彼を……ピーターのことを知ったのは、そう、いまより半年ほど前のこと……彼はまだ学園都市の教会に赴任してきたばかりで……」


 そして、いきなり話が始まった。

 なんというか、独自の世界を生きているな、と思う。

 遺体保全処理という仕事柄、どうしても身にまとってしまう濃密な死の香りと、全身を黒く包む喪服でもごまかせないうらやま……豊満な肉体に、仕草の端々から漂う少女のような無垢さ。

 小説などでよく出てくる魔性の女というやつなのだろう。

 実際に毒まで盛ったのだから、魔性どころではないが。


「ピーターの暴食癖を知ったのは、夫の死からほどない頃でした。彼はこっそりと買い込んだ食事を、自分の寮でむさぼっておりました。味よりも量が重要だったのでしょう、冷めた肉や、乾いたパン、かびのはえたチーズ……私は見かねて『食事なら私が用意する』と申し出たのです」


 とうとうと話は続く。

 シュエはじっとりとした目線でマダムを監視し、背後からはまたしても激しい嘔吐とせき込みの音、それからレベッカさんの怒声が聞こえる。

 しかし、マダムは相変わらず思い出の中に意識を飛ばしたままだ。

 なんというか……調子が狂う。

 事態は深刻シリアスなはずなのに、目の前のマダムだけが、妙にふわふわとしている。

 熱に浮かされたように。

 そう、焼きたてで、とても熱い……すふれのように。


「夫を失った私ですが、エンバーミングの仕事は高給で。貯金も給与も余らせておりました。ですから、自慢の料理でピーターをおもてなしして、若人にたくさん食べてもらおうと……いえ、きっと夫を亡くして寂しい私の弱さが――」


 わたしは気が長いほうではあるが、背後でひとが死にかけているときに、長々と聴取をするつもりはない。

 ……うんざりしかけていた、というのもある。

 だから、マダムのすすり泣きの合間を突いて、言葉を潜り込ませた。


「つまり、マダム・ヴーヴ・フェネライユ。あなたは夫寂しさにピーターを家に連れ込んで、ご飯を食べさせているあいだに、惚れてしまったと」

「……そうです。ピーターは私の悩みや、くだらない世間話も笑顔で聞いてくれて、そう、まるで聖母のように私の悲しみを埋め――」

「女装をさせていたのは?」


 もう合間を突くのもやめてかぶせにかかるわたしであった。

 さっさとしぼませてしまおう、こんなふわふわは。



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