11-2 墓所の未亡人



 見事な食べっぷりであった。

 麺麭パンや肉、魚、野菜類から汁物スープに至るまで、すべてが吸い込まれるように消えていく。

 長身とはいえ、細身のピートさんにあれほどの食べ物が入るなんて、信じがたい光景だが……わたしは以前、同様の光景を目にしたことがあった。


「ピートさんはおそらく、過食体質なのでしょう」

「過食体質? なんだい、それ」

「他人より多くのものを食べられる……いえ、食べてしまう体質です。内臓が特殊なのだとか」


 マグダレーナさんが首をかしげた。


「心因性の過食であれば、わたくしも知っておりますけれど……体質なのですか?」

「ええ、生まれ持ったものだとか。東端京トンデュアンキンで、大食いの大会が催された際に、一度見たことがあります。ピートさん同様、痩せた方でした」


 あのときのことを思い出す。


「その選手が優勝したあと、言ったのです。『今日の食費が浮きます』と。予選、本戦含めて十五公斤キログラム近くの湯麺タンメンを平らげたあとに、ですよ」

「……それは、なんとも……」

「ちょっとうらやましいな、その体質。いっぱい食えるって、お得じゃねえか」

「たしかにそうかもですね、あたしもスイーツいっぱい食べたいけど、おなかいっぱいで食べられないことありますもん」


 熱い握手をするガッツさんとレベッカさんであった。

 それはさておき、ルイスさまが渋い顔で、窓の下にしゃがみ込む。


「陰謀とかじゃなくてよかったけど……なるほど、女装っていうか、変装するわけだよ」

「暴食は罪……ですね?」


 問いかけると、ルイスさまがうなずいた。


「西聖教会の定める大罪、そのうちのひとつが暴食なんだ。ピートのコレは、明らかに違反だよ」

「そうですわね。体質とはいえ……」


 許されざる行為である。

 しかも、ピートさんは単なる教徒ではなく、司祭だ。

 司祭が暴食なんて、隠さざるを得ないだろう。

 それゆえの女装だったのだ。

 異性に化けて、人気のない墓所で、大量の料理にありついている。


「……どういう繋がりなのかはわかりませんが、あの未亡人はきっと、ピートさんの秘密を……過食体質を知ってしまったのでしょう。そして、ピートさんは毎週末、この家で大量の食事を摂って、暴食の欲求を抑えているのではないでしょうか」


 暴食の欲求なんて言い方をすると、かなり格好いい感じになるが……ようは食欲である。


「……よし。帰ろうぜ」


 ガッツさんが小声で呟いた。

 わたしも同意見である。

 というか、ずっとそう思っていたが。

 これ以上、他人の秘密を覗くべきではない。

 たしかに暴食は罪かもしれないが、人より少し(……かなり?)大食いなだけ。

 他人の食物を奪っているわけでもない。

 マグダレーナさんも「これを教会派の陰謀や弱みと言い切るのは、少し品がありませんわね」と苦笑しているし。

 だから、わたしたちはもう、すっかり帰るつもりで窓から離れはじめていた。

 そろろそろりと、またしても中腰で庭を横切り、木の柵に差し掛かったあたりで。


 がしゃん、と音がした。


 なにか、硬いものが落ちて割れる音だ。

 反射的に全員がびくりと振り返る。

 ……余談だが、わたしは背が低い。

 ちょうど、目線を木の柵が遮って、窓の向こうが見えにくくなっていた。


「――ピートッ!」


 だから、ルイスさまが血相を変え、家へ向かって駆けだした理由がわからなかった。

 続いてガッツさまがルイスさまを追って駆けだすのを見送った。

 え、え、なに。どういうことだ?

 険しい顔のシュエがわたしの耳元に口を寄せて、囁く。


「ピートさんが机に伏して、泡を吹いてけいれんされております」

「シュエ、そういうことは早く言ってくださいっ」


 慌てて、きょとんとしているレベッカさんの手を掴む。


「レベッカさん、あなたの知見が必要です! 急いで!」

「うぇ? ええっ、あたしの力が……必要……?」


 そうだ。


「秘められた力で世界を救う……?」


 それは小説の読みすぎ。

 ともあれ、わたしたちも急いで家に入る。

 玄関と直結した、こじんまりとした居間リビング

 そこには、はらはらと涙を流す未亡人と、床に寝かせられてびくびく震える女装姿のピートさん、その傍らで膝をついているルイスさまとガッツさんがいた。

 わたしとレベッカさん、マグダレーナさん、シュエも入って、居間には合計八人。

 さすがに手狭である。


「あ、あなたたちは――いったい――?」


 涙を流しながら首をかしげる未亡人は後回しだ。

 倒れたピートさんを見たとたん、レベッカさんが緩んだ顔を引き締め、駆け寄った。


「ルイスさま、ガッツさま、横で深刻な顔してるだけならどいて!」


 すごい言いようである。

 もっとも、この場ではわたしも役立たず。

 てきぱきと処置をし始めるレベッカさんとは、大違いだ。

 ……あるいは、わたしにできることをするべきか。


「レベッカさん、おそらく毒です。解毒剤の類はお持ちですか?」

「確証は!?」

「八割ほど」

「アルティさまが言うなら信じます! 活性炭は常備してありますが、大食いの直後です。……まずはぜんぶ吐かせます!」


 今まで見たことがないほど真摯な表情のレベッカさんが、棒立ちでおろおろする男ふたりに「後ろから体支えて! 拳で腹を押し上げるような感じ! もっと遠慮せず胃袋ぜんぶひっくり返すつもりでやって! ガッツさんは鍋に水汲んできて! いっぱい!」と厳しい指示を飛ばしている。

 マグダレーナさんはさっさと容器を用意したり、湯を沸かしたり、どこからかタオルを持ってきたりとすでに動き出していた。

 いやはや。

 わたしの友人たちは、とても頼もしい。


「……さて。そちらのご婦人。よろしいでしょうか」


 はらはらと涙を流しながら、事態の推移を呆然と見ていた未亡人に声をかける。


「わたしたちは貴族学園の生徒で、ピートさんの同級生です。治療に伴って、屋敷のものをいくつか拝借しますが、緊急事態ですのでご容赦を。必要であれば、あとで弁償させていただきます。……申し遅れましたが、わたしはアルティ・チノ。大渦国イェケ・シャルク・ウルスから参った留学生です」

「え、え? ああ、ええと……あの、私は……葬儀屋サロン・フェネライユの……」

「では、マダム・未亡人ヴーヴ・フェネライユとお呼びします。……マダム、あなたはピートさんに毒を盛りましたね?」


 単刀直入に告げると、ルイスさまとガッツさんがぎょっとして動きを止めたが、すぐにレベッカさんに「止まるな!」と怒鳴られ、慌てて行動を再開した。

 王族を怒鳴るとは、レベッカさんもなかなか肝が据わっている。

 ……無礼については、あとでわたしからフォローしておこう。

 いまの問題は、マダム・ヴーヴ・フェネライユ。

 葬儀屋夫人である。


「……どうして、私が毒を盛ったとお思いなの? 大平原のおかた」


 妙齢の未亡人は涙をぬぐって、わたしに問いかけた。

 その表情を見て、わたしは思う。

 それが答えだ、と。



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