10-1 墓所の未亡人



「下町に……ですか?」


 小説から目を上げて問いかけると、レベッカさんがぶんぶんと首を縦に振った。

 動きにあわせて赤毛が揺れる。


「そうなんです! 話題のお菓子屋さんが出来て! せっかくなので、お二人と一緒に行きたいなーって」


 休日の午前。

 月寮パンシオン・リュンヌの二階にあるわたしの自室に、レベッカさんはわざわざやってきて、外出に誘ってくれているところだ。

 評判のお菓子があるのだというが……。


「わざわざ買いに行かずとも、女中メイドに買いに行ってもらえばよいのでは? わたしは護衛のシュエしかいないので、むずかしいですが。レベッカさんなら、それこそ女中じゃなくとも、商会の人間に届けさせたりもできるでしょう」


 本来二人いるはずのお付きのものだが、わたしにはシュエリー・リーただひとりしかいない。

 護衛武官でもある彼女がわたしから離れるのは、本校舎の中でだけ。

 ゆえに、お遣いを頼むのは難しい……というか、たぶんシュエに断られる。

 生活でも人手が足りなくて困ることがあって、そのたびに学園女中の世話になっている。

 彼女たちは笑顔で手伝ってくれるのだが、やはり申し訳ないのだ。

 なんとか専属女中を増やしたいのだが、これが簡単な話ではない。

 東端京トンデュアンキンに女中の補充を頼む場合だが……手紙が届くのに一年はかかるのだ。

 そして、女中が西王国に着くまで、さらに一年。

 その頃にはもう、わたしは三年生になってしまっている。

 さすがに現地で雇うしかないのだが、なかなか『これ』といった人間に出会わない。

 できれば、講師をやれる人間がいいな、と考えている。

 いつまでもマグダレーナさんに頼りきりではいけない。

 だが、マグダレーナさんと同等の作法マナー講師は、まず見つからないだろうし、大渦国イェケ・シャルク・ウルス出身のわたしが西王国レルム・デ・ウェストで使える伝手は少ない。

 というか、ない。

 ものすごく難航中である。


「そのお菓子は、できたてがいちばんおいしいんです! スフレ・オ・ショコラですから! あたたかいうち、スフレのふわふわがしぼんでしまう前に食べないといけないんですっ!」


 悩みごとに意識を飛ばしかけたわたしに、レベッカさんがこぶしを握って力説する。


「いいですか、アルティさま。メイドに買ってこさせたとしても、下町から貴族学園女子寮庭園まで、軽く三十分はかかるでしょう。焼きたてであっても、三十分あればスフレのふわふわは半減してしまいます。美味しさも半減です! もったいない!」


 片道一年の東端京と、片道三十分の菓子店。

 悩みごとの距離も、いまはこちらのほうが近い。

 行くかどうか、少し思案してみよう。

 ふむ。


「下町にも、ふわふわにも、興味がないわけではありませんが……」


 わたしは手元の本に目を落とす。

 西王国の童話、その大元となった民間伝承を集めた、分厚いものだ。

 せっかく友達が誘ってくれているのだから、これはまた今度読めばいい。

 ……と、わかっているのだが、休日はゆっくり本を読みたい気持ちもある。

 『むう』と悩むわたしに、レベッカさんがにやりと笑って囁いた。


「下町の本屋には、いろんな本がありますよ? それこそ……西聖教会が公には認められないようなモノも。あたしならおろしにも伝手があります」

「わかりました、行きましょう。ええ、せっかくの留学ですから、下町の散策も勉強のうちです」

「さすがアルティさま! では、マグダレーナさまもお誘いしてきますね!」


 隣室に飛んでいくレベッカさんを見送って、部屋の隅でたたずんでいたシュエリーに目を遣った。


「そういうわけですから、護衛をお願いします」

「心得ました、アル姫さま。……ただ、ひとつ」

「はい、なんでしょうか」

衆道BL小説は五冊までにおさめてくださいませ。棚に収まりきらなかった衆道小説を片付ける自分の身にもなってください。東端京と違って、アル姫さま専用の書庫はないのですから」

「……気をつけます」

「それから、過激な表紙のものも避けて頂けると助かります。特に挿絵が耽美なもの」

「……シュエも読めばいいと思うのですけれど。慣れますよ?」

「アル姫さま」

「はい」



 ●



 そうして、いざ外出しようとマグダレーナさん、レベッカさん、そして護衛のシュエと共に正門へ行くと、なぜか金髪の王子と銀毛の騎士が待っていた。

 王子は満面の笑顔で、騎士は苦笑で。


「……レベッカさん。たばかりましたね?」

「い、いえいえ! あたし、そんなことして……あっ」


 あっ、ってなんだ。

 ため息を吐く。


「おおかた、『そもそも菓子店の情報をレベッカさんに教えたのが、ガッツさんだった』といったところでしょうか。回りくどいことをなさいますね」

「だって、直接誘っても、誘いの文を出しても、『今日は本を読むから』と断るだろう?」

「出かけるのが今日だとわかったのは? ……いえ、答えなくてもけっこうです。どうせ、女中のだれかをたぶらかしたのでしょう」


 第三王子、ルイス・エクレールさまがにこやかに手を振った。


「たぶらかしただなんて、心外だなぁ。僕はお願いしただけだよ、アルが外出許可を申請したときは教えてね、って」


 わあ、マグダレーナさんがものすごい半目に。

 はらぐろ金髪王子の後ろで、銀毛の騎士ガッツ・シブーストさんが申し訳なさそうな顔で両手をあわせていた。

 すまん、のポーズである。

 甘党のガッツさんだ、菓子店の情報を持っていても不思議ではないし……その話をレベッカさんにするのも自然な流れではある。


「……はあ。わたしはかまいませんが、お二人は?」

「アルティさまがいいなら、わたくしもかまいませんけれど」

「あたしが拒否権を持てるメンツじゃないですねー」


 そういうわけで、わたしたちはぞろぞろと六人で下町に繰り出すことになった。

 ふわふわを求めて。

 ……あと衆道小説も。



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