9-3 消えた媚薬



 月寮パンシオン・リュンヌでのお茶会は、大成功に終わった。

 大陸最大国家、大渦国イェケ・シャルク・ウルスの姫であるアルティ・チノが、その資本力を存分に振るって主催するのだ。

 加えて、アルティ派閥には西方国家連合でも有数の大商家の娘、レベッカ・ビスキュイがいる。


 ――あたしが実家の伝手を使って、全力でプロデュースしたお茶会だもの。質が悪いだなんて、口が裂けても言わせないわ。


 西方国家連合のフォーマットに則った、お茶とお菓子を楽しむ会。

 そこにアルティらしい東方の香りを、複数加えた。

 砂漠商人から仕入れた、異国情緒漂う東洋茶が数種類。

 スパイスを利かせた大平原のツァイも用意した。

 茶会を手伝う月寮のメイドたちは非常に協力的で、諸々の準備も、打ち合わせも、平民の自分が仕切っているとは思えないほどスムーズだった。


 ――アルティさまで、良かった。


 心底、そう思う。

 派閥の長だから、ではない。大国の姫だから、でもない。

 友として、だ。

 このひとに出会えてよかったと、レベッカは思う。

 思えば、昔から友達が少なかった。

 商家の娘として、家庭教師をつけられ、最大限の教育を与えられてきた。

 だが、それゆえにレベッカは、市井の学校に通ったことがない。

 友達を作る機会が、限られていた。


 ――立場はぜんぜん違うけど、アルティさま、あたしと似ているのよね。


 はるかに力ある存在だが、境遇は少し似ている。

 そんな中で、アルティはレベッカを友だと呼んでくれた。

 だからこそこちらも友と呼ぶ。

 そして、力を貸してくれた友に恥じる行為はしないと心に決めた。


 上流階級の中でも最上流に位置する月寮の茶会だ。

 アルティやマグダレーナ、レベッカによほどの悪意を持っていない限り、令嬢たちはなにがなんでも参加するだろうと思っていた。

 実際、その通りになった。

 総勢百名を超える令嬢が月寮の食堂に訪れ、ひっきりなしにアルティに挨拶し、お茶とお菓子を楽しみ、庭園の光景を眺めながら談笑して、帰っていった。

 レベッカはお茶会中も奔走した。

 お茶が冷えていないか、お菓子が不足してはいないか、と気を配っていると、あっという間に時間が過ぎ去っていった。


 客足が落ち着いたところで、少し深呼吸をしようと食堂から庭園に出ると、ガス灯が庭園を照らしていた。

 そろそろお茶会も終わりの時間だ。


 ――結局、それらしきお土産はなかったわね。


 嘆息する。

 お茶会のコーディネーターとして、土産物にはすべて目を通していた。

 つまり、徒労だったのだ。

 室内では、アルティやマグダレーナとの繋がりを持ちたい令嬢たちか、あるいは高価な茶と菓子に飢えた令嬢たちが粘っている。

 ふたりには、ほんとうに迷惑をかけてしまったな、と思う。

 大山鳴動してねずみ一匹とは、どこのことわざだったか。


 ――ねずみどころか、みみずも出てきてないけどね。


 苦笑する。

 食堂に戻ろう、と振り返ったところで、レベッカは月寮の玄関に人影を見た。


「……あれ? お客さまですか?」

「あ……」


 焦げ茶色の髪を肩まで伸ばした、そばかすのある背の低い令嬢だ。

 萌黄もえぎ色のドレスはあまり上質ではないが、大人しそうな印象の顔つきに良く似合っている。


「……あの、これを」


 その令嬢は、きれいにラッピングされた包みを差し出した。

 レベッカが包みを受け取ると、甘いような、苦いような、複数の香りがふわりと鼻に届く。

 乾かしたザクロ。砕いたコーヒー豆。どれも、憶えのある香りだ。

 驚いて視線を向けると、令嬢は気弱そうに微笑んだ。


「レベッカさんには、ずっと感謝を伝えたくて」

「感謝、を……?」


 息を呑む。

 うん、と令嬢はうなずいた。


「わたしのおばあさまがね。長年、肺を患っていらして……でも、ビスキュイ商会のお薬のおかげで、呼吸が楽になったの」

「それは……どういたしまして。おばあさまは、その後は?」

「去年、亡くなられたわ。とても穏やかに……。最期まで、お薬に助けられたの。だから、ありがとうと伝えたくて。それから……ごめんなさい」


 令嬢は頭を下げた。


「わたし、偶然、いやがらせの計画を聞いてしまって。なんとかしなくちゃって思って。つい、荷物を隠してしまったの」

「……食堂でも言ったけれど、感謝しているわ。善意からの行動だもの」

「そう言ってもらえると、ありがたいわ。……わたしの用事は、それだけ」


 令嬢は「それじゃ」と一礼して、踵を返した。


「待って」


 レベッカは呼び止めて、笑いかけた。


「ね。せっかくだもの、お茶を飲んでいかない?」


 令嬢は顔をうつむけて、上目遣いにレベッカを見た。


「……いいの?」

「いいわよ。あたし、あなたとお話してみたいの。きっと、アルティさまも喜ぶわ」

「貧乏な、子爵ヴィコートの娘よ?」

「あたしはお金持ちだけど、下賤な暗殺者の末裔で、成金の平民よ?」


 手を差し出す。


「とっても心優しいお嬢さまを、エスコートさせてくれない?」

「……でも……」

「もう、じれったいわね」


 レベッカは近づいて、無理やり彼女の手を取った。

 握った手は、とても温かい。


「ほんとうにいやなら、振りほどいて逃げてね? これからアルティさまたちに、あなたのことを紹介するから」

「えっ、わっ、ちょっとレベッカさん待って……っ!?」

「待たない。はやく行かないと、せっかくのお菓子も、お嬢さまたちに食べつくされちゃうもの」


 手をしっかりと握りしめて、レベッカはもう一度、思う。


 ――アルティさまで、良かった。


 素敵な友達が、新しい友達を見つけてくれた。

 貴族とのパイプ作りのため、未来の旦那を捕まえるために入学させられた学園だった。


 ――でも、いまはいいよね。


 友だと呼んでくれる人がいる。

 友だと呼びたい人たちがいる。

 いまだけは、それがなによりも大事なことで、いいじゃないか。

 握りしめた手の温かさが最優先で、いいじゃないか。


 レベッカはにっこりと笑って、月寮の玄関をくぐった。


「――アルティさま! 新しいお友達を連れてきましたよ!」



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