8-3 消えた媚薬



 ガッツ・シブーストは夕食後、太陽寮パンシオン・ソレイユの自室で勉学に勤しんでいた。


 ――一通りの算術くらいはできねえとな。


 基本的に真面目なのである。

 宰相の息子として、いずれ官僚に取り立てられる可能性もあるし、そうでなくても騎士団の経営に数字は必須だ。

 勉学が得意なほうではないが、だからといって逃げはしない。

 一時間ほど勉強したあと、そろそろ寝るか、と立ち上がったところで、部屋にノックの音が響く。

 すでに執事は控室に戻らせたから、自分で扉を開くと、ひとりの男子生徒が立っていた。


「……なんだ、ルイ。こんな時間に」


 ナイトキャップをかぶった西王国レルム・デ・ウェストの第三王子が、すまし顔でうなずく。


「たまには男二人、親友同士で語り合うのはどうだろう、と思ってね」


 ガッツは半目になった。


 ――こいつアルティ殿たちの女子会が気になって眠れないんだな。


 まあいい、と溜息を吐いて、部屋に招き入れる。


「ホットミルクにするか? 紅茶は目が冴えるし」

「ありがとう、いただくよ。やろうか?」

「んじゃ、ソーサーの準備を頼む。戸棚に豆菓子があるから、必要ならそれも」

「わかった、任せて」


 二人でてきぱきと準備して、テーブルにつく。

 ほっと一息ついて、言う。


「で、ルイ。ルイス・エクレール第三王子さま。眠れないほど気になるか、女子会が」

「仕方ないじゃないか。気になるんだよ、僕がどんな風に言われているのか。アルとマグダレーナのふたりがいるんだし、レベッカさんは恋バナ好きだろうし」


 唇を尖らせてそわそわする王子を見て、ガッツは思った。


 ――いや、あの三人ならそもそもルイの話はほとんどしないんじゃないか……?


「あの三人なら、そもそもルイの話はほとんどしないんじゃないか?」


 そして、思ったままのことを言った。

 ガッツはそういう人間である。


「……僕の話を、しない?」

「盲点だった、みたいな顔をするなよ。……まあ、意識されてないわけじゃないだろうが、わざわざ話題にあげるほど好かれてもいないだろう」

「……え、ほんとうに?」

「おまえ、自分が全人類に愛されていると思って生きてんのか」


 ――生きて来たんだろうなー……。


 呆れつつ、そう思う。

 多少はらぐろいところはあるが、性格は王子らしい公平なものだし、顔もいい。

 とうぜん、権力もある。将来性も抜群だ。

 女性から向けられる視線は、基本的にすべて好意だっただろう。

 逆にいえば。


「アルティ殿は、権力や顔に左右されないだろうからな。これまで通り『勝手に自分を好きになる』と思っていると、ぜったいに好かれないぞ」

「僕だって、自覚はあるから、いろいろアプローチしているんだよ?」

「あのな、ルイ。おれも恋愛についちゃ詳しくないが……そこのところはほんとうに詳しくないんだが……」

「うん」

「おまえのはアプローチじゃなくて『ただのちょっかい』じゃないか? 小さい男の子が、気になる女子の髪を引っ張るような……そこまでじゃないとはいえ、いやがるアルティ殿の手を握ったり、顔を近づけたりするの、わざとだろ? いやな顔をされるのが嬉しいんだろ? 自分を見てもらえているようで」


 ルイスが目をまん丸に見開いた。


 ――やっぱり気づいてなかったか。


「い、いや、僕はそんなつもりは……」

「そんなつもりがあってやるやつはいねえからな、こういう言動は。自分だけが気づいていないんだ。相手の気持ちを考えろって」

「む……」


 顎を引いて思案し出したルイスのほうに、ガッツは豆菓子の皿を押しやった。

 茹でたナッツにキャラメルをまとわせた、ちょっとしたおつまみである。


「まあ食え。そんで考えろ。おまえはおれより賢いんだぜ、ルイ」

「……ぐうの音も出ないね。ありがとう、ガッツ」


 はあ、とルイスは大きなため息を吐いた。


「アルが喜んでくれること、考えてみないとね。彼女は本が好きだから……本を贈る、とか?」

「それもありだろうな」

「あとは……美味しそうにものを食べるよね。料理店に誘ってみようか」

「……美味しそう? いつも同じ顔に見えるが」


 ガッツは見事な真顔でクロワッサンをもぐもぐするアルティを思い出すが、ルイスはぶんぶんと首を横に振った。


「いやいや! わからない? アルはね、美味しい料理を食べているときは、普段よりも口角がほんのわずかだけれど高くなって、どことなく『ぽわぽわ』って雰囲気になるんだ」

「ぽ、ぽわ……? なに?」


 ――こいつ、変なもの飲んでないだろうな。


 思わずホットミルクを確認するが、ルイスのものは砂糖控えめで、シナモンも入れていない。

 ガッツは両方たっぷり入れたが。


「それで、考え事をしているときは、口元で両手の指をくっつけて『ふむふむ』って感じになるんだ。それがまたかわいいんだよね」


 ――まあいいか。好きなだけ喋らせよう。


 ぜんぶ吐き出せば、眠れるだろうし。

 ガッツはそう考えて苦笑し、豆菓子をひとつ頬張った。


 ――しかし、アルティ殿に近しい人間は、同じようなところを見ているんだろうな。マグダレーナ殿やレベッカ殿は……。


 第三王子の話を聞き流しつつ、想像してみる。


 ――あの三人が集まって女子会か。意外と心優しい三人だからな、きっと平和な話題で盛り上がっているんだろう。



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