7-3 消えた媚薬



 夕暮れどきになると、学園中の瓦斯ガス灯に、学園女中メイドたちが火がともして回る。

 ぼう、と明るく輝く文明の火である。

 庭園を眺めるには、少しばかり光量が少ないが……嫌いではない。


 自室の露台バルコニーから女子寮庭園を見下ろして、「さて」と呟く。

 露台に出した丸机の上には、香料を練り込んだろうそくがいくつも並んでいる。

 茶会はお泊り会へとなだれ込んだ。

 話すべきことが、まだまだあるのだ。

 夕食が数皿、ろうそくとともに並んでいる。

 軽くつまめる小ぶりの麺麭パンを中心に、軽食をいくつか、という感じ。

 月寮パンシオン・リュンヌの食堂にお願いして、特別に用意してもらった。

 わがままで申し訳なかったが、学園女中たちは笑顔で承ってくれた。

 「普段からもっと頼ってくださいね」だそうだ。

 さすが貴族学園の女中だけあって、性格まで見事な人材揃いである。


 机を囲むのは、レベッカさんとマグダレーナさん。

 露台の端にはシュエリーが無言で直立しているが、あくまで護衛なので口を挟まず、気配を消している。


「レベッカさん。媚薬の包みを失くした経緯を詳しくお聞きしたいのですが……」


 はい、とレベッカさんがうなずく。


「ええと……日曜日のお昼ごろ、実家から送らせた薬の受け取りに、女子寮庭園の入り口まで行ったんです」

「ご自分で?」

「ええ。あたしに届く荷物は、メイドに取りに行かせず、ぜんぶあたしが女子寮庭園の入り口で直接受け取ることにしていまして」

「なぜ?」

「中身が中身なので、馬車から受け取る際に検品する必要があるんです。学園まで持ってこさせるのも、話が分かるビスキュイ商会の薬師に頼んでいるんですけど、男で……」

「なるほど。女子寮庭園の入り口までしか入れないわけですか。……ちなみに、レベッカさんは、どうしてそんなに薬に詳しいのですか」

「あー……なんといいますか」


 レベッカさんが困った顔になった。

 麺麭に牛酪バターを塗っていたマグダレーナさんが、苦笑して「そういう一家なのですわ」と言い放つ。


「わたくしが説明しても?」


 ばつの悪そうなレベッカさんが、どうぞどうぞ、とマグダレーナさんに手のひらを差し出した。

 ごほん、とマグダレーナさんが咳払い。


「現在こそ、なんでも取り扱う大商家のビスキュイ商会ですけれど、ビスキュイ家のルーツは暗殺稼業を請け負っていた一族ですの。薬物の扱いは、その頃から継承されている毒物の知識がベースですわね。毒殺に関して、ビスキュイ家は凄腕だと聞いております」

「……暗殺を、ですか。それは……すごいですね、レベッカさん。一子相伝の暗殺技などはおありで?」

「あの、ご先祖さまですよ? ひいおじいちゃんの代には、もう商会になっていましたからね?」

「必殺技も伝わっていないのですか? こう、足音を消して背後から秘孔を一突きするような技とか」

「そういうのはまったく……」


 ないのか。しょんぼり。


「あ、ああ、でも! 一子相伝の毒ならありますよ!」

「ほほう。どのような?」


 レベッカさんはくすりと笑った。


「調合法は言えませんけど……人間を仮死状態にして、死んだふりさせる薬です。商談に失敗して大損しそうなときは、死んだふりでごまかしてしまえ、と教えられました。お決まりのジョークですね」


 それはすごい。……事実なら、だが。


「つまり『活かすも殺すも自由自在だ』と、ビスキュイ家のお薬の薬効を宣伝する決まり文句なのですね」


 暗殺者の末裔はうなずいた。


「西方国家連合が成立したとき、国家間で荒稼ぎしていた暗殺稼業は行き場を失って……でも、毒物関係の知識を薬学に転用したのが、ビスキュイ商会の始まりなんです。だから、薬学には誇りをもって取り組んでいます」

「あら、密売していらしたのに?」

「やだなあ、マグダレーナさまったら。これは将来を見据えた商売の勉強と薬学の探求であってですね、その、ほんとうにごめんなさい……」


 レベッカさんが蛇に睨まれた蛙みたいになっている。

 お説教が再び始まってしまいそうなので、話を戻そう。


「薬学にお詳しい理由は、よくわかりました。しかし、馬車から直接受け取っていたのなら、いつ盗まれたのですか? あとは持って帰るだけでしょう」

「馬車で荷を検分したあと、寮に戻るとき、庭園内でメイドに呼び止められまして……」

「それは、学園メイドでしたか? それとも、だれかの専属メイドですか?」

「……いえ、そこまではおぼえていません。日差しがあるからと生垣の陰に誘われて。でも、薬の包み、けっこうな重さがあったので、近くのベンチに置いて、少しだけお話をしたんです」

「対応がいいんですね。断ってもよかったのでは」


 重そうな荷物を持っていたのだから、なおさらである。

 だが、レベッカさんは首を横に振った。


「いやあ、この学園にいるメイドって、けっこう準男爵バロネットとか騎士シュバリエとかの娘が多くて……生徒とはいえ平民のわたしとしては、対応せざるを得ないというか……」


 どこでも微妙に立場が弱いレベッカさんである。


「なるほど。どのようなお話を?」

「大した内容じゃなかったです。その、アルティさまとマグダレーナさまのお話で……」


 いつの間にか食後の紅茶を楽しんでいたマグダレーナさんが、怪訝な顔をした。


「わたくしも? どのような内容ですの?」

「……怒らないでくださいね? その、メイドが言うには『マグダレーナさまがアルティさまをいじめていないか心配だ』というので、そんなことはない、むしろ互いに尊重し合う、仲睦まじい関係だ、と伝えたんです」


 マグダレーナさんの顔が微妙に赤面した。

 照れているらしい。


「ま、まあ、たしかに、仲睦まじいといえばそうですけれど……」

「そうしたら、通りがかった別のメイドが『やっぱり! マグダレーナさまがアルティさまを見る目、どこか妖しいと思っていたの! 二人はそういう関係なのね!』って」

「……はい?」


 はわわ。

 いつの間にか、百合百合しい妄想に巻き込まれていたらしい。


「そういう関係でもないと思いますよ、あたしにはただの仲のいい友達に見えます、と否定しているあいだに、ほかのメイドたちも集まってきて、わあわあ話して……十分ほどでしょうか。とにかく違うんです、あたしにはわかりませんから、と言い切って、ベンチに戻ったら……包みはありませんでした」

「……メイドのあいだに、不埒な噂が立っているようですわね。なんとかしなければ」


 マグダレーナさんの考えには賛同したいが、とりあえずいまはレベッカさんの相談ごとが先だ。


「学園女中が落とし物だと思って持ち去ったのでは?」

「包みにはビスキュイ商会の押印が入っていましたから、メイドが拾ったのなら、あたしの元に届くはずです。でも……」

「まだ届いていない、と。なるほど、しかし、困りましたね。そうなると、当日、女子寮庭園内にいた全員が……それこそ、わたしやマグダレーナさんも容疑者になり得ます」

「しかも、休日昼ですものね。講義もなく、庭園中で派閥茶会が開かれていたはず。容疑者から外れるのは、出勤していない非番のメイドか、下町に遊びに出ていた令嬢か……それくらいですの」


 とすると、容疑者は数百人以上いることになる。

 ふむ。


「いくらなんでも、容疑者が多すぎます。レベッカさん、こういうことをしそうなひとに、心当たりは?」

「……心当たりは、まあその。あるといえばあります」


 レベッカさんは、はあ、と重たいため息を吐いた。



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