7-1 消えた媚薬



 入学から二か月が経ち、わたしも貴族学園での生活に慣れてきた。

 朝、シュエに起こされ、やけに広い個人用風呂場バスルームで顔を洗い、寝室の化粧台で髪を太い三つ編みに編んでもらいながら、真っ黒な珈琲コーヒーで眠気を払う。

 月寮パンシオン・リュンヌの部屋はとにかく広くて、東端京トンデュアンキンのわたしの部屋と遜色ないほどだ。

 寝室と風呂場だけじゃない。

 個人用のトイレもあるし、居間リビングはちょっとしたお茶会を開けるくらいの広さがある。

 ……もっとも、部屋がどれほど広くとも、招く友人が二人しかいないのでは、宝の持ち腐れだが。

 自嘲しつつ、寝間着から制服に着替えて、月寮の食堂へ赴く。

 ちょうど、二人の友人のうち一人、マグダレーナ・マドレーヌさんも部屋から出て来たところだった。

 互いに礼儀正しく「ごきげんよう」と挨拶をして、食堂で朝食。

 今日のメニューはふわふわの丸い麺麭パンと新鮮な牛酪バター、野菜と豆がたっぷり入った汁物スープ


「テーブルマナーも、お上手になりましたわね、アルティさま」

「そうでしょうか。まだまだ、ぎこちないと思うのですが」

「いえ、たった二ヶ月とは思えないほどですの。やはり、聡明でいらっしゃいますわ」

「マグダレーナさんの教え方が上手だからですよ」


 と、当たり障りのない会話をしつつ、食事を終えたら、軽く身支度を整える。

 シュエに見送られて月寮を出発し、女子寮庭園の景色を楽しみながら本校舎へ。

 授業は午前だけ。本日は数学と美術史。授業は選択制で、一日にふたつまでだ。

 東端京でみっちり学んだ数学は復習気分での受講だが、西王国レルム・デ・ウェスト及び西方国家連合の美術史は興味深いので、真面目に聞く。

 余談だが、わたしは教師陣のおぼえも良い。

 婚活とお茶会が中心の貴族学園において、真面目に授業を聞く子息は、そう多くないのだとか。

 蛮族の姫、蹄の生えた蹄姫と陰口されるわたしだが、普段の生活態度から『実態は違う』と思ってもらえているようだ。

 もっとも、教師陣にそう思われたからといって、陰口をやめる生徒がいなくなるわけではないが。


 授業を終えて、高位貴族専用の食堂へ。

 侯爵位以上の令嬢、令息しか利用できないので、入学歓迎会と違って、無用な騒動を起こす心配がない。

 ちなみに、わたしの扱いは公爵同等。

 貴族爵位五等級内で、いちばん上の扱いだ。

 超大国の姫なので、当然といえば当然だが、あの覇王おやじの威光を笠に着ているようで、少し腹立たしい。


 西方国家連合の貴族位は五つだと学んだ。

 公爵デュック侯爵マルキー伯爵コント子爵ヴィコート男爵バロンの順に地位が高い。

 もちろん、同じ爵位であっても領地の広さや血筋によって格は違うため、一概に同列とは言えないが。

 いま、貴族学園に入学している生徒で順位をつければ、第三王子ルイス・エクレールと大渦国イェケ・シャルク・ウルスの姫アルティ・チノ(つまり、わたし)が同格。

 一段落ちて、公爵家令嬢マグダレーナ・マドレーヌさん。

 さらに一段落ちて、宰相の令息ガッツ・シブーストさんとなる。

 西聖教会への配慮なのか、若き司祭ピーター・オペラさんも高位貴族専用食堂を利用できるのだが、ピートさんはもっぱら大食堂での食事を好むため、あまり顔を見ない。


 脳内で貴族位の復習をしつつ、今日も三日月麺麭クロワッサンを……おや、今日は三日月麺麭がない。

 長机に並んだ御馳走の数々に、いつもの茶色い曲線が見当たらない。

 牛酪たっぷりで、さくさくした三日月麵麭は、わたしが西王国でいちばん気に入った料理である。

 悲しく思いながら、取り皿にいろいろな料理を盛って、マグダレーナさんと共に長机に着席する。

 すぐに、対面の座席ににこやかな笑顔を浮かべた金髪碧眼の王子と、苦笑する銀毛の騎士が座った。


「ごきげんよう、アル。マグダレーナも。同席失礼するね」

「すまんな、二人とも。今日もコイツに付き合ってやってくれ」


 わたしたちが高位貴族専用食堂で食事をとる際は、必ず二人が同席する。

 一度、なぜわざわざ一緒に食べようとするのか聞いたところ、「来期は授業も一緒のをとるからね」と微笑まれた。

 そんなことは聞いていないのだが。

 入学式ぎりぎりに到着したわたしよりも先に、王子たちは受講選択を終えていたため、前学期の講義はまったくかぶっていないのが悔しいらしい。


 ……最近知ったのだが、このルイス・エクレールさまという王子。

 不埒な軽薄チャラ男だと思っていたが、どうやらちょっかいをかけるのは、わたしだけらしい。

 もっとたくさんの女性にこっそりと手を出しているものだと思っていたので、少し不思議だ。

 わたし、そんなにかわいい女ではないのだが。

 顔も地味だし、髪型も華やかさのない三つ編みだ。

 おそらく、第三王子は趣味が奇特なのだろうと思う。


 食事を終え、庭園での散歩を提案するルイスさまに『お稽古がありますから』と丁重にお断りの言葉を告げて席を立ち、高位貴族専用食堂を出ると、廊下にもう一人の友達が立っていた。

 ふわふわの赤毛をうなじでまとめた、貴族学園にひとりしかいない平民の女子生徒。


「ごきげんよう、レベッカさん。どうしたのですか、こんなところで」


 平民ながら大半の貴族以上の資本力と影響力を持つ大商家、ビスキュイ商会の娘、レベッカ・ビスキュイさんである。

 わたしの数少ない友人であり、こっそりと衆道BL小説を貸し借りする同志でもある。

 レベッカさんの秘蔵の品の数々は、さすが西王国最大の商会の娘だけあって、ごくりと喉が鳴るほどのものだった。

 しかし、今日の同志レベッカさんは、わたしの隣に立つマグダレーナにこわごわと視線を遣って、小声で口を開いた。

 いつもの快活さとは違ったご様子。


「ええっと……その、ちょっとご相談がありまして……アルティさまのお力を借りたいというか……。できれば、人目につかない場所で……」


 ほんとうに珍しい。レベッカさんが煮え切らない態度とは。

 アルティは首をかしげて、マグダレーナに視線を遣った。

 『どうすればいいと思いますか』の視線である。

 公爵令嬢はため息をついて、うなずく。


「……どうでしょうか。たまには、アルティさまのお部屋でお茶会を開かれるというのは。レベッカさんは事実上、アルティさまの派閥に属しているようなものですし、親睦を深める意味でも。……後ろからこちらを笑顔で見ているはらぐろ王子も、女子寮庭園には入り込めませんし」


 名案である。

 どこかしょんぼりした笑顔の第三王子を置き去りにして、わたしたちは女子寮庭園へと戻った。

 ……よく考えてみれば、わたしの人生で初めての女子会である。

 わくわく。



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