6-3 名無しのラブレター
「――男、ですから」
差出人にそう言われて、ガッツは眉を寄せた。
なんといえばいいのか、ほんとうにわからない。
だが、言わねばならない。
言葉にしなければ、ならない。
だって、探し出してしまったのだ。
見つけて、しまったのだ。
知られたくないと願い、名前を記さなかった差出人を。
「……あのよ。男だから、だけじゃねえぞ」
断る理由に、性愛の問題が含まれていないとは言わない。
だが、それだけではない。
それだけでは、ないのだ。
「……おれさ、だれかを好きになったこと、ねえんだ。いや、友達は好きだぜ? だけど、愛とか恋とか、正直……よくわからん」
がしがしと頭を掻く。
差出人は意外そうに息を呑んだ。
――お茶会も、誘われちゃいるが、ルイスがいかねえ以上、護衛のおれもいかねえし。
色恋とは無縁の人間だ。
硬派な学生騎士だと、そう思われていたことだろう。
実際には、初恋すら未経験なのだが。
「そんなおれだから、相手がだれだろうと
「……意外と、恋愛経験がないのですね」
「ガキだよ、おれは。騎士になること以外、考えてこなかったからな」
唇を尖らせると、差出人はくすりと笑って、目元を指でぬぐった。
きらりと光るものが、風に散る。
「……私は、女なんです。心が女で……男性が好きで。ずっと、生きづらいと思っていました。この世界に、居場所がないと」
でも、と差出人は言葉を繋いだ。
「あなたはわたしの体がもし女であっても、断っていた……と、そう言うのですね」
「そうだ。心が男でも女でも、身体が男でも女でも、それ以外のものであっても……おれは断る」
ガッツは右手を左胸に当てて、姿勢を正した。
「だから、申し訳ないが……このガッツ・シブースト、あなたの居場所になることは、できない」
断りの言葉を、きちんと言い直す。
ややあって、差出人もまた、姿勢を正した。
「お返事ありがとうございます、ガッツさま」
「……それで、よかったら、なんだが。これからは、友として――」
「いいえ、それはできません」
言葉を遮って、差出人はガッツに背を向けた。
「私、もうすぐ退学するんです。父が倒れまして。実家に戻って、世継ぎを残すために叔母と結婚する予定で。貴族のつとめというやつです。姉妹はいますが、男児はわたしだけなので」
ガッツは目を見開いた。
――『最後に』ってのは、そういう意味だったのか。
「だから、手紙を書いたのです。最後くらい、心に素直になりたくて」
「……あんたは、それでいいのか?」
「いいえ。ガッツさまに正面から断ってもらえて、逆に踏ん切りが尽きました。実家に帰ったら、私、両親に自分のことを伝えます」
息を呑む。
それは、きっと大きな問題に……盛大な騒動になるだろう。
ひょっとすると、勘当されてしまうかもしれない。
というか、されるだろう。西聖教会の教義に、真っ向から反すると言っているのだ。
勘当して縁を切らなければ、一族揃って教会から破門される可能性すらある。
なにも言えなくなったガッツに、差出人は振り返って微笑んだ。
「話し合いが済んだら、私……ガッツさまよりもいいひと、見つけにいきます。だから――そんなつらそうな顔、しないでください。わたしはぜったい、幸せになりますから。ガッツさまが羨ましいって思うくらいに」
「……そうかい」
風が吹く。男子寮庭園に咲く薔薇が花弁を散らす。
花の香りが、ふわりと広がる。
がしがしと頭を掻いて、ガッツは苦笑した。
「すげえな、あんた。尊敬するぜ」
●
後日。
差出人は、多くの同窓や教師に見送られて馬車に乗った。
広大な学園庭園を、正門に向かって走る馬車は、選別の品に溢れている。
――いい思い出をたくさん持って帰るのだから、これは凱旋ですよね。
自分を鼓舞する。だいじょうぶだ、と。うまくやれる、と。
これから起こる実家での戦いに想いを馳せていると、ふと、あるものに気づいた。
だれの選別の品だろうか。
ラッピングのされていない無骨な小箱が、やけに目についた。
手のひらよりも少し大きいくらいのサイズで、手渡されたおぼえはない。
だれかが馬車に紛れ込ませたのだろう。
気になって蓋を開けると、細く裂いた紙の梱包材に包まれて、これまた無骨なガラスの小瓶があらわれた。
――これは……香水?
馬車の窓に掲げて、日を透かす。
ほんの少しだけ赤く色づいている。香水だとすれば、濾した布の目が粗かったのだと思う。
かさり、と木箱から紙が落ちた。
拾い上げると、文字が記されているのに気づく。
『はじめて作ったから、下手なのは許してほしい。
アルコールは入っていない。
ご健康とご多幸をお祈りいたします。』
文章まで無骨だ、と呆れてしまう。
手紙にも小箱にも、署名はない。もちろん、押印も。
ただ、ふわりと薔薇の香りが鼻をくすぐった。
紙に香水が振られているのだ。
苦笑する。
――恋も愛も、まだわかっていないくせに、こういうことしちゃうんですね。
こんなもの、もったいなくて使えないじゃないか。
一生の宝ものにしたいくらいだ。
けれど、アルコールの入っていない、生花の香水だ。
使用期限はたいして長くはない。
名無しの手紙についた香りも、数日で消えてしまうだろう。
「……ガッツさまよりいいひとって、ハードル高いなぁ」
自分で切った大見得を、ちょっとだけ後悔する。
ガラス瓶を丁寧に小箱にしまって、差出人は息を吐いた。
――でも、きっと見つけます。
最後にもう一度だけ、名無しの手紙の香りを胸いっぱいに吸い込んでから、びりびりにちぎって窓から放った。
広大な学園庭園に、砕けた紙片が散っていく。
――だから、ガッツさまにも素敵な恋愛が訪れるように、願っておりますね。
薔薇の盛りの庭園に、名もない気持ちが散っていく。
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