6-2 名無しのラブレター



 特定は、すぐに済んだ。

 庭師に問い合わせた結果、該当する者がひとりしかいなかったのだ。

 ガッツ・シブーストは一両日悩んだ末に、差出人を男子寮庭園、太陽寮パンシオン・ソレイユ近くの庭園一画に呼び出した。

 ガッツが約束の時間の五分前におもむくと、すでにパラソルテーブルで待っているものがいた。

 つらそうな顔で、座っている。


「……すまないな。いきなり呼び出して」

「いえ、お気になさらず。こうなるとは、思っていませんでしたが……覚悟は、してきました」

「そうか」


 少し、黙る。

 なんと言えばいいのか、わからなかった。


 ――細いな。


 相手の体型だ。目の下に濃いくまがある。

 それはきっと、慢性的なものだ。

 さぞ生きづらかったことだろう。

 ガッツには想像もできない辛さが、あっただろう。

 なにから言うべきか、ガッツは悩んだ末に、結論から口にした。


「……あんたの気持ちには、応えられねえ」


 言うと、相手はうなずいた。


「わかっていました。だって、私は――」


 は、と差出人は息を吐く。


「――男、ですから」



 ●



 ルイスは正面庭園を見下ろすバルコニーで、こっそりと息を吐いた。

 第三王子の権力で、強引に予約をねじ込んだ。

 盛りの薔薇たちが、庭園に咲き乱れている。


 ――簡単な話だったんだね。


 振り向くと、椅子にちょこんと座ったアルティがクッキーを両手で持ってかじっている。

 神妙な顔で、マグダレーナとレベッカも同席している。ピートは呼べなかった。

 ガッツは、このバルコニーに来るまで、もう少し時間がかかるだろう。


「……女子禁制の男子寮庭園、太陽寮に手紙を置けたのは、メイドだったからでも、代理を頼んだからでもなく……ただ、差出人が男子だったから。それだけなんだね、アル」


 問いかけると、異国の姫はうなずいた。


「そうです。『ならぬ恋』とは、西聖教会の教義に反するという意味。気持ちを伝えることもはばかられるものです。だから、記名サインはおろか、押印もできず……けれど、気持ちを込めて手作りの薔薇香の水オ・デ・ロゼを振ったのでしょう」


 ルイスは教義がすべてだとは考えていない。

 そういうひともいると、知っている。

 だが、どれだけ市井に同性愛小説が溢れようと、西聖教会の教義が揺るいだわけではない。


「……だれにも、知られたくなかったんだろうね。ただ、気持ちを止められなかった。ほんの少し、漏れ出た恋心……その香りを辿った僕たちが、花の根元まで暴いてしまった」

「そうですね。だからこそ、わたしたちには責任があります」


 淡々と言うアルティに目を向けると、いつも通りの真顔で、姫はしっかりと言い切った。


「ですから、わたしたちはこれを墓場まで持って行かなければなりません。差出人の秘密を、秘密にしたまま、死なねばなりません」

「……うん、そうだね」


 ――ピートには言えないわけだ。


 気のいい男だが、それでも司祭だ。

 差出人のことを知れば、僧侶として教義に則った行動をしなければならなくなる。

 そういう立場の人間だ。


「あたしの小説密売は、あくまで架空の話でしたから、注意だけでしたけど。もしも、実際に同性愛者がいて、ラブレターまでしたためてしまったと知れば、ピーター司祭も見て見ぬふりはできないですよね」

「わたしも、最初から男子生徒の可能性を考えておくべきでした。そうしたら、もう少しはやく答えに辿り着けたはずですから」

「……大渦国イェケ・シャルク・ウルスでも、同性愛は禁止なのでしたっけ」


 問いに答えたのは、アルティではなかった。

 栗色の毛を持つ婚約者が首を縦に振ったのだ。


「大渦国は、西聖教会から分かたれた東方教会の民が多いと聞きますわ。根本的な教義は、そこまで変わらないのではないかと」


 なるほど、と相槌を打ったルイスに、アルティが「いえ」と声を上げた。


「原則、マグダレーナさんのおっしゃる通りですが、領土が広大で宗教も複数ありますから。己の信じる道において許されているならば、余人が口を出す問題ではないとされています。……あと、最近は『体の性別ではなく、心の在り方が大事ではないか』と、東方教会も解釈を新たにしていますね」

「……あ、あら。そうだったのですね。わたくしったら、つい……昔に調べた知識で、知った口を」

「いえ、お気になさらず。遠く、広い土地ですから、解釈もいろいろと雑多な国なのです。むしろ、マグダレーナさんはお詳しいと思います。どうしてお調べに?」


 マグダレーナは微笑んだ。


「興味があったのです。他国、遠方地域の教義には、どのようなものがあるのか、と」

「勉強熱心だからね、マグダレーナは」


 てきとうに相槌を入れつつ、ルイスは「大渦国は不思議な国だ」と思う。

 複数の宗教が入り乱れ、複数の解釈が混ざり合う共同体を、そういうものだと受け入れている。


 ――大渦国イェケ・シャルク・ウルス。ウルスとは、人間の渦を刺す言葉でしたか。人々が集い、渦のように混ざり合う、と。


 教会と密接な関係を持つ西王国の王家としては、それくらいの距離感が気楽でいいと感じてしまうが。

 ふと、ルイスはマグダレーナに聞きたいことがあったと思い出した。


「マグダレーナは、わかっていたんだよね? 差出人が男だって」

「……そうかもしれないと思っただけですの」

「だから、手を出すべきではないと思って、ひとりだけ調査から離れたんだね」


 マグダレーナは小さくうなずいた。

 黙っていたほうが、いい結果になると考えたのだろう。

 アルティがお茶を一口飲んで、そっと息を吐いた。


「……沈黙は金、雄弁は銀。砂漠商人の物言いですが、マグダレーナさんは金を選んだわけですね」

「……それについても、沈黙しておきますわ」


 マグダレーナは王家に連なる血筋、公爵家の娘だ。

 教義は法律ではないが、しかし、高位貴族にとって守るべきものには違いない。

 さらにいえば、軍閥派トップのマドレーヌ家は教会に借りを作りたがっている。

 むしろ率先して糾弾するべき立場だが、先んじて同性愛の可能性に辿り着いたマグダレーナは沈黙を選んだ。

 ルイスは少しだけ意外に思った。

 昔から、マグダレーナの『令嬢としての正しさ』を知っているだけに。

 そんな感情が顔に出たのか、マグダレーナは半目でルイスを見た。


「……わたくしだって、堅物一辺倒というわけではございませんのよ」

「あ、ああ。ごめん。そうだよね」

「ただ……少しだけ、羨ましいと思ったのです」

「……羨ましい?」


 ルイスは、さらに意外に思った。マグダレーナらしくない言葉だ。

 常に羨まれる側だと思っていたのだが。


「差出人は、溢れるほどの愛で教義を飛び越えてしまったのです。……わたくしには、とてもできないことですわ」


 ――婚約に愛がないのは知っていたけれど、マグダレーナがここまで言うなんて。


 ルイスが言葉を失っていると、アルティが真顔で言った。


「だいじょうぶですよ、マグダレーナさん。いつかきっと、身を焦がすほどの愛があなたを突き動かす日が来ますから」


 あっけに取られて、マグダレーナと一緒にアルティを見る。


「アルティさま、それはとても……ロマンティックなセリフですわね」

「小説で読みました」


 小説なのか、と思わず半目になると、アルティはふわりと微笑んだ。

 初めて見る異国の姫の笑顔に、思わず見惚れてしまう。


「いいではないですか。物語って、いいものですよ」


 一瞬で、微笑みは真顔に戻った。

 幻だったのかも、と錯覚するほの、短い時間だった。

 もっと見たかったな、と思う。

 ルイスは苦笑して、窓へと目を遣った。広大な庭園だ。

 正面庭園から本校舎に向かって左手側に、女生徒禁制の男子寮庭園がある。

 そのどこかで、ガッツは差出人と会っているはずだ。

 そして、きっと、だれかが傷つくだろう。

 だって、失恋だ。だれかの心にひびが入る。

 ルイスだって、それくらいは知っている。

 だから、今は祈ろう。


 ――ガッツ。信じているよ。



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