6-1 名無しのラブレター



 ――参ったな、こりゃ。


 ガッツ・シブーストは心中で弱音を吐いた。

 リストから拾い上げた、三人の令嬢。

 全員に会いに行って、挨拶をするまではよかった。

 だが、手紙を取り出して『見覚えはないか』と問いかければ、全員が怪訝な顔をする。


 ――驚いた顔でも、すまし顔でもなく、怪訝な顔だぜ。


 もしも差出人なら、ガッツが話しかけた時点でなんらかの反応があるだろう。


 ――逃げる……は、やりすぎにしても、驚いたり、喜んだり……あるいは悲しんだり。なにかがあるはずだよな。


 しかし、手紙を取り出す段に至っても、そのどれでもなかった。

 三人のうち、二年の令嬢は婚約者がいない。

 話しかけたガッツに『どうです今度お茶会でもふたりきりでせっかくですからこれもなにかのご縁』と、元気よく話しかけて来た。

 ぜんぜん『ならぬ』感じではない。

 三年の二人は婚約者がいて、そういう意味では『ならぬ』だったが、おそらくシロだ。

 ガッツは他人の感情の機微に聡いわけではないが、宰相の息子として、あるいは騎士団の若き獅子として、数多の視線を受けて来た。

 だから、わかる。


 ――三年の先輩たちは、おれのこと好きじゃねえ。


 恋とか愛とか、そういったものには詳しくないが、自分に向けられる『好意』くらいは判別できる。

 二人から向けられたのは、敬意のみだ。

 高位貴族の子息に対する、立場から来る純粋な敬意。

 名簿の三人と会ったあと、ガッツはアルティ、ルイス、レベッカを連れて、大学食に戻った。

 すでに夕刻。早めの食事を求めた下宿生たちが、どやどやとやってきている時間帯だ。

 彼らはそれぞれの部活や訓練を終えて、シャワーで身体を流して着替えて、さあおなかいっぱいご飯を食べようとやってきたところで、大学食に集っている第三王子たちに気づいてぎょっとしている。


 ――集まる場所を間違えたなぁ。


 まあいいか、とガッツは頭を振って、座る三人に告げた。


「正直な? もう、いいかなって思っている。気になっているとはいえ、それだけだ。無理して追い求めるものでもねえだろう」

「……ガッツ。だけど、それじゃあ――」

「ルイ。もういいんだ。相手は、やっぱり知られたくねえから名無しなんだ。だったら、それでいいじゃねえか」


 ガッツはそう言って、ルイスの隣を見た。

 無言でうつむいているアルティ・チノがいる。

 真顔で、けれど、どこかいつもより悩んでいるような印象を受ける。


「……どうかしたか、アルティ殿」

「いえ……マグダレーナさんが、なにに気づいたのか。気になってしまって」

「知っている名前があったから、気まずかったんじゃないですか? マグダレーナさま、そういうのに詳しそうですし」

「わたしも、最初はそう思いました。ですが……」


 アルティは両手の指同士をくっつけて、隙間のあいた合掌を作った。

 なにかを考えるときの癖なのだそうだ。

 しばらく無言の時間が続いてから、ガッツは近づいてくる人影に気づいた。

 背が高く、青みがかかった長髪を持つ、慈母のごとき笑みをたたえた男子生徒。

 学生司祭のピーター・オペラだ。


「みなさん、大食堂に集まるなんて、珍しいですね。拙僧せっそうもご一緒しても?」

「ピート。おまえも大食堂に来るなんてな」

「いやいや、拙僧はよく利用しておりますよ? 曰く、『あなたたちはみな同じ枝葉に実ったきょうだいである』と。家族と食事をするのに、大食堂ほど優れた場所はありませんから」

「そうやって、教会の勢力を集めているんだね、ピート。まったく、油断も隙も無いよ」

「否定はしませんよ、ルイ。家族を増やすのは悪いことじゃないでしょう?」


 すまし顔で言って、ピーターは席についた。

 そこでガッツは、レベッカが額に汗を流し、目を逸らしていると気づく。


 ――なんだ? レベッカ嬢は、ピートが苦手なのか?


「とはいえ、今回、拙僧がお話をしたいと思っているのは、レベッカ嬢でして。いや、普段は避けられているので、ようやく同席できました」

「……あ、ああー、あたし、ちょっと用事が……」

「まあまあ、お待ちください、レベッカ嬢。拙僧は司祭、断罪官ではありません」

「……それ、あたしが断罪されるべきだと言っているようなモノじゃないですかぁ……」

「では、拙僧がどんな小言を言いに来たか、おわかりですね?」


 小言? とガッツは首を傾げた。ルイスもアルティも、同様だ。

 ガッツが見守る中で、レベッカはそんな三人を横目に、しぶしぶ口を開いた。


「商家の娘として、学園内で、いくらか物品の販売をやってるんですけどぉ……ちょっと、婚活に役立つグッズとか、市井で人気の……少しだけ教義から外れた小説とか……そういうものを、ですね……」

「レベッカさん。それはつまり、香水や化粧水ですか」

「……まあ、そういう感じですねぇ、はい」


 ガッツは呆れた。つまり、学園内で商売をやっているらしい。

 別に法に触れるわけではないし、貴族子女に繋がりや借りを作っているだけなのだろうが、学園生徒としてはかなり異質な行動だろう。


 ――しかし、教義から外れた小説っていうと、よくわからねえな。別に、小説で婚活が進むわけじゃねえだろう。


 同じ疑問を得たのか、ルイスが手を挙げた。


「レベッカ嬢。小説というのは? どういうものかな?」

「……それは、その」


 レベッカが言いよどむと、ピートが嘆息した。


「拙僧が注意したいのは、その小説こそ、です。体に悪くない限り、化粧品や物品を咎めることはできませんが……いいですか、レベッカ嬢。同性愛は、教義に反します」


 ガッツは半目になった。

 つまり、ボーイズラブ小説やガールズラブ小説を、貴族学園内でこっそり密売しているのだ。

 とんでもない平民特待生である。


「さまざまな魂を持つ方がいるのは、事実です。しかし、同性愛を描いた小説を学園内で販売するのは、西聖教会司祭の身では『教義に反する』と注意するしかありません」

「……はい。反省しております、司祭さま」

「よろしい。では……次からは、少なくとも拙僧の目には入らぬよう、お気を付けください」


 目に入らないなら、見逃すらしい。

 隣で、ルイスが「なまぐさ僧侶め」と楽しそうに呟いた。


 ――ともあれ、横やりも入ったし、調査はこのあたりにしておくか。ほんとうに命がかかっているとは思えねえし。


 そう思い、ガッツが解散を告げようとしたところで、黙り込んで思考に耽っていたアルティが「あ」と小さく呟いた。

 なんだ、と思う間もなく、異国の姫はあわせた両手の指を離し、うなだれた。


「……あ、あああ……そう、そうだったのですね……。そうです、そういうことでしたか……」


 いつも真顔を崩さない姫の尋常ではない様子に驚いて、ルイスがそっと声をかけた。


「ど、どうしたの、アル。なにかに気づいた?」

「……ルイスさま。ここには、たくさんの女子と……男子がいます」

「……それは、そうだろう。だって、男女共学の貴族学園なんだし」

「そうです。それが、前提です。わたしたちは、前提から間違っていたのです。そうです、そっちのほうが、ずっとすっきりと筋が通るのに……」


 アルティはうつむけていた顔を上げた。三つ編みが揺れる。


「ガッツさん。わたしは気づきました。ですが……あなたに告げていいものか、迷っています」

「迷う? なぜ?」


 問い返すと、アルティは学生司祭に顔を向けた。


「……ピートさん。少し、外していただけますか?」

「拙僧には言えない話かな?」

「はい。言えない話です。目にも耳にも、入れられない話です」

「わかりました。なら、拙僧はおいとましましょう。本題は果たしましたし」


 ピーターは席を離れ、遠巻きに見ていた学生たちに近寄って「なんでもない話をしていただけです。ええ、東方の文化や、商人から見た教会の在り方など、いろいろと……」とうまく誤魔化し始めた。

 僧侶は話がうまい。

 さておき、ガッツはアルティに視線を戻す。


「……わかったんだな? だれが、差出人なのか」

「探す方法が、わかっただけです」


 アルティは真顔をガッツに向けて、しっかりと目を合わせた。

 黒い瞳が深淵のように、ガッツを射抜く。


「約束してください。わたしの推理を聞いても、必ず、差出人に真摯に向き合うと。そして、決して他言しないと」

「……もちろんだ。騎士の誇りにかけて、約束しよう」

「それから、同席のお二人も。だれにも言わないと誓ってください。いいですね?」

「アルとの約束なら、どんな内容でも大歓迎だよ」

「あたしも、アルティさまのお言葉なら、もちろんお約束します」


 二人が頭を縦に振る。

 アルティはうなずいた。


「わたし、ずっと引っかかっていたのです。最初の引っ掛かりは『ガッツさんが朝の訓練に出かけている間に、手紙を玄関に置くのは、女子には難しいのではないか』ということです」

「それは……だから、男子寮のだれか、あるいはメイドか執事に頼んだに違いない……って話じゃなかったか」

「ええ。つまり、男子なら簡単におけるのです。男子なら、ガッツさんが毎朝訓練に出かけることを知っているのです。ここまで、再確認しておきます。……そして、おそらく、それがすべてです」


 そこで、ルイスが目を見張った。


「……アル、まさか」

「ルイスさま。お静かに。遠巻きに耳を立てているものたちに、聞かせてはなりません」

「……わかった」


 ルイスが口をつぐんで、椅子に深く座りなおした。


 ――どういうことだ?


 わからないガッツは、続きを促す。


「そして、『ならぬ恋』であること。名前を知られず、押印すら見られてはいけないこと。……しかし、ほんとうにそこまでする必要があったでしょうか。もしも婚約者がいるならば、それこそ『婚約が決まったから、諦めるために気持ちだけ伝えます』とでも書けばよかったのではないでしょうか。思い残しをなくすためなら、むしろそのほうが良かったのでは?」

「……おれに、ぜったいに名前を知られたくなかったんだろう」

「あるいは、太陽寮パンシオン・ソレイユに住むだれかに、です。時間を見計らって置くとはいえ、手紙を取るのがガッツさんだとは限らない。ルイスさまかもしれませんし……あるいは、司祭のピーター・オペラさんである可能性もある。そうでしょう?」


 うなずく。


 ――だが、つまり……司祭に知られてはいけない『ならぬ』だってことだろ?


 教義に反する禁断の愛だということ。不貞の愛だと推理したはずだ。

 やはり、ここもこれまでの推測通り。

 アルティがなにを言いたいのか、ガッツはまだ気づくことが出来なかった。


「最後に……手紙に振られた薔薇の香水は使用期限の短い薔薇水であったこと。それゆえに、わたしたちは庭師さんに問い合わせました。薔薇の花をもらい受けた女子生徒はいるか、と。あれだけたくさんの名前が並んでいる中で、直近一週間の女子生徒だけに絞って、です」


 今度はレベッカが「あ」と声を上げ、目を見開いた。

 ガッツはまだ、わかっていなかった。


「……ですから、ガッツさん。もしも、差出人を知りたいのであれば……庭師のところにいって、もう一度名簿を見せてもらってください。そして、こう聞いてください」


 アルティ・チノは目を伏せ、小声で『質問の内容』を告げた。

 ガッツは『質問の内容』を聞いて、思わず天井を見上げた。

 食堂の天井には豪奢なシャンデリアがいくつもぶら下がっていて、ロウソクには明るい火が灯っている。


 ――ああ、たしかに推理の筋は通るが……


 だが、だとすれば。

 アルティの推理が正解で、己が庭師から差出人を特定してしまったとすれば。

 ガッツはぎゅっと唇を引き結ぶ。


 ――わざわざ名を隠した差出人を暴くなら、おれも筋を通さなきゃならねえよな。


 そういうことだ。



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