5-3 名無しのラブレター



「それじゃ、アルティさまも小説がお好きなんですね!」


 レベッカさんが弾んだ声で言った。


「ええ、とても。西方言語も、小説を読むために学びました。……最近はあまり読めていませんが。専属女中メイドに下町で買ってきてくれないかと頼んだのですが、護衛も兼ねているから単独行動はできないと断られてしまって……」

「だったら、あたしが取り寄せますよ。当家、ビスキュイ商会は大渦国イェケ・シャルク・ウルスにお世話になっておりますし、先ほどの失礼をお詫びする意味も兼ねまして……」


 あと、単純シンプルに姫たるわたしと友誼を結びたい下心もあるのだろう。

 異国の存在だからか、多くの令嬢には蛮族の姫だと認識されているわたしだが、さすがは商家の娘というべきか。

 レベッカさんは、わたしに対して壁がない。

 物おじせずに話をし、わたしの話をせがんでくる。

 東端京トンデュアンキンに住んでいたと話したところ、レベッカは「白黒の熊パンダがいるところですね!」と目を輝かせた。


「よく知っていますね。大熊猫ダーシャオマオ……ぱんだは、東端京よりもう少し西よりの山奥に棲むので、若干ずれますけれど、見たことはあります」

「とても愛らしいとか! 父さんが昔、サーカスで見たことがあると言っていました」

「愛らしい……愛らしいでしょうか。白黒の色合いは面白いですが」


 ぞろぞろと庭園を並び歩きながら、レベッカさんとの話はなかなか弾んだ。

 互いに『貴族学園では微妙に浮いている金持ち』なので、ある意味では必然かもしれない。

 あるいは……互いに同じ臭いを感じているからかもしれない。

 魂の根底でわかるのだ。

 おそらくレベッカさんも、衆道BL小説の愛好家である、と。


「パンダは草食で、細長いササとかいう木を食べて生きているとか。まるで森の妖精フェ・デ・フォレです!」

「……まあ、おおむね、そうかもしれません」

「やっぱり! 一度でいいから、見てみたいなぁ……」


 うっとりとレベッカが両手を組んだ。

 かわいいもの、珍しいものに目がないのは、やはり女の子だからか。

 実際には、大熊猫は雑食性の大型獣なので、ときおり山から下りて鶏や犬や人などを襲って食らうこともあるのだが……壊さないほうがいい夢もある。

 黙っておいた。

 そんな風にして、他愛もない会話を挟みながら、庭園を歩く。

 真っ赤な薔薇が咲き乱れた、見事な景色である。


「……薔薇のシーズンが終わると、庭園が寂しくなりますね」


 そう呟くと、マグダレーナさんが苦笑した。


「そうですわね。けれど、次の花が咲きますの。夏はラベンダー、ひまわりあたりが定番でしょうか。歩くのもいいですけれど、左右対称の庭園は高いところから見下ろしてデザインを楽しむものですから、やはり正面バルコニーから見るのがおすすめですの」

「そういえば、学園に到着した日以来、正面の露台バルコニーには行っていませんね」


 ルイスさまとガッツさんが入れ替わって、いたずらを仕掛けてきた場所だ。

 まだ一ヶ月だが、懐かしく思ってルイスさんにちらりと視線を送ると、ばっちり目が合ってしまった。

 うわ。


「だったら、アル。薔薇が散る前に一度、バルコニーでお茶会をしようよ。二人っきりで、庭園を眺めながら……」


 ぴたりと肩が触るほど近くにルイスさんが近づいてくる。

 そして、またしてもわたしの手を取る。やめろ。

 はわわ、と真顔で思う。

 けっして、嫌いではない。金髪碧眼の顔立ちは素直に美しいと思う。

 けれど、慣れていないし、だいたいマグダレーナさんの婚約者のはずだ。

 愛し合っていないとはいえ、婚約者の前でこうも堂々と他の女に手を出すとは。


「……おやめください、ルイスさま。不埒です」


 努めて冷静に言って、ルイスさまの手をほどいた。

 顔を赤くして『うわあ! 逢瀬だ!』とこちらを盗み見るレベッカさんの気持ちは、正直よくわかる。

 わたしも立場が違えば『うわあ! 逢瀬だ!』とがん見したことだろう。


「……ルイスさま、先ほども言いましたけれど、節度のある態度でいてくださいな」


 マグダレーナさんがジト目で告げるが、ルイスはどこ吹く風で「ここは人目が少ないから、いいでしょ?」などとのたまう。

 うう、と心中で呻いていると、珍しくガッツさんから横やりが入った。


「ルイ、おまえ、怖がられてねえか?」


 ぴしり、と第三王子が固まった。

 うん、まあ、怖がっていますが。


「こ、怖がられる? 僕が? ……そうなの? アル」

「……そうですね。距離の近すぎる男性は、苦手です」


 はっきり告げると、ルイスさんがみるみるうちにしょんぼりしていった。

 やっぱり、ちょっと犬みたいだな、と思う。


「……その、申し訳ない、アル。女性はこういうのが好きかと……」


 もちろん、大好物ではある。

 ただし、『小説の中では』だ。

 手を取られ、至近で顔を寄せられる状況シチュエーションとか、刺激的でどきどきする。

 だが、現実で自分がやられると、いささか『すぎる』感じがしてしまうのだ。

 しかも相手が婚約者を持つ身ともなれば、当たり前のように恐怖が上回る。

 マグダレーナさんが呆れたように口を開いた。


「ルイスさま。婚約者ではなく、ひとりの女として申し上げますけれど、女性を『こういうアプローチが好き』とひとくくりでお考えになりますと、痛い目を見ますわよ」


 マグダレーナさんの言葉に、レベッカさんも『うんうん』と首を縦に振る。

 味方が多い。やったね。

 だが、ルイスさまはしょんぼりとしおれて、元気がなくなってしまった。

 ……むう。フォローしておくか。


「……そういうことですので、ルイスさま。正面露台バルコニーでのお茶会は、みんなで、でいかがでしょうか」

「いいのかい?」

「ええ。どうでしょうか、レベッカさんも」

「はぇっ!? いいんですか!? わたしみたいなド平民が行っても! でも行っていいなら、ぜったい行きます!」


 上流階級と繋がりを持てる、とばかりに、目を銭貨コインみたいに煌めかせるレベッカさん。

 ちょっと素直すぎて、逆に商人に向いていないのでは?


 そんな話をしているうちに、一同は庭園の陰にひっそりとたたずむ小屋に辿り着いた。

 庭園の管理小屋だ。こんな建物があるとは知らなかった。

 本校舎からは見えないよう、計算されているのだろう。

 ガッツさんが物おじせずに扉をノックすると、胡乱気な顔をした作業着姿の中年男性……庭師が現れて、すぐに笑顔になった。


「おや、これはこれはお坊ちゃま、お嬢さまがた。いかがなさいましたか」

「聞きたいことがあって来た。ここ一週間で薔薇の花をもらい受けた女性は、どれくらいいる? 顔や名前を憶えているか?」

「薔薇の花ですか。ははぁ……それを聞いて、どうなさるおつもりで?」

「ちょっと調べたいことがあるんだ」


 庭師の男性は首をかしげながらも、うなずいた。


「この一週間ですと、女性は三名ですかねぇ。受領のサインを頂いておりますから、名前はわかりますよ。ちょいとお待ちくださいねぇ」


 のそのそと庭師小屋に戻って、ややあって、一枚の紙を握りしめて出て来た。

 名簿だ。ずらりと日付と名前、それから渡した花の品種が並んでいる。

 はて。


「廃棄の花を渡すだけですよね。なんのために名簿をつけているのですか?」

「毒のある花もありますからねえ。勝手に持って行かないよう、こちらでリストを作っているのです。来年の庭園に植える花の参考にもなって、ちょうどいいんですよ」

「なるほど」


 名簿を覗き込むと、いくつか男子生徒の名前もあった。

 女性よりは少ないが、花束や押し花にして、女子生徒に贈るのだろう。

 庭師は目を凝らしながら名簿の下のほうを見て、頭を掻いた。


「ええと……一週間以内で薔薇をお渡ししたお嬢さまは、二年のサヴァランさま、三年のアルベールさま、それから三年のコールソンさまですねぇ」

「ふむ。ありがとう。……だれも知り合いじゃねえな」

「ひとりひとり当たってみようよ、ガッツ」

「……ああ。ここまで来たら、総当たりだ。人命がかかっている……かもしれねえからな」

「お、ちょっと冷静になった?」

「煽ったのはおまえだぞ、ルイ。……『最後に』ってのは、たぶん、恋心に終止符を打つとか、そういう意味だろ」


 人命? と首をかしげる庭師に礼を言って、本校舎に戻ろうとしたところで、ふとマグダレーナさんが声を上げた。


「あのちょっと、少しお待ちになって」


 小屋に入りかけた庭師を呼び止めて、手を差し出す。


「もう一度、名簿を見せてもらっても?」

「構いませんが……」


 手渡された名簿にずらりと並んだ名前を一瞥して、マグダレーナさんが目を細めた。


「マグダレーナさん、なにかお分かりになったのですか?」

「……いいえ」


 少し間をおいてから、茶髪の令嬢はそっと息を吐いた。

 そして、どこか悲しそうな顔で、目を伏せる。

 ……どういうことだ?

 怪訝に思うわたしの前で、マグダレーナさんはガッツさんに目を遣った。


「シブーストさま。もう諦められたほうがよろしいのでは? お相手は名前を伏せているのです、無理に突き止めて、それでだれが幸せになりますか。ほんとうに人命がかかっているかどうか、怪しいものですし」

「……まあ、そうだけどよ」


 ……ほう。


「マグダレーナさん。なにかわかったのですね?」

「いいえ。……いいえ、ですわ。なにもわかりはしませんの」

「ですが――」

「わたくし、これ以上は付き合っていられませんから、そろそろ失礼いたしますわね。アルティさま、本日はダンスのお稽古ですから、お忘れにならないように。いいですこと?」

「……はい。では、また月寮パンシオン・リュンヌで」

「ええ。それでは皆さま、ごきげんよう」


 優雅に一礼して去っていくマグダレーナさんを見て、思う。

 やっぱり、なにかを見抜いたのだ。

 だれよりも貴族令嬢らしい貴族令嬢と評されるマグダレーナさんだ。

 受取人のリストから『だれが許されざる恋の立場なのか』を見抜いたのかもしれない。

 だが、それを教えてくれないのは……なぜだろうか。


「アル」


 はわ。

 首をかしげていると、耳もとにそっと声がかかって、飛びあがりそうになった。

 ……もちろん、犯人はルイスさまである。こいつ。


「彼女、なにに気づいたんだろう。アル、わかるかい?」

「……顔が近いです」

「ああ、ごめんごめん。ついね」


 この軽薄チャラ男め。ぜったいわざとだろう。

 じっとりした目で見ると、金髪碧眼の第三王子は素知らぬ顔で目を逸らした。



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