5-2 名無しのラブレター
はわわ。
真顔で焦るわたしである。
蹄姫とは、入学パーティで無知を晒した令嬢の言葉に端を発する、わたしのあだ名……というか、陰口である。
まさか、初対面の平民女子にいきなり『蹄姫』呼ばわりされるとは。
……正直、ひづめひめという呼び方は、そんなにイヤではない。
蹄を持つ動物は遊牧民の宝だ。
羊も馬も、とても親しみのある存在である。
イヤなのは、悪意そのものであり……呼び方ではない。
だから、わたしは失礼を流そうと思った。
とっさに言葉が出てしまっただけだろう、と。
わたしに関する勘違いは、これから解けばよいのだ。
だが、いち早く反応したものがいた。
薄く笑って、切れ長の目を細く尖らせた、マグダレーナさんである。
「あらあら、レベッカ・ビスキュイさん。いま、なんとおっしゃいましたの?」
「ひぇっ……い、いえっ、その、つい……」
「たしか、ビスキュイ家は
「それは、その……」
「その? その、なんですの? 詳しくお聞かせ願えます?」
無知令嬢のときも思ったが、マグダレーナさんはかなりの
作法の講義の際も、容赦ないし。
ともあれ、このままでは話が進まない。
口元に手を当てながら笑顔ででレベッカさんを追い詰めるマグダレーナさんの袖を引いて、こほんと咳を打つ。
「どうか、そのあたりで。わたしは気にしておりませんから」
「……あら。残念ですけれど、仕方ありませんわね」
「もちろん、失礼への謝罪は必要ですが。レベッカさんには、少し手伝っていただきたいことがあるのですが……」
ほんとうに残念そうな悪い令嬢はさておき、テーブルを囲んで本題を伝えると、大商家の娘は渋い顔になった。
「……薔薇の香水なんて、何十種類あると思っているんですか。あたしの実家だけでも三十種は取り扱いがありますよ」
「実際に嗅げば、種類がわかるのでは?」
「むりむり、むりですって。同じ薔薇、同じ製法なのに、名前だけ違う商品も多いんです。……お貴族様に言う話じゃないですけど、令嬢の皆さまは『新しい商品』に目がないので、名前と瓶のデザイン変えて再販とか、よくある話ですし」
レベッカさんは途中から小声で言って、まわりを見渡した。
「……秘密ですよ? お願いですから、秘密にしてくださいね?」
「流行商売なのでしょう。わたしの口は貝より硬いですから、安心してください」
てきとうに相槌を打って、しかし、いちおう封筒を取り出してみせる。
「ですが、念のため。おぼえのある香りかもしれません」
レベッカさんは手紙に触れ、手で煽って香水の香りを感じて、目を閉じた。
すぐに目を開いて、彼女は眉をひそめる。
「……あー、はい。これ、たぶん手製です」
「手製?」
「アルコールの香りがまったくしませんから。蒸留水で作ったんだと思います。
……ふむ。
「市販品には、
「ええ。香料を溶かすならアルコールが有効ですし、殺菌作用で長持ちしますし……なによりアルコールの揮発で香りが広がりますから。蒸留水だけで作る場合は、そうですね……バラの花びらを水につけて、潰して、布で濾すような形になるでしょうか」
「……手製となると、販路から追うのは無理か。困ったな……」
ガッツさんが眉を寄せる。
「手製の薔薇香の水の使用期限はどれくらいですか?」
「ええと……せいぜい一週間じゃないかと。飲むわけじゃないとはいえ、生花の混ぜ物をした水ですから。徐々に腐って香りが変質しちゃいます。この封筒は新鮮な香りですし、それこそ今朝作ったのかも」
「今朝? 学園内で作れるものなのですか?」
「ちょうどいま、薔薇の盛りですし。庭師から間引いた薔薇の花をもらって自作する令嬢さまがた、けっこう多いって聞きましたよ」
ほう。なんだか、いい趣味をお持ちの令嬢が多いようだ。
「入学したばかりなのに、詳しいのですね」
「……情報は生命線なので。特に、お金に余裕のない貴族さまがたのふるまいは、男女問わず観察するようにしていて……」
やましいことを告げるように、レベッカがマグダレーナから目を逸らしつつ言葉を続ける。
「ほら、実家の見得で入学したけど、仕送りがほとんどなくて、でもお茶会で香水を振らないわけにもいかない、貧乏……失礼しました、貴族の令嬢さまがたが、自室でこっそり作ったりとか」
「……なるほど。わかりました」
いい趣味というか、ただ金がないだけなのか。
なんだか世知辛いが……そういうことなら、話は変わる。
わたしはガッツさんに視線を向けた。
「ガッツさん。どうしますか?」
「……どう、って?」
「直近一週間で、薔薇の花を庭園からもらい受けた生徒。この方向で調査すれば、絞り込める可能異性があります」
つまり、謎の手紙が、謎の手紙ではなくなったのだ。
「なら、追うしかないだろ。人命がかかっているんだからな」
「……わかりました。では、庭師に話を聞きに行きましょう。運が良ければ、差出人がわかるはずです。ただ……」
目の前で両手指の腹同士を合わせる。
合掌に似て、けれど違う姿勢。
なにかを考えるとき、わたしはこの姿勢をとる。
「なにかを、見落としている気がします」
そう、なにか、間違えている気がしてならないのだ。
根本的な部分で、考え違いをしている……というか。
淡々と述べたところで、興味深そうに大食堂のミートパイを眺めていたルイスさまが、ガッツさんの肩を叩いた。
「ガッツ。今日の予定はすべて先送りにするよ。さあ、人助けのために邁進しよう!」
「ルイ、おまえ、面白がってるだろ……」
第三王子は、いたずらっ子で好奇心が強く、見た目の笑顔に騙されそうになるが、狡猾ではらぐろい。
持ち前の野次馬精神で、しっかりと調べてくれることだろう。
「では、なにかわかれば教えてください。わたしは自室で読書をして待っております」
「アル、一緒に行くよ」
有無を言わせぬ断定口調。
どうやって逃げるか思いつく前に、ルイスさまがまたしてもわたしの手をそっと取った。
指と指が触れ、体温が混じる。
な、なんだ。そんなにわたしの手が好きか。
固まるわたしに、ルイスさまがにっこりと微笑む。
「どうせなら、一緒に庭園を回りましょう。レベッカ嬢が言った通り、いまはちょうど薔薇の盛り。美しい光景を一緒に楽しんだら、そのあとは二人きりで――」
ごほん、とマグダレーナさんが咳を打つ。
「……ルイスさま。人目を」
はっとして周囲を見ると、同席のレベッカさんをはじめ、軽薄王子の言動に慣れていない令嬢たちが顔を真っ赤にして、湿度の高い視線をこちらに送ってきている。
そして、そんな令嬢たちに半目を向ける令息たち。
はわわ。さっさとこの食堂から逃げよう。
なんとか手を引っこ抜いて、立ち上がる。
「マグダレーナさんも一緒に、どうですか? こちらにしかないお花の名前など、教えていただきたいのですが」
「ええ、指導役……兼、お目付け役として同伴いたしましょう。どうやら、欲求を我慢できそうにない殿方もいらっしゃいますし」
「言われてるよ、ガッツ」
「おまえ、ホント……!」
首を振って、ガッツさんも立ち上がり、レベッカさんに軽く会釈した。
「ありがとう。助かったぜ、レベッカ嬢。今後、入り用なものがあったら、ビスキュイ商会で買うことにする」
「い、いえ。ありがとうございます。でも、それよりも、あの……あたしもついていって、いいですか?」
「……なんで?」
レベッカさんは、ふい、と目を逸らした。
「……ここまで聞かされると、さすがに気になるっていうかぁ……」
どうやら、ルイスさまと同じく、野次馬気質らしかった。
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