4-3 名無しのラブレター
「差出人どころか、家名の押印も、紙面の透かしもありません。便せんに香水を振りかけてあるようですが、それ以外の情報はなく。……この香りは薔薇でしょうか」
わたしが手紙を調べていると、疲れた顔のガッツさんが手をひらひらと振って笑った。
「だから、相談するような悩みじゃないって言ったろ。この手紙、そもそも返事を期待してねえんだ。……ま、それで困っている、とも言えるんだが」
「では、ガッツさんがお悩みになっているのは『返事ができないから』なのですね。しっかりとお返事を……お断りしたいけれど、だれに伝えればいいのかもわからない、と」
「そうだ。今朝、
「あされん? それはなんですか?」
朝の訓練のことだよ、とルイスさまが注釈した。
「太陽が昇るくらいの時間から、男子寮庭園を走って一周して、芝生で剣術の型をいくつか練習して、筋トレして……そんな感じで、二時間くらいかな」
すごい。学生騎士というから、なんちゃってなのかと思っていたが……思いのほか、真面目に取り組んでいるらしい。
しかし、本題は訓練ではなくて、恋文だ。
ひとつ疑問点がある。
「……太陽寮の前に置かれていた、ですか」
「ああ。まあ、おれに直接渡せば婚約者にバレるかもしれねえし、そういう渡し方になるのは当然で――」
「ガッツさん、男子寮庭園と女子寮庭園は、高い塀で分断されていて、互いに異性禁制の場所となっているはずです。そういう渡し方は、逆に無理なのではないでしょうか」
わたしの指摘に、ルイスさまが神妙にうなずいた。
「そうだね、令嬢は太陽寮に手紙を置いたりはできないはずだ。だから、男子寮庭園に住むメイドか執事か……あるいは、代理で届けるよう、ほかの男子生徒に頼んだか」
「あら、令嬢が代理を頼んだとは、考えにくいのではなくて? 『ならぬ』立場であるならば、ガッツさま以外のだれかに読まれる可能性は、万に一つも無視できないはずですもの。婚約者がいる身で堂々と他の女性にちょっかいを出す令息なんて、そうそうおりませんし」
マグダレーナさんが半目で睨みつけたけれど、第三王子は笑顔で受け流した。
「まあまあ。じゃあ、男子寮庭園に出入りできる立場の人間……恋焦がれたメイドがやったってことじゃないかな?」
「ええと……メイドが貴族の男児に恋焦がれるのは『ならぬ』ことなのですか?」
首をかしげて問うと、途端にガッツさんが気まずそうに俯き、ルイスさまは微笑を苦笑に変えた。
「……奨励されはしないけど、実はよくあること、かな。執事が令嬢に手を出せば斬首刑だけど、子息がメイドに手を出すのは『お手つき』とも呼ばれていて……」
「まあその、なんだ。在学中にお手つきされたメイドは、たいていの場合、妾になって……将来安泰ってやつでな。積極的に狙うメイドも、いなくはない。というか、いっぱいいる」
ほほう。それは興味深い文化だ。
「ルイスさまたちも、そういったご経験が?」
「もちろんないよ。三男とはいえ王子だし、遊びで子供ができちゃうと、ちょっとね……」
「おれもない。……女性は、苦手でよ。身の回りのことも、執事に頼んでるくらいだ」
なるほど。ルイスさまは軽々に
軽薄男にも悩みがあるらしい。おもしろ。
……それにしても、女子寮庭園にいる
令嬢令息だけでなく、女中も婚活に必死だとは。
すごいところに紛れ込んでしまったわたしである。
ちなみに、ルイスさま曰く、お手つき対策として王族の周囲には異性の家来は置かないしきたりらしい。
専属の二人も執事だし、女中が必要な場面は老齢の
続く言葉の「だから安心してね」は意味がわからないが、だとすれば、発散できぬ情欲を持て余した王子が、執事や寮生男子に手を出す展開もあり得る……ということか。
それは……ほほう。ははあ。なるほど。
たっぷり五秒間ほど妄想してみる。
ルイスさまとガッツさんは両方
執事たちも見目麗しいかたが多いし、年齢層も広い。
自然と『立場の差』が生まれるから、いろいろな情景が矢継ぎ早に湧いてくる。
とてもはかどる。ふんふん、んふふ。
おっと、いけない妄想は悟られないようにしなければ。
真顔とはいえ、鼻息が荒くなればさすがに不審だし。
なんせ、同性愛は西聖教会の教義に反する。
西王国ではご法度なのだ。
そういう創作物は、むしろ盛んであるようなのだが。
なんなら、取り寄せたこともある。
「だが、そうだな。お手つきされたいメイドなら、差出人名を明記するのが自然だな」
「あるいは、返事の日時と場所を指定したり、自分とわかるようなしるしをつけたり……。だとすると、メイドの線は、むしろ薄いかも。やっぱり令嬢のだれかが、男子寮庭園に出入りできる人間に頼んで、代理で届けさせたんじゃないかな。それなら、ガッツの朝練が終わるタイミングを見計らうのも簡単だろうし」
「いずれにせよ、個人を特定できるような『しるし』がない以上、差出人を探すのは無理がありそうですわねぇ」
「……あえていえば、薔薇の香りが『しるし』でしょうか。ですが、そうなりますと……」
個人の特定は、難しそうだ。
西王国に来てまだ一ヶ月ほどしか経っていないわたしでも知っている。
薔薇の香水は、使う方が非常に多いのである。
商家から買い付け、学校に持ち込んでいる貴族子女も、たくさんいるだろう。
あるいは、お忍びで下町に買いに出る子女もいるかもしれない。
あまりにも一般的。普遍的。男女問わず、令嬢令息か執事女中かを問わず、使われている品物なのだ。
ゆえに、薔薇の香水は個人特定のしるしにはなり得ない。
さらにいえば、いまは五月だ。薔薇の盛りである。
使う人がいちばん多い時期とも言えるだろう。
「さて、ガッツ。どうする? 薔薇の香りをたどって、徹底的に調べてみるかい?」
ルイスさまの問いかけに、ガッツさんは頭をがしがしと掻いた。
「迷ってる。……正直、告白されっぱなしってのは、なんつーか、な……? ただ単に告白されただけだから、放っておいてもいいっちゃいいんだが、な……?」
「相手の顔も名前もわからず、一方的に愛を告げられた挙句、捨て置かれるのはもにょると、ガッツさんはそう言いたいのですね?」
「……もにょ? アルティさま、もにょとはなんですの?」
「申し訳ございません、
しかし、気になるのは『最後に』の文言。
これはどういう意味だろうか。
おそらく『手紙の最後に』という意味だが、差出人の名前が隠されていると、別の意味にも感じられる……ような、気もする。
うん。気のせいだろう、きっと。黙っていよう。めんどうくさそうだし。
そこで、ふと、わたしを横目で見ているルイスさまに気づく。
……なんだ、そのはらぐろな微笑みは。
「いやあ、僕は調べたほうがいいと思うなぁ。名前を隠して『最後に手紙が贈れてよかった』なんて、不吉じゃないか。まるでこのあと死ぬみたいで」
おいこら。
「お、おいおい、ルイ、マジで言ってるのか!? いや、でも、たしかにそう見えなくも……」
「悲恋に殉じて、自ら命を絶つ気かも。なんて悲しいことだろうね。とはいえ、ガッツには関係ないか。だって、告白されただけだし。放っておけばいいさ、どこのだれとも知れない女性が、悲しい結末になるかもしれないけれど……」
余談だが、学生騎士のガッツさんは、正義感が非常に強い。
きっ、と急に凛々しい顔になったガッツさんが、わたしたちに向き直った。
「差出人を調べたい。すまんが、みんな、助けてくれないか」
はらぐろ王子に誘導されちゃった。あーあ。
わたしはさくさくの三日月麺麭の最後のかけらを口に放り込んで、こっそりと席を立った。
巻き込まれないうちに寮に戻って、読書を楽しもう……と思っていたら、左手をきゅっと掴まれた。
だれに? もちろん、はらぐろ王子である。
どきどきするから気安く触れないでほしい。
「というわけで、アル。どうか、我が友ガッツのために、そしてなにより人命のために、その美しい瞳で差出人を見抜いてくれはしないかい?」
「……いや、その……わたし、本日は少し用事が……」
「人命がかかっているかもしれないんだ。まさか、寮に戻って読書をする、なんて言わないよね?」
にっこり笑顔の第三王子が、わたしの左手をやわやわと揉む。
ええい、やめんか。
振り払って、嘆息する。仕方がない。
「……で、あれば。この学園には、商家の娘もいると聞きました。香水について、たずねてみるのも一手かと思います」
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