3-2 入学と再会



「アル! だいじょうぶだったかい!?」


 なぜだか、とてもルイスさんに心配されているわたしである。

 両肩を掴まれそうになったので、とっさに二歩ほど下がると、軽薄王子は悲しそうな顔をした。

 そんなにわたしに触りたかったのだろうか。

 なんだか犬みたいだな、と失礼な感想を抱く。


「だいじょうぶですよ、ルイスさま。ガッツさんも。ごきげんよう」


 ともあれ、王子までいる場所で、同席する他国の姫にちょっかいを出す令嬢は、さすがにいない。

 ……とはいえ、衆目を集め続けるのは、わたしの本意ではない。

 どうしたものか、と悩んでいると、ルイスさんが周囲をちらりと見てうなずいた。


「んー……ちょっと、まわりの視線が痛いな。入学パーティの途中だけど、抜けちゃおっか」

「そうだな、ルイ。そろそろ、めんどうな挨拶とダンスの申し込みに飽きてきたところだし。……ダンス、苦手なんだよなー」

「あれ、ガッツ。キミはついてこなくてもいいんだけど?」

「護衛が付いていかねえわけにはいかねえだろ、色ボケ王子」


 ガッツが青髪の男子生徒に向き直った。


「おまえはどうする、ピート」

拙僧せっそうもご一緒してもよろしいので?」

「いいだろ、別に。……ああ、そうだ。アルティ殿。こちら、僧侶のピートだ」

「ごきげんよう、アルティ・チノさま。拙僧はピーター・オペラと申します。しがない学生司祭で……ルイスさまとガッツさまとは、同じ寮のよしみで仲良くしてもらっております」


 僧侶。学生司祭。とすると、西方聖教の所属か。

 会釈して、西方礼カーテシーをしようと旗袍チイパオの裾を摘まんだところで、気づく。

 この挨拶、旗袍でやったら、太ももがすごいことになってしまうのでは……?

 ちらり、どころではないくらい見えてしまいそうだ。

 どうするか迷い、動きを止めた。数秒、無言の時間が流れた。


「……アルティさま。わたくし、せっかくですから、東洋のお召し物にあわせた、東洋のご挨拶を見てみたいですわ」


 マグダレーナさん、有能……!

 内心で感謝しつつ、裾から手を離す。

 では、と一言置いて、胸の前で左拳を右手で包み、軽く会釈した。

 拱手礼である。


「ごきげんよう、ピーター司祭。今後ともよろしくお願いします」

「拙僧のことは、気軽にピートとお呼びください。同じ学生ですから」

「では、ピートさんと」


 すると、金髪碧眼の王子が口を尖らせた。


「僕のことも、気軽にルイと呼んでいいんだよ?」

「いえ、ルイスさまは、王子さまですから」


 あと、なんかこわいし。

 ぐいぐい来られるのは苦手だ。

 しょんぼりしたルイスさんを先頭に、会場から出て向かう先は、お茶会ができる露台バルコニーのある部屋。

 昨日とは別の部屋で、正面庭園を斜めに見下ろす形になった。


「露台だらけですね、この学園は。庭園があるからでしょうか」

「庭園を眺められる場所は多いですわね。ほぼ毎日、朝から晩まで、お茶会……という名の派閥争いと婚活合戦がおこなわれますから、数は多いのです」

「派閥争い……ですか」


 さっきの無知令嬢も、派閥だったのだろうか。

 取り巻きもいたし、そんな気がする。

 わたしは……めんどうだから、どこにも所属したくないなぁ。

 学園所属の女中メイドたちがてきぱきと仕事をして、あっという間に茶会の準備が整った。

 急な茶会の準備も手慣れたもの、ということらしい。

 五人でテーブルに着くと、あらためてルイスさまが申し訳なさそうな顔を向けてきた。


「ごめんね、アル。僕が付いていれば、あんな愚か者たちは近づいてこなかっただろうに……」

「いえ、お気になさらず」

「そうだ、これからは毎日一緒に行動しよう。これで安心だね、アル」


 全員が半目で王子を見て、マグダレーナさんが「んっ、んっ」と上品に咳ばらいをした。


「ルイスさま? わたくしにも立場がございますから、そういうことはおやめくださいませ」

「マグダレーナ。きみだって、僕との婚約は本意ではないだろ?」


 ……おや? 婚約?


「本意かどうかは関係ございませんの。節度の問題です。せめて、わたくしの目の前ではやめてくださいな」

「拙僧の立場から、ルイスさまにこの言葉を贈りましょう。――『汝、姦淫するなかれ』と」

「ピート、僕はまだ婚前だよ? 既婚ならばまだしも、婚約者がいるだけなら、姦淫には当たらないんじゃない?」

「おいルイ、減らず口を叩けば叩くほど、言動がクズに見えるぞ……?」


 わたしはちょうどそのとき、美味しい曲奇餅クッキーを噛んでいた。

 乾酪チーズ赤茄子トマトを重ねたものしか食べていなかったので、小腹がすいていたのだ。

 だから、会話への反応が少し遅れた。


「……あの、マグダレーナさんが、ルイスさまの婚約者なのですか……?」

「あ、うん。といっても、家同士が決めたもので……同年代で家格を釣り合わせた結果だけどね。僕も彼女も、恋愛感情があるわけじゃない。安心してね、アル」

「はあ、そうですか」


 なにを安心すればいいのかは不明だ。

 ともあれ、立場ある人間特有の義務が、ルイスとマグダレーナにもあるのだろう。

 継承権が六十番以下のわたしにすら、婚約者候補が幾人もいたはずだ。

 ……読書を優先して見合いをしなかったから、顔も知らないまま、今回の留学ですべてご破算になったが。


「さておき、今日のようなことがまたあると困りますね。作法の指導や、学園……もとい、西王国での立ち居振る舞いを指導してくれるひとが必要です。マグダレーナさんが言った通りです」

「早々に見つけたほうがいいと思いますわ。できれば、同じ学生がいいでしょうね。学内で一緒に行動していても違和感がありませんから。今日のような愚か者ならまだしも、東西大戦の復活を望む軍閥派貴族の子女がちょっかいをかけてこないとは限りませんし、地位のある令嬢を教師につけてしまうのがよいかと」


 なるほど。地位も必要になるのか。

 うなずいていると、ルイスさまがにっこりと微笑んだ。


「マグダレーナ。まさにマドレーヌ家がその『軍閥派貴族』そのものだと思うんだけれど?」

「否定はしませんわ。けれど、蒸気機関を使った大戦争なんて、考えたくもありません。……少なくとも、わたくしはそういう立場ですの」


 ……どういうことだろうか。

 マグダレーナさんの実家は軍閥派で、東西和平の喧伝アピールであるわたしを排除したい、とか?

 でも、娘のマグダレーナさんは、マドレーヌ家の中で非戦派である、と。

 わたし考え込んでいるあいだに、ルイスさんが笑顔のまま、言葉を紡いだ。


「そっか。それじゃ、マグダレーナ。きみがアルのマナー指導と、本校舎内での付き添いをやってくれれば万事解決だね。いっそアルの派閥を立ち上げて、入ってしまえばいい」

「……はい?」


 マグダレーナさんが鋭く目を尖らせ、語調を強めて口を開いた。


「……ルイスさま。そんな無茶、マドレーヌ家が許すとお思いですの?」

「僕の命令だと言えばいい。王子の命令で、学園内でのことだ。公爵も見逃してくれるさ」

「わたくし、あなたの婚約者だったはずですけれど……他の女の軍門に下れと、そうも言うのですわね?」

「格の問題だよ。大渦国の姫にマナーを教えられるのは、公爵令嬢のきみをおいて他にはいないし。アルの派閥を立ち上げ、きみが参加する。それだけで、いろいろなことが解決するし、東西の和平も……少なくともこの学園内での衝突は保たれる。どう?」

「……筋は通りますが、マナー講師なら、ガッツさまでもよいでしょう。宰相のご子息なら、家格は十分ですの」

「残念だが、おれはマナーには明るくない。……すまん」

「加えて言えば、ガッツは男子だからさ。男子禁制の女子寮庭園で、月寮パンシオン・リュンヌでともに生活しているマグダレーナなら、僕らがいないところでも目を光らせられるし、マナー指導もやりやすいはずだ。でしょ?」


 なるほど、それだけ聞けば、たしかに適役はマグダレーナさnだと、わたしも思う。

 ただ、自分の婚約者に、自分がちょっかいをかけている他国の姫の教育を任せるとか、ちょっとないんじゃなかろうか。

 この軽薄男、刺されればいいのに。

 内心でドン引きしているわたしである。

 けれど、マグダレーナさんは嘆息し、顎を引いて少し考えた。

 それから、わたしのほうを見て、頭のてっぺんからつま先までを見て、さらにたっぷり五分は黙って考え込んだ末に、重苦しくうなずいた。


「いいでしょう。国益を考えた際、それが最善の策だと判断せざるを得ませんわね」

「ありがとう、マグダレーナ。きみならそう言ってくれると思っていたよ」


 やはり笑顔のルイスさま。

 マグダレーナさんなら断らないと悟っていたな……?

 なんともはらぐろな男である。


「ただし、ルイスさま。わたくしとて、立場がある身。アルティさまへの過度なスキンシップは、どうかお控えなさってください」

「……ううん。まあ、仕方ないか。わかったよ、マグダレーナ」


 お、マグダレーナさんから反撃が入った。

 こちらとしても、触れられるのは得意ではないので、ありがたい話だ。

 手に取った曲奇餅を、一度、皿に置き、マグダレーナに向き直る。


「それでは、マグダレーナさま。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」


 手を伸ばすと、マグダレーナはしぶしぶといった顔で握手に応じてくれた。



 こうして、わたしは初日を乗り越え、とりあえずの生活基盤を手に入れたのである。

 なお、さっそくその夜から作法の指導を受けることになったのだが。


「……どうしてアルティさまのお部屋は荷物だらけで足の踏み場もありませんの?」

「馬車十五台分の宝を詰め込むまでが荷運びを担当した女官たちの仕事で、それ以降はわたしとシュエの裁量だそうで。まだ、整理ができていなくて」

「昨日の今日ですもの。仕方ありませんわ。……それにしても、東渦国のやり方には、圧倒されますわね……」


 とうぶんは、作法指導以前に、部屋の片づけをしなければならないわたしたちであった。



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