3-1 入学と再会



 権力者って、どうしてこうも話が長いのだろうか。


 あくびをかみ殺して、ちらりと周囲をうかがってみる。

 本校舎の大講堂には、西方国家連合から集まった貴族の子女がずらりと並んで、みな一様に『え、学園長まだ話すの……?』の顔で座っていた。

 子女専属の女中メイドや執事はいない。

 専属女中はあくまで、学生寮にて身の回りの世話をするための人材だ。

 本校舎内に入れるのは、原則、教師と生徒のみである。

 もちろん、昨日、シュエがわたしと一緒に入ったように、たくさん例外のある『原則』ではあるようだが。

 いちおうは決めておかないと、校舎内が女中だらけになるからだそうだ。

 一緒に入寮できる専属女中を二人までに制限されているのも、それが理由だろう。


 周囲、多くの学生たちは数人ずつの塊で座っている。

 これまでの貴族社会でか、あるいは短い寮生活の中でか、みんな友達がいるらしい。

 ……わたしにも友達、できるだろうか。

 思えば、友達というものに縁がない人生だった。親が覇王だから。

 近づいてくる同年代の子女は、だいたい下心があるか、命を狙ってきているかのどっちかだったし、そうでない人間からは奇異の目で見られた。

 今日も、何度も感じている視線だ。

 西王国においては、黒髪黒目で東洋系の顔立ちのわたしが、純粋に珍しいというのもあるだろうが。

 地味なわたしでも、大渦国イェケ・シャルク・ウルスの姫だ。

 注目されるのは、慣れている。

 ……注目といえば、入学式後に入学歓迎祝宴パーティがあるという。

 制服から洋服ドレスに着替えて、優雅に踊りなり会食なりをこなさなければならないらしい。

 心底いやだ。

 と、思うが、立場上、参加せざるを得ない。

 困ったなぁ。


 寝そうになりながら入学式を終え、ひそひそ話をする生徒たちの合間を抜けて寮に戻る。

 部屋で着用するのは、大皇帝カーンが用意した馬車に用意されていた一着。

 最高級の絹で織られた、白い旗袍チイパオ(※チャイナドレス)。

 大渦国の伝統的な服装……が、東端京トンデュアンキン近辺に伝わって出来上がった、身体のラインがぴったりと出る服装である。

 金と黒の糸で龍の紋様が刺繍され、ところどころに真珠や宝石があしらわれている。

 郷に入っては郷に従えというが、西王国の洋服ドレスはまだ仕立てられていないのだ。

 昨日着いたばかりなのだから、当たり前ではあるが。

 この服だと、かなり悪目立ちしそうで、いやになる。

 旗袍は決して嫌いではないが……この白い一着は飾りが多すぎるし、体型が如実に出るところも……少し、困る。

 痩せっぽちなのだ、わたしは。

 もっと気楽に着崩せるものが好みである。

 シュエに着付けを手伝ってもらいつつ、手早く着替えて、さらに気づく。


「……シュエ。これ、太ももの切れ込み、長くないですか」

「そんなものです。アル姫さまはもう少し肌を出し慣れたほうがよろしいかと。いつも雑な上下で寝転がって本ばかり読んで――」


 説教が始まったので、靴も履き替え、寮から本校舎の祝宴会場へ向かった。

 そして、案の定、ものすごく浮いた。

 つらい。

 首元まで布が伸びている旗袍に対して、首元と谷間を大胆に出した意匠デザインの洋服を着た令嬢が多いから、やっぱり悪目立ちするようだ。

 髪型も、いつも通りおさげにしているわたしと違って、女子も男子もばりばりに気合いが入っている。

 新入生だけでなく、先輩たちもいるようで、かなりの人数でごった返しているのだ。

 すごいなあ、とぼんやり思いつつ、会場の端でもそもそと立食を楽しむことにした。

 薄く切った白い乾酪チーズ赤茄子トマトを重ね、植物油と塩、胡椒をかけたものだ。

 こういうものを食べられるのは、数少ない留学の利点だろう。おいしい。

 あとは本があれば……東端京トンデュアンキンの書庫の本を、どうにかして持ってきたいものだが、むずかしそうだ。

 なんせ、片道一年である。

 長距離蒸気船が実用化されて、海路が安定して使えるようになっても、半年以上はかかるだろう。

 二人目の専属女中についてもそうだ。地元から呼び寄せるわけにはいかない。

 いっそ、本も女中も、こちらで新たに手に入れてしまうべきなのだろうが……。

 どうしたものかと悩んでいると、いつの間にか見慣れない女子生徒が近づいて来ていた。

 もっとも、わたしにとっては全生徒が見慣れない相手だが。

 ともあれ、その女子生徒は高圧的に『はん!』と鼻を鳴らした。

 まわりには取り巻きと思しき令嬢たちが数人いて、くすくすと含み笑いを漏らしている。

 なんだか厄介そうな気配がする。


「あら、これはこれはアルティ・チノさま。ごきげんよう。ずいぶんと変わったドレスをお召しになっていますのね。それが蛮族のファッションなのかしら」


 わたしは無言で令嬢の頭のてっぺんからつま先までを流し見て、派手だな、と思った。

 周囲の者たちは、やや華美さが劣るが、同様に派手……つまり、偉そうな令嬢よりも派手にならないよう、取り巻きなりの配慮があるのだろう。

 大変そうだ。

 ふぅん、と少し考えて、乾酪と赤茄子を重ねたやつを頬張る。

 もぐもぐと噛み、呑み込む。


「…………」


 それから、もう一度、乾酪と赤茄子を重ねたものを食べようと――。


「あの、ちょっと! あなた、失礼ではなくて!? このわたくしが声をかけているのですよ!? 無視なさるおつもり!?」


 どのわたくしなのだろうか。

 溜息を吐いて、令嬢の一団に背を向けてやった。

 対応すべきではないと判断したからだ。

 ただ、皿に向かって言葉を発する。


「これはひとりごとですが。あなたが侮辱を続ければ、わたしはあなたに敵対しなければなりません。大渦国が敵対することの意味、わからないわけではないでしょう?」


 そう、ひとりごとだ。大陸の地図が頭に入っている人間なら、これで引き下がる。

 蒸気機関が発明されたいまになって、東西大戦を再開したいなんてものは、生粋の戦争屋か、利権を増やしたい商人か侵略者……あるいは、大量虐殺が趣味の変人だ。

 うむ、我ながらいい対応ができた。

 と、思っていたわたしが甘かった。


「あら? たかが遊牧民の国でしょう? 馬を乗りまわす、足にひづめが生えたような蛮族の姫にはわからないかもしれませんけれど、我が西方国家連合の騎士は田舎の小国など恐れる必要も――」


 はわわ、と無言で焦るわたしである。

 どうしよう、こいつ……戦争以前に、単なる不勉強だ……!

 支配階級のくせして、地図が頭に入っていない。

 これ以上聞いてしまえば、立場上、最低でもこの令嬢と取り巻き立ちの……首は、もらわないといけなくなる

 周囲、無知な令嬢の言動に血相を変える貴族子女も少なくないが、止めには入ってくる様子はない。

 巻き込まれたくないのだろう。

 気持ちはわかるが、頼むから止めてくれ。わたしが動けば泥沼である。

 真顔で焦っていると、偉そうに無知を晒す令嬢のそばに、するりとひとりの女性が立った。

 その女性は手にした硝子杯グラスを優雅に傾けて、無知晒し令嬢の頭上に水をぶちまけた。


「――へ?」


 突然の水に口を開けて驚く無知令嬢に――それと、ついでに真顔でびっくりしているわたしにも――グラスの持ち主が優雅に微笑んだ。


「あら? ごめんなさい、あまりにも見苦しく汚いもので、水をかければきれいになるかしら、と思って。頭のついた人間だとは気づきませんでしたの」


 その女性は笑顔のまま、蛇のような鋭い瞳でわたしの旗袍を見た。

 太もものあたりで少し目を細めて、すぐに視線をわたしの顔に戻す。


「ごきげんよう、アルティさま。素敵なお召し物ですわね。東洋のものかしら? 素晴らしい刺繍と宝石の数々、ひとめ見て会場の主役はあなただと気づきましたわ。わたくしも、ぜひとも一着、東洋のお着物を手に入れたいのですけれど……アルティさまほど着こなせそうにありませんわね」


 ……た、助かったー!

 心臓をばくばくと鳴らしつつ、わたしはその闖入者に会釈した。


「ごきげんよう、マグダレーナさん。よろしければ、わたしが東端京トンデュアンキンから一流の仕立て屋を呼びますよ。その代わりと言ってはなんですが、わたしも一着、西洋の洋服ドレスが入り用なので、ご相談させていただいても?」

「ええ、もちろんかまいませんの。アルティさまのお願いなら、喜んで」


 水をぶっかけた当事者、マグダレーナさんは笑顔で、わたしは真顔で会話を続ける。

 そこに、他にだれもいないかのように。

 髪を無惨に水で崩した無知な令嬢が、困惑したようにおろおろと視線を泳がせた。


「あ、あなた、は……え、マドレーヌ公爵家の、マグダレーナ、さま……? どうして、蹄の姫などに媚びを……?」

「おや、最近の汚れは喋りますのね。耳まで汚れてしまいそう。そこのかたがた」


 水をぶっかけた当事者、マグダレーナ・マドレーヌさんは令嬢の取り巻きたちを手に持った扇で指し示した。


「その汚れ、目障りですの。すぐにきれいにしてくださる? それとも……もろともに掃除されてしまいたい?」


 ひぃ、と喉奥から細い悲鳴を上げて、令嬢たちは呆然とする無知令嬢の腕を引っ張って、祝宴会場から足早に去っていった。

 それを見送って、ようやく、わたしの肩から力が抜けた。

 は、と小さく息を吐く。


「……助かりました、マグダレーナさん」

「いえ。汚れを掃除しただけですの、お気になさらず。アルティさまには、申し訳ございませんでした。汚れでお気を悪くされていなければいいのですけれど……」

「気にしていませんよ。きれいになったのですから」


 少し考えてから、周囲に聞こえるくらい大きな声で、言葉を付け足すことにする。


「大渦国の姫として、できれば明日以降も、わたしの周囲がきれいであることを望みますけれど、本日は祝宴の日。少しの汚れくらいは、見逃しましょう」


 つまり、『大国の姫として、めんどうごとは避けたいから、明日から言動には気を付けろよ』という周知である。

 令嬢のふるまいにはあまり慣れていないが、西方の小説でいくらか知識を得ていたので、助かった。

 小説といえば、マグダレーナ・マドレーヌさんは、まさに物語に出てくる悪役令嬢のような立ち居振る舞いだった。

 かっこいい。

 ただ、ほんとうに悪役令嬢みたいな底意地の悪さがあって……というわけではないだろう。

 必要だからやったのだ。

 同じ月寮パンシオン・リュンヌ、最高級の女子寮に住まう、ただひとりの令嬢。

 つまり、いま学内にいる令嬢としては、わたしを除けば最高格。

 もっとも責任ある令嬢として、愚かな子女の暴走を『これは汚れであって人間ではない』と切り捨てることで、収めたのだ。

 わたしが対応することになれば、最悪の場合、言葉ではなく刀で切り捨てることになってしまう。

 シュエにそんなことをさせたくはないし、国際問題を引き起こして禍根を残したくもない。

 マグダレーナさんがいて、ほんとうに助かった。


 そこで、ようやく事態に気づいたのか、会場の端から三人の男子が足早に向かってきているのが見えた。

 二人は見覚えがある。金髪碧眼の王子と、銀毛の護衛だ。もう一人は、深い青色の長髪を持つ、聖職者のローブを身にまとった青年。

 今度こそ、窮地は脱したようだ。

 冷静にそう考えて、わたしは『もう疲れたから東端京に帰りたい』と心から願った。



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