2-3 入学と再会



 急な留学だったとはいえ、わたしは大陸でも最上位の教育を受けた、巨大帝国の姫。

 西方国家連合の貴族のマナーはひと通り、知識として得ている。


「……つもり、だったのですが……」


 言い訳のように口にすると、対面に座るマグダレーナさんが嘆息した。

 場所は本校舎に向かって右奥にある、女子寮庭園区画にある、華美な建物。

 いくつかある女子寮の中でも最高級の寮、月寮パンシオン・リュンヌだ。

 相当な家格でなければ入寮できないらしく、いま住んでいるのは大渦国イェケ・シャルク・ウルスの姫たるわたし、アルティ・チノと、西王国王家と血のつながりを持つ公爵家令嬢のマグダレーナ・マドレーヌさんだけ。

 身の回りの世話をするそれぞれの女中メイドたちや、寮を管理する学園側の女中や管理人も住み込んではいるため、けっして二人きりではないが……食事どきに食堂のテーブルに着くのはわたしたちだけ。

 女中たちは食堂内の壁際で、目を伏せて控えていて……シュエは部屋で諸々の準備をしているから、食堂にはいない。

 初対面のお嬢さまと同席で二人きりだなんて、わたしにはいささかハードルが高くて困る。


 時刻は朝で、ちょうど月寮内の食堂で朝ごはんをいただいていたところだ。

 麺麭パンを薄く切って焼いたものと、半熟の卵と、野菜の汁物。それから、二種類の茹でた腸詰めソーセージ

 慣れない西洋の食事だが、わくわくしながら食器を手に取って、食事にありついて。

 そして、一緒に食事をとっていたマグダレーナさんから「ちょっといいですの?」と声をかけられたのだ。

 いわく、作法マナーがなっていない、と。


「……なぜパンをフォークで食べますの」

「書物で『西の地方ではあらゆるものを食刀ナイフ食叉フォークで食べる』と読んだのですが……」

「特に手が汚れるようなものでなければ、パンは手でよろしいですわ。それから、カトラリーを使う際は音をたてないよう、お気をつけなさいませ」

「なるほど。ありがとうございます、マグダレーナさん」


 お礼を言って、腸詰めを手づかみで食べたら、控えていた女中が小さく「きゃ」と声を上げた。

 はわわ。またなにかやらかしたか――と、真顔で焦るわたしである。

 再びマグダレーナさまが「ちょっと、アルティ・チノさま?」と半目になった。


「……もしかしなくても、大渦国イェケ・シャルク・ウルスは、料理は手づかみで食べる文化圏でしたのね?」

「ものによって違いますが、平原での食事はそういうものが多いです。東端京では箸を使っておりました。食刀と食叉を使っての食事は、はじめてです」

「では、食事作法を学ぶ教師をつけたほうがよろしいかと存じますわ」


 淡々とそう言って、マグダレーナさんは先に食事を終え、去っていった。

 ええと、つまり……腸詰めは、手づかみではなく食叉で食べるのが正解?

 茹でた腸詰めは手が汚れないから、手づかみでいいと判断したのだが、どうやら違うらしい。

 判断が難解だ。なにがよくて、なにがだめなのかがわからない。


「教師をつける、ですか。ふむ……」


 たしかに、その必要がありそうだ。

 急な留学だったから、西王国側で暮らす準備ができていないのである。

 くそおやじめ。

 シュエリーに教えてもらうのは、むりだろう。

 まったく同じ環境で育ったし、どちらかといえば護衛武官寄りの人間なので、西方の作法についてはわたしのほうが詳しいくらいだろう。

 けれど、ほかに知り合いといえば、第三王子とその護衛しかいない。

 あの軽薄王子……ルイス・エクレールさまに教えてもらうのは、無理があるだろう。

 だって、王子だ。

 王子を教師代わりにするのは、覇王の娘としては正しいかもしれないが、わたしには無理。

 ……軽薄チャラいから、あまり関わりたくないし。

 ガッツ・シブーストさんに頼むの難しいだろう。

 王子の護衛なのだから、王子から離れられないだろうし……。

 少し考えた結果、『とりあえず後回しにしよう』と決めた。

 四苦八苦しつつも食べ終わり、部屋に戻る。

 着替えなければならないのだ。

 貴族間の経済格差を浮き彫りにしないよう、学生として活動する間は学園が指定した制服を着用する、という規則があるのだ。

 青と白を基調にした、上衣と洋袴スカートが一体型になった洋服ワンピース

 学園側の女中に無理を言って手伝ってもらい、なんとかして着替えた。

 次からひとりで着替えられるよう、シュエリーともども、詳しく説明してもらう。

 ありがとう、と女中に伝えると、なんとも言えない微妙な表情で一礼して去っていった。


「服の着方も知らない女だ、と思われたかもしれませんね、アル姫さま」

「仕方ないです。実際、知らないのですから」


 嘆息する。

 大皇帝から与えられた大渦国側の女中たちは、わたしたちが到着すると帰ってしまった。

 本来、寮生が連れ込めるお付きのものはそれぞれ二人までという規則があるらしく、ずっと女子寮にはいられないのだとか。

 また、女中たちはあくまで『宝の詰まった馬車の護衛』と『先に来て留学の準備をする』仕事を与えられた、大皇帝の部下の女官たちだ。

 シュエリーと違って、わたしの部下ではない。

 だから、帰った。あっさりと。

 『あ、やっときた。じゃあ帰りまーす』くらいの軽さで去っていった。

 正直なところ、気持ちはわかる。

 貴族学園に入学する生徒は、春休み中の入寮が義務付けられていて、わたしは最終日の昨日、到着した。

 先んじて到着していた女中たちは、ずっと待っていたのだ。異国の貴族学園で。

 用が終われば一刻も早く大渦国に帰りたいだろう。わかる、もちろん、わかる。

 でも、だからってシュエと二人だけ放り出して帰らなくてもいいじゃないか。

 わたしだって東端京トンデュアンキンに帰りたいのに。


 というか、悪いのはぎりぎりに到着したわたしではなく、大皇帝そのひとである。

 うう、と頭を抱えたくなる。

 故郷の書庫を思い出す。まだ読んでいない本が、ごまんとあるのだ。

 特に読みかけの衆道BL小説は、かなりの量が……まあ、それはいいとして。

 東端京に戻って、本を読み、たっぷりと眠り、風を切って馬を駆り、ときおり手慰みに弓に触れる……そんな生活に、戻りたい。

 なのに、帰れない。

 三年間は和平成立の喧伝アピール役として、しっかり留学生を勤めあげねばならない。

 それくらいの責任感は、わたしにだってある。

 ……婚活はしない。男より本だ。どきどきもわくわくも、物語から得られるじゃないか。

 準備期間を与えてくれなかった父親に恨みの念を飛ばしつつ、追加で女中を雇う必要性についても考えながら、入学式へと向かった。



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