2-2 入学と再会



 むちゃくちゃを言う大皇帝カーンのせいで、わたしはシュエとともに馬を駆ることになった。

 シュエリー・リーは専属女官兼護衛で、三つ上の十八歳だ。

 すらりと細長い体躯、耳を出した短髪、東端京の生真面目な武官っぽい、凛々しい顔つきが特徴。美男子風だが、れっきとした女子。

 護衛ではあるが、幼いころから一緒に育てられた、姉のような存在である。

 どこに行くにも一緒で、わたしを導いてくれる大切な家族だ。


「いまから三か月で大陸の西の果てまで? アル姫さま、それは無茶というものですが……大皇帝の命? わかりました、なんとかしましょう」


 と、一緒に天幕ゲルを飛び出してくれた。

 いくつかの小渦集落ウルスを経由して、馬を乗り換えながら、まずは一ヶ月で大陸中央平原の端まで駆け抜けた。

 わたしたちが暮らす大陸は、広大だ。

 東端京トンデュアンキンに住んでいたわたしが西王国に向かうわけだから、事実上、その広大な大陸を横断することになる。

 無茶苦茶だ。本来は、一年をかけておこなう旅だというのに。

 大陸中心北部にある北部平原を超えた先で待ち受けていたのは、美しい西洋の風などではなく、厳しい旅程だった。


「北部平原のほうが移動距離はありましたが、すべて大皇帝の支配下。アル姫さまの留学は知らされておりましたから、立ち寄った小渦集落も協力的でした。しかし、ここから先は違います」


 シュエは難しい顔で言った。


「他国です。大皇帝の威光は届きません。残り二か月で大陸西端まで行くならば、まず信用できる案内人を見つける必要がありましょう」

「ですが、わたしもシュエも、西方ははじめてでしょう? 遊牧生活中、母の会談のために、大平原の西に天幕を張ったことはありましたけれど。五歳くらいでしたか」

「ええ。わたしもあれ以来です。ですから……仕方がないので、砂漠商人を雇いましょう。砂金を積めば、引き受けてくれるはずです」


 まじか、と真顔で呻く。

 砂漠商人は、金さえ払えばなんでもするが、逆にいえば、金を払わなければなにもしない。

 とにかくがめつくて、わたしも書籍の輸入で何度か……いや、何度も痛い目を見た。

 できれば頼りたくない相手ではあるが、背に腹は代えられない。

 ちょっとばかばかしくなるくらいの雇用費を払って――二か月の旅程、人間二人と馬二頭の案内で砂金を一公斤キログラム――わたしたちは、なんとか西王国に入国を果たしたのである。


「西方国家連合に山ほどある国境を最適解で超えるルートの構築。安全で高級な宿の確保。野盗対策の護衛団。さらには、商人しかしらない秘密の街道まで明かしたんですぜ。砂金一キロ程度で済んだのは、大変良心的でお得だと思いやすがねぇ」


 などとうそぶく砂漠商人を睨みつけながら街道をひた走り、貴族学園のある学園都市へ。

 馬は何度も乗り換えた。

 急行軍で休む暇がないため、疲れた馬は街で売り、別の馬に取り換える必要があったのだ。

 申し訳ないことをした。馬は一緒に暮らすものなのに。

 だが、仕方がない。入学の日に遅れれば、あの大皇帝が笑うだろう。

 それは嫌だった。心底、嫌だった。

 あのにやけたじじいに、一泡吹かせてやりたかったのだ。


 なので、わたしは馬を駆った。腰がおかしくなっても、馬を走らせた。

 そして入学式の前日に間に合い、馬を駆って乗りつけたところ、たいへん驚かれた。

 令嬢は馬車を使うものだという。

 馬車も決して嫌いではないが、どちらかといえば自分で操り、風を切って走らせるほうが好みだ。

 ともあれ、わたしは校舎内に案内され、露台バルコニーでお茶を飲んで一息つき、そして問うた。


「ところで、第三王子さまは、どうして護衛のふりをなさっているのですか?」



 ――と、あらましを説明し終えると、対面に座ったルイス・エクレールさまはなんとも言えない顔で苦笑した。


「風の噂には聞いていたけれど、大渦国イェケ・シャルク・ウルスの大皇帝が無茶な命令で部下を疲弊させるというのは、ほんとうだったんだね……」

「とてつもない無茶ぶりでした。馬に揺られすぎて、腰が捻じれ切れるかと思ったほどです」


 早く横になりたい。

 先んじて送られているはずの女中たちに、按摩マッサージをお願いして……ああ、できれば風呂も。

 西王国レルム・デ・ウェストは湯を張る文化圏だったっけ?

 ゆっくり肩まで浸かりたいのだが。


 ともあれ、そういうわけで、疲労がぱんぱんに溜まっているのだ。

 わたしとしては、早々に茶会を切り上げたいのだが、相手が第三王子となるとそうもいかない。

 ついでにいえば、もうひとつ確認したいこともあった。


「……ルイスさま。聞いておきたいのですが……なぜ、こんないたずらを? 場合によっては、国際問題にもなる行為です」


 和平成立の喧伝アピールとして留学してきたわたしに対して、西王国の第三王子が詐称を働いたのだ。

 場合によっては手ひどい侮辱だと感じたわたしが、とんぼ返りする可能性もあっただろう。

 ……わたしは、そういう性格ではないが、少なくとも、西王国の第三王子が、大渦国の第五王妃カトゥンの末の姫の性格を知っているはずがない。

 だから、そこだけは、親善の姫として聞いておかなければならなかった。


「さて、なぜだと思う?」


 わたしの問いを、しかし、ルイスさまははぐらかした。

 なんだこいつ。めんどくさい男だな、と考えつつ、首を傾げてみせる。


「わかりません。それを判断する材料がありませんから」


 だが、よほどの愚か者でもなければ、しないことだと思う。

 ルイスさまは愚か者なのか、あるいは別の思惑があるのか。確かめる必要があった。

 まっすぐ見つめると、金髪碧眼の王子は頬を緩ませた。


「素敵な女性に一目ぼれして、ちょっと困らせたくなっちゃった……じゃ、だめかな?」


 ――は?

 冗談を言わないでください、と言い返す前に、ルイスさまが動いた。

 丸いテーブルに載せたわたしの手に、自らの手を重ねたのだ。

 小さな手を、すっぽりと覆う。温かさが手の甲から肌を通って血流に伝わる。

 え? はい?

 頭の中から一瞬で『いまなにをしないといけないのか』が吹っ飛んだ。


「……なんですか?」


 そして、びっくりしすぎると、逆に表情や言動が硬くなってしまうわたしである。

 はわわ。男のひとの手って、大きくてかたい……いや、違う。そうじゃなくて。


「親睦を深めたいんだ。いけない?」


 きざな微笑みを向けられて、思わず目を逸らす。


「いけなくは、ないですが」


 なんだ、その答えは。我ながら接触に弱すぎる。

 視界の端でシュエが笑いをこらえている。こら、助けなさいよ。

 ……手を振り払うのは失礼だろう、としばらくは我慢していたけれど、さすがに手の甲を指で、つい、と撫でられるのは、耐えられなかった。

 びくりと震えて、手を引っこ抜いてしまう。


「……お戯れを」

「アル、かわいいね」


 からかうように言われると、むっとしてしまう。


「軽薄です。女性に、そんな簡単に……」

「そもそも、そういう学園だし」

「あまり、からかわないでください。だいたい、第三王子さまともなれば、決まったお相手がいらっしゃるのでは?」

「いるよ? 婚約者」


 あっけらかんと言われると、さすがに不快感が高まる。


「……不埒です。王族ともなれば、第二、第三の妻を探しても不思議はありませんが、わたしは大渦国の大皇帝に連なるもの。安いと思われるのは、心外です」


 そっぽを向いてやる。ふんだ。


「そっか。じゃあ、アルを手に入れたいなら、いまの婚約を破棄しなきゃだね」


 すると、ルイスさまはにこにこしながらそんなことをのたまった。

 信じられない。

 最悪だ。女の敵だ。

 とんでもない軽薄チャラ男に違いない。

 苦手なりに、精一杯睨みつけると、なぜか笑顔になった。

 変な趣味でもあるのだろうか。


「……きみとこうやって情熱的に見つめ合うのも悪くないけれど、本日はこのあたりにしておこっか。長旅で疲れたでしょ、寮でゆっくり休んで。明日は入学式と歓迎パーティだから、準備もあるだろうし――」


 だれが情熱的に見つめ合ったって?

 まあいい、見逃してくれるなら、それでいい。

 今後は不用意に近づかないようにしよう。

 軽薄男には近づかないのがいちばんなのだ。


「――学期がはじまれば、いくらでもチャンスはあるし」


 が、見逃してくれる気はさらさらないらしかった。

 最悪である。



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