2-1 入学と再会
「アルティ・チノ。おぬし、
生まれて初めて会った娘に開口一番でいう言葉が、それか。
そう思って、こっそり息を吐く。
玉座にふんぞり返る父の顔を、わたしはまだ見ていない。
顔を上げる許可を得ていないからだ。
父は大陸北部の大平原から東の海までを支配する遊牧民国家、
実の子であっても、玉座から何段も階段を下がった場所で、平伏しながらしか会えない相手だ。
とはいえ、十五歳になるまで一度も会わなかったのは、ひとえにわたしが第五
会うだけの価値がないのだ。わたしには。ひるがえって言えば、今さら会いに来たのは……なんらかの利用価値を見つけたから、だろう。
もちろん、口ごたえなんてするはずもない。できるわけもない。
「……は。おおせのままに」
命令に対して淡々と言葉を返すと、大皇帝は意外そうに「ほう」と声を上げた。
「なんだ。なぜ行くのか、気にならぬのか。わしが無茶苦茶を言うと、姫も王子も、たいていはびっくりしてなにか言ってくるのだが」
「……質問をお許しいただけるのであれば、お聞きしたいとは存じますが。西王国は、我が大渦国と和平が成った国です。そこに末端の姫たるわたしが送り込まれるとすれば、和平の証であろうと存じます。人質として、斬り捨てやすいわたしが選ばれたのではないか、と邪推しております」
「ほう」
もちろん、推論だ。だが、大皇帝の反応から、当たらずとも遠からずらしい。
「人質であれ、なんであれ。平和の一助になるのであれば、こちらに否はありません。西王国行きの命、謹んで拝領いたします」
「よく勉強しておるな。
顔を上げると、玉座に座る老人が見えた。
老人といっても、八十歳を超えても現役の遊牧民であり、王だ。
わたしより頭みっつ分は大きな筋骨隆々の体躯と、らんらんと輝く瞳が特徴的な、しわだらけの顔。
じっと見つめられると、背筋に氷を押しあてられるような錯覚が、ぞわぞわとせり上がった。
おそろしい。
顔に出さないよう気を払いつつ、そう思う。
感情を顔に出さないのは、わたしの特技だ。お目付け役には「本ばかり読んで他人と喋らないから、顔の筋肉がとっさに動かないのです」とか言われるが、特技だと言い張っている。
「……ふむ。黒髪黒目、母親似だな。
「五年です。十歳を数えるまでは、馬上で」
この場合の『馬上で』とは、遊牧生活を指す。
季節ごとに場所を移して
母が東端京の執政官に任じられてからは、王宮暮らし。
この度は大皇帝に呼び出されて、久々に大平原に、そして大皇帝の移動式大集落に参った……という次第である。
「十まで馬上か。では、旅は手慣れておるな。西王国について、どこまで知っておるか」
「ものの本で読んだだけですので、ほんの触りくらいですが。大陸の西海に面した、いわば東端京の正反対に位置する国だと。それから、西方国家連合の盟主国でもある、と。四季はあるものの、東端京ほど暑くも寒くもならなくて……
「うむ、よく勉強しておる。よいことだ。……だが、眼鏡はよくないな」
愛用の大きな丸眼鏡を指しているらしい。
しまった、置いて来るべきだった。
地平に目を凝らす遊牧民にとって、眼鏡は虚弱の象徴である。
放っておいてくれ、と思わなくもないが。
「……本の読みすぎで。反省しております」
「読書家か。弓術はどうだ。流行りの銃術でもいいぞ」
「どちらも、触る程度で。東端京の実技大会では、両方とも一位を逃しました」
「何位だ?」
「弓術が三位、銃術が二位です。ああ、いちおう、馬術は一位でした」
大皇帝は目を細めて、くつくつと笑った。
「血は争えぬな。ああ惜しい、まことに惜しい。二十五年前に生まれておれば、戦場で馬を並べられたであろうに」
「……
そもそも、わたし、根っからの室内娯楽主義者だし。弓より銃より、本が好きだし。
ほんとうは、わざわざ
東端京の宮廷の自室で、書物に触れていたかった。
最近の好みは小説、恋物語だ。
お目付け役には『市井の恋物語などはしたない』と叱られるが。
「ま、かまわん。戦がない以上は、戦以外で役に立ってもらう。……西王国、西方国家連合にはひとつ、面白いしきたりがある。貴族学園を知っているか?」
「……いえ。貴族がいるのは知っておりますが」
西王国から仕入れた小説だと、貴族はだいたい悲恋の敵役だ。
美貌の村娘を強引にさらった領主に、村娘の幼馴染が反旗を翻して領主を打ち倒し……みたいな。
鉄板の展開である。
「では、教えよう。貴族学園とはな……つまるところ、巨大な
「……は?」
わたしの間抜けな声に、またしても大皇帝がくつくつと笑う。
「本来はもちろん、貴族の子女に教育を施すための学校機関だが、歴史の中で在り方がねじくれたようでな。いつのまにやら、西方国家連合各地から有力者の子女が集い、三年かけて伴侶を探す場になっているそうだ。勉強そっちのけでな」
勉強しろよ、と見たこともない貴族の子女に思った。
「……つまりわたしに、貴族学園に入学せよ、と?」
「そして、向こうのだれかと結婚してもいい。しなくてもいいがな」
五秒ほど黙って考えてみる。
「……なるほど。つまり、政治ですか」
「そうとも、政治だ。和平は成ったが、あやつら、わしがいつ和平を破棄して西方国家連合に攻め入るか、戦々恐々としておるようだ。大皇帝の血族が欲しいのだろうよ」
「わかります。大渦国と血を分けた家族を持ち、同盟のつながりを強化したいのですね。ですが……なぜ、わたしが?」
さきほど言った通り、西王国は西方国家連合の盟主国。送り込むならば、より地位の高い姫か王子がいくらでもいるはずだ。
人質でないならば、価値の低いわたしよりも、適役はいただろうに。
首をかしげるわたしに、大皇帝は微笑んだ。
「いやな? 『そういえば東のほうに、第五の末の姫がいたなぁ。いまなにやってるんだっけ、一回くらい顔見とくか』と、まあそんな感じで」
「そんな感じで?」
「うむ」
思わずオウム返しに問い返してしまった。
「入学するにあたって、年齢もちょうどいいから、選んだ」
「ちょうどいいから?」
「うむ」
この覇王め……!
政治で遊ぶな、と言いたい。大皇帝でなければ、殴っていただろう。
実際に殴り掛かると縛り首になるので、ぜったいに出来ないが。
「ひとつ、計算外だったのは、おぬしがさほど慌てておらぬことだな。いまだに顔色ひとつ変えぬとは。これはこれで面白い姫だ」
娘で遊ぶな、と言いたい。大皇帝でなければ、殴っていただろう。
縛り首はいやなので、やっぱり我慢するけれども。
「ようするに、留学だ。てきとうに三年を過ごして東端京に帰るもよし、男を見つけて嫁ぐもよし、だ。せっかくの平和だ、堪能して来るがいい」
「……わかりました。では、いつごろ留学すればよいでしょうか」
どうせ、断ることはできないのだ。相手は大皇帝、気安く接してくれてはいるが、逆らえば死ぬ。
留学の命、諦めて受け入れるしかないだろう。
どこでだって本は読める。三年間くらい、我慢しよう。
こっそりとため息を吐いて、考える。
はやければ、一年後くらいだろうか。旅程を考えれば、半年は用意に当てたい。
東端京から大陸西端まで、旅程で言えば半年くらいはかかるはずだ。
早急に東端京に戻って、自室の本の整理を始めなければならない。書庫が二つもあるのだ。ぜんぶ持って行くのに、馬が何頭必要だろうか。
内心で計算を始めたわたし、大皇帝は告げた。
「三か月後だ」
「……は? え?」
おいこのじじい、三か月って言ったか、いま。
さすがのわたしの表情筋も、ようやく自分の仕事を思い出したのか、ぴくぴくと引きつった。
「ちょうど次の春が入学の季節でな。わしも合意し、先行して留学に必要な物資は出発させてある。金銀宝石、より取り見取りだ。あれだけあれば、向こうの貴族どもに舐められることもなかろうよ」
「……あの、父上? まさかとは思いますが……」
生まれて初めて会った父は、しわだらけの顔をにっこりと歪ませた。
「いい顔をしておるな、アルティ。そのまさかだ。三か月以内に西王国へ向かえ。たぶん、明日にはこの大平原を発たねば間に合わぬと思うが……明日発っても間に合わぬ可能性が高いが……まあがんばれ! おもしろい報告を期待しておるぞ!」
縛り首でもいいから、ぶん殴ってやろうかと思った。
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