第8話

 田所さんの本に対する熱意には感心する。「失恋をしてもう一度本を読みたい」その熱意は、月曜日になっても冷めてはいなかった。

 そのことは、月曜日の登校中に判明した。一緒に帰るときにいつも別れる場所で待ち伏せをしていたのだ。

「おはよう、有村さん」

 やけに爽やかな笑顔で挨拶をされた。

「おはよう……諦めてないの?」

「え? 何の話?」

 どうやらとぼけるつもりらしい。

「本当に、バカなことはやめなよ」

「有村さんは気にしなくていいから」

 そう言われても気にせずにはいられない。そして、学校に着いてからも休み時間ごとに話し掛けられた。「読書の邪魔をされたくないから教室では話し掛けないでほしい」と言っていたのと同じ人物だとは思えない。

 昼休みには一緒に昼食を食べようと誘われた。

 これを断ったら失恋気分を味わってもらえるかもしれないと思い、わざと素っ気なく「他の友だちと食べるから」と言ってみた。

 だが田所さんはショックを受けた様子もなく「そうだよね」とさっぱりとした顔で自席に戻った。

 やる気があるのかないのか分からない。

 その日、田所さんは放課後までタイミングを見付けては話し掛けることを繰り返していた。

 私の方は友人たちに「急にどうしたの?」「何があったの?」と質問攻めにされていい迷惑だった。

 放課後にも声を掛けられたので、私は諦めて「一緒に帰ろうか」と提案する。すると田所さんはうれしそうな笑みを見せた。

「で、一日無駄に話し掛けてみてどうだった?」

「なんだか緊張してドキドキした……ような、気がする。これって、恋じゃないかな?」

「普段、教室で誰とも話したことがないのに、急に話そうとすれば緊張するんじゃない?」

 私はため息交じりに言う。すると、「そっか」と素直に納得した。

「別に、好きになるために話し掛ける必要はないでしょう」

「そうなの?」

「小説にも見ているだけってシチュエーションはあるでしょう。あ、ほら、例の『失恋をするはなし』もそうだったじゃない」

「そっか。片想いなら話し掛けられずにモジモジしてた方がそれっぽいよね」

 田所さんはなんだかとても楽しそうだ。そのやる気があれば、私相手に疑似恋愛をしなくても、本当に好きな人を探せるんじゃないかと思う。

 私の忠告が効いたのか、翌日からは無駄に話し掛けてくることはなくなった。その代わりに突き刺さるような視線を感じた。

 視線が痛い。好きな人を見つめているというよりは、恨みを込めて睨みつけているような視線に、友人たちから「田所さんに何かしたの?」と質問攻めにされていい迷惑だった。



 水曜日の放課後。図書室のいつもの席に田所さんの姿は無かった。カウンターがよく見える入り口に近い席を陣取っている。

 手元には本を置いていたがそれを読む気配はない。このゲームをいつまで続ける気なのだろう。

 ちょっとうんざりしながらも、田所さんを無視していつもの通り当番の仕事をした。

 志鶴さんは田所さんをチラリと見て私に顔を寄せる。

「本当に、主(ぬし)と仲良しなんだね」

「え、はあ、まあ」

 私はなんとか平静を装ったが、志鶴さんとの距離が近くて少し顔が赤くなったのが分かった。

「いつもどんな話をしてるの?」

「まあ、本の話がほとんどですね」

「美咲ちゃんはどんな本を読むの?」

「私はあんまり読まないです。この間読んだのは……」

 志鶴さんは興味深そうな顔で私を見ている。

「この間読んだのは『失恋をするはなし』っていう本です」

 現在進行形で失恋をしている相手向かって『失恋をするはなし』とは因果なものだ。

「美咲ちゃんもそういうのに興味があるんだね。ちょっと意外。恋愛の話とか聞いたことないし」

「はあ、まあ」

 好きな相手に恋愛の話なんてできるはずがない。

「好きな人いるの? なんでも相談にのっちゃうよ」

 無邪気な顔の志鶴さんに少し苛立つ。本当に相談をしたらどんなアドバイスをくれるのだろう。

「別にいませんよ。田所さんが面白いって言ったから読んでみただけです。私はあんまり面白いとは思えませんでした」

「そうなの?」

「志鶴さんは兄貴のどこがいいです? ぶっちゃけ、かっこよくもないし、鈍感だし、頭も悪いし、特にいいところなんてないと思うんですけど」

「美咲ちゃん、言い過ぎ」

 志鶴さんは苦笑いを浮かべる。「そんなことないよ」と否定しないところを見ると、そう思っている節があるのだろう。

「なんていうのかな、咲馬くんはやさしいし、話しやすい雰囲気があるんだよね。あ、そういう雰囲気は美咲ちゃんも同じだよね」

 だったら、兄貴じゃなくて私でもいいんじゃないですか。そんな言葉が頭に浮かぶ。

「でも、きっと理由なんてないんだよ。気付いたときには好きだなーって思っちゃってたし」

 志鶴さんは少し頬を赤くして笑みを浮かべる。

「彼氏の妹にノロケ話を聞かせて楽しいですか?」

「ひどい、美咲ちゃんが聞いたんじゃない」

 志鶴さんは怒った顔を作って私の肩をポンと軽く叩いた。

 結局、私が入る隙などどこにもないのだ。だけど、不思議なことに、私の心は穏やかだった。きっぱりと諦められるときが近づいているのかもしれない。

 そうして、いつものように迎えに来た兄貴に志鶴さんを引き渡し、私は田所さんに目を向けた。

「それじゃあ、帰りますか?」

「うん」

 なんだか、田所さんは少しだけ元気がないように見えた。

 月曜日から本を読んでいる姿を見ていないし、今日も結局手元に置いた本を読んだ様子はない。もしかしたら、活字不足の禁断症状が出ているんじゃないだろうか。

「田所さん、大丈夫?」

「え? 何が?」

「いや、なんだか元気がないみたいだから。活字不足の禁断症状でも出たのかと思って」

「なるほど、そうかも」

 そう言いながら、田所さんはやっぱりちょっと上の空だ。禁断症状が出てきたのなら、そろそろ妙なゲームも止めてくれるだろうか。

「美咲ちゃん」

「は?」

 突然、普段とは違う呼び方をされて少しドキッとする。

「有村さんを美咲ちゃんって呼んでた先輩」

 それでその呼び方だったのか。

「うん、志鶴さんのこと?」

「そう。有村さんは、その人のことが好きなの?」

「へ? な、なんで、突然」

「観察の成果かな? なんとなくそうかなって思って」

 恋愛音痴の田所さんに当てられるなんて思わなかった。そんなに分かりやすい態度はとっていないはずなのだけど。現に志鶴さん自身も気づいていない。そもそも志鶴さんは、私なんて眼中にないわけだが。

「別に、そんなことないよ。あの人、兄貴の彼女だもん。だから仲良くしてるだけだよ」

「そうなの?」

 田所さんはまだ納得できないといった顔だったが、私は違うと言い張った。この恋は誰にも知られないまま幕を下ろした方がいいような気がしたのだ。

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