ちゃんぽん
昼すら震えるほどに寒いのだから、夜は凍えるほどに冷え込むに決まっている。それにも関わらず、俺は今日も防寒具を家に忘れていた。
冷たい針の山のように突き刺さる風を切り裂き、チーターすら驚く豪速でチャリを走らせる。耳が千切れるほどに痛く、指先はもう、何も通っていなかった。このままだと本当に死んでしまう、そう思えてしまうほどに寒かった。
点々と立つ街灯に照らされながら、さらに進むと大きな家が見えた。道は知っているはずなのに、漸く家に近づいていることを実感した。あと、少し。と気合いを入れ直し、ハンドルを握りしめた。
普段は誰も帰って来ていない時間の筈なのに、家に光が灯っていた。誰か居るのかと不思議に思いつつ、万が一のことがあるかもしれないので、大きめの教科書をリュックサックから取り出しておく。
「ただいま」
大きな声で宣言するようにドアを開ける。すると、それを待っていたかのように台所から人が出て来た。やはり変な人がいるのかもしれない。俺は理科の教科書をもう一度握った。
「おかえり、遅かったね」
台所から姿を現した人物はばあちゃんだった。今年で80歳になるというのに、老いを知らない元気な人。料理が抜群に上手く、それでじいちゃんを落としたと豪語するかっこいい人だ。
「あんた教科書持ってどうしたのよ」
「何でもない」
「嘘やな。泥棒さんが入って来たとでも思ったんやろ。偉い子やな」
俺の手にある教科書を見て、ばあちゃんは大爆笑をした。「偉い子」と言って褒めたが、完全に馬鹿にしている気がした。
「もう晩ご飯はできてるから、熱いうちに食べるよ」
ばあちゃんは一頻り笑ったあと、「手洗いうがいして、着替えな」と言葉を残して台所へ去っていった。
やっぱりばあちゃんはかっこいい。
「いただきます」
俺は手を合わせる。目の前にあるのは野菜とシーフードがのったどんぶり。それをばあちゃんは「ちゃんぽん」と呼ぶ。そう、今日の晩ご飯はちゃんぽんなのである。
キャベツともやし、人参や玉ねぎ。海老やイカ、ベビーホタテ。色とりどりのかまぼこと茶色のちくわ。麺と汁は一切見えないくらいに、それらが「どん」と丼に鎮座している。
底が見えないので、ひとまず野菜から食べることにする。箸で一掴みしても、まだ汁すらお目にかかれない。
とりあえず取った野菜たちを口に運ぶ。キャベツの食感がしっかりしていて、食べ応えがあるのに、野菜本来の優しい甘みがする。もやしもしゃきしゃきとして、全てが美味しい。野菜たちが新鮮な気がする。
次の出陣では、海老が取れた。冷凍のシーフードミックスに入っているやつであるはずにも関わらず、ぷりっぷりで美味しい。普通にこの海老だけで一品できそうである。イカもコリコリと楽しい食感で、ホタテは噛むほどに味が出てきて、食べるのが楽しみになる。
何度も食べ進めたことで、やっとスープが見えた。
「ばあちゃん、俺の家ってレンゲあったっけ」
「知るわけないじゃない」
「だよね、ごめん」
「いいわよ」
とりあえず食器棚にレンゲを探しに行く。この数秒でも冷めてしまうのかと思うと、少し、席を立ちたくない。けれど、美味しいスープを飲めないのも嫌なので、渋々と探すことを決意した。
「あったよ」
「そう、ならばあちゃんの分も取ってきておくれよ」
「いいよ」
ばあちゃんと俺の分のレンゲをとって、席に戻る。ばあちゃんは俺から貰うと「ありがとう」と笑って、美味しそうにスープを啜り始めた。
「そういや、ばあちゃんは何で今日俺の家にいるの」
「お母さんから聞いてないの?今日は2人とも帰りが遅いから、代わりに晩ご飯作りに来たのよ」
「へえ」
「興味ないなら最初から聞かないの」
それからばあちゃんと、たわいも無い話をして夕食どきを楽しんだ。体育の授業のバスケで、親友がレイアップを決めて、女子にキャーキャー言われたとか、俺はその横でトラベリングをして男子にギャーギャー馬鹿にされたとか。
オチもないくだらない話でも、ばあちゃんはニコニコと微笑んで、そして俺で大爆笑してくれた。それだけで、なんだか日々の疲れとか鬱憤がじんわりと和らいだ気がした。
いつもは仕事で忙しい母さんと父さんを労う為、あまり騒がないようにしているが、こうやって普段の会話をするだけでも癒されるのかもしれないな、と思う。
なんて、難しいことは合っているかもよくわからない。だから、俺はひとまず目の前にあるモッチモチのちゃんぽんを、ずるずると啜ることに集中しようと思う。
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