シュークリーム

 ショーケースの中は、いつでも宝石のように煌めいている。苺の溢れんばかりにのったタルトや、ドレスのように広がるモンブラン、瓶の中にキュッと詰められたプリン。全てのスイーツに夢が詰まっている。


「いつ来ても美味しそうね」

 甘いものが苦手だという彼女でも、このお店に入ったならば、その煌めきたちの虜になる。いつもは冷たく閉ざされている糸目をほんの僅かに開け、色付きのよい薄い唇で形の綺麗な弧を描く。そしてお上品に「ふふふ」と笑うのだ。

「だよね。今日は何にしよう」

 店長の趣味であるレコードから流れるジャズテイストの音楽を、かき消さないようにひっそりと返す。曲はいつだってお洒落で、宝石のケーキに魔法をかけてくれる。


「いらっしゃいな、お嬢さん達。今日はどれにするかしら」

 チョコレートの甘い香りを振り撒きながら、店長さんがやってくる。魔性の女。という言葉が似合う、艶かしいフェロモンを常時発している女性だ。彼女に微笑まれたら、なんだか気恥ずかしくなって目を逸らしたくなる。


「店長さんのお勧めは何ですか」

「そうねぇ、シュークリームかしら。今日はいつもとレシピを変えてみたの」

「そうですか、じゃあそれを二つ」

 彼女は店長さんと話す時はいつも緊張しているのか、冷たくなってしまう。普段から細い目をさらにキュッと締め上げて。それでも彼女は美しいのだから、妬けてしまう。それに、店長さんとお喋りをするその姿が絵画のようで、子供っぽい私では、常に一緒にいる親友として不釣り合いな気がしてしまう。


「そうだ、これ試作品のクッキーなの。味見して頂戴」

 店長さんは、ぼうっと暇そうに眺める私の視線に気がついたのか、クッキーの入ったバケットを渡す。

 透明な袋でラッピングされたそれは、試作品とは思えないほどの出来だ。ツヤっと光るチョコレートでコーティングされた、可愛らしいブラウンの丸いクッキー。それにアラザンのような何かがころんと可愛らしく並んでいる。

 先ほどからずっと店長さんから、甘い匂いがしたのはこのせいか、と納得する。元来チョコレートは媚薬にも用いられていたし、彼女をみて恥を覚えたのも仕方がない。ということにしよう。


「いただきます」

 口に入ってすぐに伝わるのは、人をも溶かしてしまいそうな程よい甘さだった。そしてその上から、鼻を通り抜けてやってくる澄んだフルーティな香り。堪らなく美味しい。

 もう一口食べると、ピリッとした何か刺激を感じる。ツンと突き刺すようで、甘いチョコレートに稲妻を落とした。

 驚きが顔に出ていたのか、彼女がくすくすと笑う。

「黒胡椒じゃないの」

 彼女はそう呟いたあと、平気そうにそのピリ辛クッキーを頬張る。

「黒胡椒なんて、普通はクッキーに入れないじゃん」

「そうよ、普通じゃないクッキーなの」

 私が垂らした文句を、彼女ではなく店長さんが褒め言葉として掬い取る。「よく気づいたわね」と私の頭を撫でるサービス付きで。

 羨ましいのか、私を睨む彼女にドヤ顔をお送りする。


「味はどうかしら?」

 店長さんは、私たちから袋を集めながら首を傾げる。

「チョコに黒胡椒なんて初めて食べました!びっくりしたんですけど、美味しかったです」

「あら、嬉しいわ。私も貴女をみて成功したって思えたわ。お隣のお嬢さんは?」

「普通に美味しかったです」

「お嬢さんから普通って褒められるなんて嬉しいわ。ありがとう」

 

 それから、店長さんからシュークリームの入った袋を貰って店を後にした。これから私達が向かうのは、近所の公園である。

 秋になると葉が色付き、気温も心地よくお喋りをするのに最適なのだ。それに、学生には有難い「無料」で使える場所なのだ。


 「このベンチにしよっか」

大きな桜の木の下にあるベンチを指差して彼女は言う。桜は春になると満開になり見頃を迎えるが、秋のサクラモミジというものも風情があると思う。

 2人でベンチに腰を掛け、シュークリームの入った袋を開ける。


 白い紙袋の中いっぱいに溜まった、甘いカスタードクリームの香りが一面に解き放たれる。「美味しそう」

「そうね、美味しそう」

 2人で顔を見合わせて、手を合わせる。


       「いただきます」


 一口目は豪快かつ丁寧に。大きく口を開けたらそのまま齧り付く。

 口の中にいっぱいに広がるカスタードの優しい甘みと、生クリームの濃い牛乳感が同時にやってくる。生地はそれを邪魔しないような、控えめで素朴な味になっている。


 二口目は生地を楽しむ。ふわっとした軽い食感。けれど、クリームに負けたしなしなとした弱腰のようなものじゃなくて、土台になることを決意したような、そんな味だった。


 三口目、四口目はそれぞれのクリームを楽しむ。

 カスタードは、卵の柔らかくもったりとした甘みが身に染みる。明日からは、是非ともこのお風呂に浸かりたい。

 生クリームは、「牛乳を楽しむ」というような濃厚で、けれどずっしりと重くなりすぎず。つまり、食べ続けても絶対に飽きない味がした。

 

「やばい、これめっちゃ美味しい」

 あまりの美味しさに、勢いよく体を起こして横にいる彼女を見る。すると彼女は鳩が豆鉄砲を食ったように此方を見て固まった。

 驚く彼女に驚きつつも、私はあることに気がついた。何故だか彼女のシュークリームは一口も進んでいなかった。


「美味しから食べてみなよ。甘過ぎず調度いいからさ」

私が「ほれほれ」と、彼女の手を動かそうとすると、押し戻すように彼女が抵抗しだした。漸く意識が戻ってきたみたいであった。

 

「美味しそうに食べてるのが可愛くて、見惚れちゃってた」

頬がほんのり赤くなった彼女の口から漏れ出た、うわ言のような言葉に今度は私が固まる番だった。

「あ、勢いよく食べ過ぎてるから、鼻にクリームついてるじゃないの」

 彼女は、いつもあのケーキ屋さんで見せるあの笑顔で、鼻の頭についたクリームを親指で拭った。そしてそれを、口の中に放り込んだ。

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