醤油唐揚げ

 無機質な機械音を繰り返し鳴らす改札を出ると、吹き付ける冷たい風。それにのって美味しい揚げ物の香りがした。

 そういえば、とスマホを確認する。晩ご飯を買ってきて欲しい。と同棲中の彼女に頼まれていた筈だ。

 それなら折角だし、この匂いを辿っておかずに有り付こう。


 香りだけでご飯が食べれそうな、醤油の焦げた芳ばしさと食欲を刺激する大蒜。

 その根源である厨房はガラス張りで、外から調理工程を楽しめる。黒いTシャツを肩まで捲って汗を拭うお兄さんと、慌ただしく客を捌くお姉さん。店の前には僕と同じように考えているであろう人が4、5人並んでいた。

 普段並ぶことはあまり好きではないが、唐揚げ好きのあの子のためなら、寒い中でも待つのも悪くないと思えてしまった。

 少し遅くなるかも。と手早く連絡を送ってから、厨房を見つめる。

 アツアツに熱せられた油がパチパチと音を立てるフライヤーに、しっかりと衣のついた鶏肉が入れられる。

 入れられた途端しゅわーと泡の音が聞こえだす。油が花びらを開かせるように、鶏肉の周りをふつふつと踊る。

 お兄さんはその様子を少し見た後に、菜箸で少し持ち上げた後にくるりくるりとひっくり返していく。唐揚げは、空気に触れさせながら揚げていくと美味しくなると、唐揚げマニアの彼女が言っていた。

 やはり、この店に決めて間違いがない気がした。

 けれど、揚げ出したほんの数分もたたないうちに唐揚げをフライヤーから取り出してしまった。まだ火が入っているか怪しいと言うのに。お兄さんは唐揚げを適当に並べタイマーを押した。

 何が起こるのだろう。

 僕は彼が何かしでかすのではないかと不安で、彼を凝視する。

 その後すぐに、何かフライヤーのあたりを調整していた。それが終わると、僕に背を向け樽に浸かっていた鶏肉たちを引き上げ、粉を塗しだした。もう彼は放置した唐揚げのたまごをすっかり忘れているようだった。

 けたたましいタイマーの音が鳴り響く。すると彼は手を止め、というより一仕事を終えたようで、手を洗い始める。

 そして先ほどの唐揚げのたまごたちを、フライヤーにもう一度入れ始めた。

 二度揚げだったのだ。完全に盲点である。

 先程フライヤーを調整していたのは、油の温度を上げるためで、唐揚げのたまごを放置していたのは、余熱で中にしっかりと火を通すためだったのだ。

 そもそも二度揚げは時間がかかるから、効率を重視するならばしない方がいい。けれど、このお店はそれをやってのけている。

 いや、唐揚げ店を名乗るならば、するのは当たり前と言っても過言ではないのかもしれないけれども。

 このお店を、また彼女と来たいなと思いつつ、無心で揚げているお兄さんを凝視する。


 僕が彼を見続けていると「お兄さん」とお姉さんが声をかけてきた。僕が彼に目を奪われている間に、お姉さんが客を捌き切ったようだ。

 「ご注文はお決まりですか」

 「こんばんは、醤油唐揚げ10個セットを一つお願いします」

 僕の注文を聞いて、お姉さんの顔が少し曇る。

 「ごめんなさい、醤油唐揚げがあと5個しかなくてですね。今から揚げますと少々お時間がかかりますが、よろしいでしょうか」

 彼女は唐揚げを死ぬほど愛していて、特に醤油唐揚げが大好きだった。

 僕と唐揚げどちらが好きなのか、と聞きたくなるほどに。

 そんな彼女のために待つのは全く苦ではない。けれど、一人きりの部屋でお腹を空かせている彼女を想像すると、僅かに心が痛む。僕は唐揚げにそこまで思い入れはないし、と一つ案を思い浮かべた。

 「あ、それなら醤油唐揚げ5個と塩唐揚げ5個でお願いします」

 「かしこまりました。少々お待ちください」

 僕は一応後ろを振り返った。僕の後ろにお客さんはいない。独り占めしても文句は言われないだろう。

 彼女に会いたい気持ちを抑えつつも、素早くお会計を済ませる。

「こちら、ご注文の品です。お兄さん唐揚げ好きそうだから二つおまけしておきました。もうそろそろで営業時間終わるんですけど、大分残ってて」

「申し訳ないです、ありがとうございます」

「いえいえ、今あいつが揚げてる分も解凍してたお肉を全部揚げ切るためなんで」

 少し困り顔で笑うお姉さんに「ありがとうございます」と、90度のお辞儀をして商品を受け取る。

 そして厨房にいるお兄さんにもお辞儀をする。少しイカつめのお兄さんはいい笑顔を浮かべて手を振ってくれた。意外と可愛いお兄さんだった。

 さて、この美味しい匂いのする唐揚げを1秒でも早く彼女に届けられるよう、急いで家へ帰ろう。冷たく寒い夜の街を、唐揚げストーブを持って走り出した。

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