第14話 サワタリづくしのトミージェイ
トミージェイは大口を開き、熱々のサワタリホットにかぶりつく。それでも、熱そうな素振りはちっとも見せず、こんがりと焼き上がったホットサンドをサクサクと、旨そうに音立てて噛みしめる。ゆっくりと、咀嚼してゆく。まるで、そうすることが人生の一大事だというように、宙の一点をじっと見据え、真剣そのものの表情だ。
その食べ方があんまり美味しそうなので、つい見惚れてしまったアタシたちも、我に返ってサワタリホットを頬張った。けれど、もちろんアタシとユリアのひとくちは、トミージェイのそれよりずっと小さくて慎ましい。それでも、このホットサンドの美味しさは申し分なく、アタシたちの味覚中枢を刺激する。
トミージェイが見つめる宙の一点の先には、ユリアの顔があった。旨いだろ?うん、旨いね。アタシに話しかけたときも、トミージェイのまなざしはユリアから離れない。あれれ、そういうことなの?どうやらトミージェイは、恋に落ちているようだ。そうと気づいたアタシは、いろいろな場面を思い返して合点する。たしかにトミージェイの視線は、いつもユリアを追っていた。それにしても、なんてわかりやすいヒトなんだろ。
ユリアは、少なからず困った様子だ。それでもユリアのことだから、お行儀よく、フツーに気づかないふりをして、フツーの会話をつなごうと努める。心持ち寄り目になって、ホットサンドの中の具材を検分し始める。
「この、中に挟まってるベーコンとタマネギとトマトがサワタリ産だから、サワタリホットって名前がついたの?」
「まあ、そういうことだね。ついでにバターとチーズも、サワタリ産だしさ」
答えるトミージェイの声は、幾分うわずり気味で、妙にカン高い。もはや疑いようもなく、ユリアに夢中の体だ。
なるほどね。アタシは再び合点する。だからこうして、アタシたちを追ってきたわけだ。なんだか、可笑しくなってくる。でも、ユリアは根っからやさしい子なので、笑ったりはせず、トミージェイと会話を続けている。
「へえ。そんなにいろいろな食材作ってるの。サワタリって、意外と大きな町だったりする?」
「いーや。全然デカくない町だよ。けど、田んぼと畑と山と野っぱらは、デカくてだだっ広い。そのだだっ広い中に、ヒトが住む家と家畜の小屋とビニールハウスなんかが、チラホラとあるんだ」
そう言ってトミージェイは、またサワタリホットにかぶりついた。大きな二口目。今度は向かいのユリアに微笑みかけながら、楽しそうに咀嚼する。
残る三口目と四口目のサワタリホットが載ったトレーを、テーブルに肘をついた両腕で大切そうに囲んだトミージェイの姿勢に、アタシは見覚えがあった。それはアタシたち、アタシとユリアが二人きりになる前、時によっては最大十数人の子どもたちが〈家〉にいた頃、たびたび目にした光景だった。
さほど大きくもない〈家〉の中で押し合いへし合い、居場所を取り合っていた、未来のスーパーエリート候補たち。中には、ひときわ抜け目なく立ち回り、他人の食べものを奪い取る子がいた。当然のこと、あえなく奪われるばかりの子もいた。奪われて騒ぎ立てる子、じっと耐える子、いろいろなタイプの子どもたちがいたのだった。
大人の目に触れない水面下で、密かに繰り返されたあの攻防。たとえ食べかけのホットサンドだって、油断していたら〈もっと食べたいヤツ〉に、掠め盗られるのだ。あの場では、盗られたほうがマヌケ、それがルールだった。
三口目のサワタリホットを味わいながら、さり気なく両腕で囲ったトレーを死守するトミージェイの姿勢は、堂に入ったものだ。しっかり身についた感じがする。盗らせるもんか。その意思が漲っている。
どんなところか見当もつかないけど、トミージェイはきっとシセツで育った子だと、アタシは踏んだ。アタシたちの〈家〉みたいに、イビツ過ぎて明るみに出せないジッケンシセツとは、全然違う場所だろうけど。
「ねえキーラ。クルマのこと、トミージェイに訊いてみたら?」
心やさしく辛抱づよいユリアもついに音を上げて、会話の続きをアタシに振った。
「クルマって、オレのクルマのこと言ってる?」
トミージェイは色めき立ち、すかさず身を乗り出したが、その視線はアタシの方ではなく、やっぱりユリアに向いていた。一瞬でも目を離したら、ユリアを見失ってしまうかもしれないと、本気で心配しているみたいだ。
「そんなにベッタリ見張っていなくても、ユリアはどこへも行かないよ、ねえ?」
アタシがちょっと揶揄ったら、トミージェイの前髪に隠れていない頬っぺと鼻の頭が、見る見るうちに赤く染まった。今日も着ているモミジ色のパーカーと、同じ色合いだ。真っ赤になったその顔は、ウソみたいに幼く見えた。
都市間長距離バスのリアウィンドウから見たとき、運転中のトミージェイは小柄で童顔なりに、大人の男性らしい風貌だった。けれども、パーキングエリアの中のフードコートで、こんなふうにアタシたちと向き合っているトミージェイは、せいぜい十六歳くらいにしか見えないのだ。
アタシは軽口を引っ込め、代わりに携帯端末を取り出し、ディスプレイをトミージェイに見せた。〈このようなクルマを知りません〉。例の検索エンジンからの、ギブアップメッセージだ。そんなことって、あるの?訊いてみたらトミージェイは、あっさりと答えた。
「ある、かもね」
アタシは、その発言のイミするところがわからなくて、首を傾げた。仏頂面になってるのが、自分でもわかった。すると、トミージェイの頬っぺと鼻の頭から、モミジ色が見る見る引いて薄まった。自信に満ちた本来の顔色が、じわりと戻ってくる。アタシは続けた。
「だってね。クルマって、メーカーがめいっぱいカッコよく作って、それに似合ったカッコいい名前をつけて、売り出すものでしょ?トミージェイのクルマは、なにが違うの?」
「なにが違うかって?たいして違わないよ。なんせアイツの下地は、ジープチェロキーとトヨタハイラックスだからさ。世界中に数多あるピックアップトラックの中でも、オレはこのふたつがダントツで好きなんだ。
どっちも同じくらい好きだから、どっちかひとつを選べなくてさ。試しにそいつらをミックスしてシャッフルしてみたら、あのツラ構えになった。オレ的には、けっこう気に入ってる。だからまあ、検索エンジンがあのツラを知らなくても、トーゼンというか、全然不思議じゃないよ」
トミージェイは涼しい顔をして、四口目のサワタリホットを頬張り、サクサクむしゃむしゃと咀嚼する。余さず奪われもせず、きれいに平らげることが出来て、いたく満足そうだ。あんまり楽しそうにニコニコしているので、たった今の発言が大真面目かチャラけたおふざけか、問い詰める気も削がれた。それにしても、どうせ法螺を吹くなら、アタシたちを笑わせるところまで、オチをつけてくれたらいいのに。
ユリアに目配せしようとしたのに、こちらを向いてくれなかった。まるで、トミージェイの大法螺が聴こえず、アタシのむくれ顔にも気づいていないみたいだ。何事か一心に集中して、考え込んでいる。
ユリアは食べかけのサワタリホットをトレーに置き、優雅な仕草でグースベリーソーダのグラスを口許に引き寄せた。淡いグリーンのソーダ水が、ストローの中をするすると昇ってユリアの唇に吸い込まれる。ユリアの白くたおやかな喉を、ひそやかに流れ落ちてゆく。
たったこれだけの、ありふれた動作なのに。ほかのだれでもなく、ユリアがすると申し分なく美しい。その上、ほのかに艶めかしくもあるのだった。
「酸っぱいだろ?」
魅入られた様子で尋ねたトミージェイに、ユリアは頷いてやさしく微笑みかけた。それってどっちも、アタシにはとても出来ないことだ。
「でも、美味しい。この味好き。これって、ほんとにグースベリーなの?」
「ほんと、100%。見たことある?グースベリーの実」
「あると思う。縞模様の先っちょに、小さなシッポがついてる実でしょ?」
見ただけじゃない、アタシたちは食べてみたことがあった。〈家〉と〈あっちの山〉との間を行き来する途中で、文字通りに〈道草を食った〉のだ。ほんのり赤く色づいていても、グースベリーの実は、キャッと叫んでしまうくらい酸っぱかった。ユリアだってあの酸っぱさ、ちゃんと覚えているはず。
ユリアは自分からすすんで、トミージェイに話しかけている。
「ねえ、何歳なの?」
「何歳だと思う?」
「十六歳、プラスマイナス、一歳くらい」
トミージェイは、大口を天井に向けて開き、カラカラと笑った。
「それってジョークかい?知ってるだろうけど、この国では十八歳にならなきゃ、運転免許は取れないんだよ。オレ、さっきまで運転していただろ?」
「もちろん知ってるけど、それとこれは別のハナシ。何歳だと思うかって、訊いたでしょ。あたしは十六歳に見えると思ったから、そう答えただけ」
トミージェイは感嘆したように、ホウッと息をついた。そうして徐に、ポケットから丸く平べったいカエルの顔を取り出した。なんというキャラか知らないけど、黄色と緑と縁取りの黒で鮮やかに、愛嬌たっぷりのカエルの顔が描かれてあった。
トミージェイは、どうやら財布らしいカエル顔の丸い頭についたファスナーを開き、指先で中を探って一枚のカードを取り出した。摘まんだカードの両面を、検めるようにしげしげと眺めた後、ユリアにひょいと手渡した。
「オレのパーソナルカード。運転免許証でもある。見ていいよ」
ユリアの指が受け取ったカードを、もちろんアタシも覗き込んだ。アタシもユリアも持っていない、いつかは持てるようになれるかどうかわからない、運転免許証も兼ねたパーソナルカードというID。実物を見るのは、初めてだった。
リツコさんは持っているはずだけど、わざわざ見せてもらったことはない。ニュース映像か何かで、その表面だけをチラリと見たことはあった。大体のカタチとシンプルなレイアウトは、うっすらと記憶していた。でも、それだけだ。アタシとユリアは、本当のパーソナルカードを知らないのだ。
いつかまた、YKセンセイに会えたら(きっと会えるはずと予感している)、忘れずにパーソナルカードを見せてもらおう。アタシは心に書き留めた。
ピントの甘い証明写真のトミージェイは、前髪をオールバックにして縁なしメガネを架け、まるで知らないオジサンのようだ。ピカピカのレンズが光を反射して、目の表情がわからないせいでもあった。前髪とメガネ次第で、ヒトの顔の印象はこんなにも違ってしまうのだと、PRしているような写真だった。
ユリアは生年月日の欄に目を近づけ、読み上げた。
「2012年6月6日生まれ。じゃあ、十九歳なの?」
「そういうこと。十六だったときから、三年くらい経った気がするし」
「ねえ、トミージェイ。この写真、ホントにあなた本人?なんだか、あなたのお父さんの写真を、借りてきたみたいな感じがする」
「ホントにホント。オレ本人だよ。たしかに、この写真を撮ったときは、老けて見えるようにしたけど、〈お父さん〉はカンケイないな」
「どうして?」
「そんなもん、見たこともないし」
「あら…」
なにやら親密そうにお喋りが弾んでいるトミージェイとユリアを尻目に、アタシはテーブルに置かれたパーソナルカードをつぶさに眺めた。生年月日の次に、トミージェイの現住所に注目する。細長い記載欄にびっしりと並んだ、小さな漢字の列。
〈猿渡郡沢亘町大字早渉九十九番地〉。
さっと目を走らせ、読んだつもりになった。長文の一部だったなら、このまま通り過ぎてしまったところだ。でも、記憶しようと思ったアタシは、目に入った漢字を頭の中で音読した。
〈サワタリ郡サワタリ町大字サワタリ九十九番地〉。
そうして、やっと気づいた。この異様に過剰なサワタリ尽くし、漢字表記の違うサワタリの羅列。つい絶句してしまうほど、悪ふざけ感が満杯だった。
それは、〈九十九番地〉についても言えた。だだっ広い農地にチラホラと人家があるだけ。トミージェイはサワタリのことを、そんなふうに言ったはずだ。それほど疎らな集落に九十九もの番地だなんて。あるわけがない。ふざけてる。そうとしか、言いようがなかった。
アタシは目を上げて、トミージェイを睨んだ。
「学校には、毎日行ったの?」
ユリアがトミージェイに尋ねた。
「みたいなところ、だったけど、たまに、行ったよ。わりと最近まで」
睨んでるアタシのメヂカラに気づいたらしく、トミージェイはパーソナルカードを掌で覆い、そのまま掬い取って、カエル顔の財布の中に収めた。
「行って、どんなことしたの?部活とかあった?」
ユリアはまた、トミージェイに尋ねた。(そんなの、ホントに知りたいの?)と、アタシは密かに思う。
「いーや。部活なんてなかったけど。二、三人集まったら、〈読み書きクラブ〉みたいなことしてた」
アタシは二人の会話を小耳にはさみながら、リツコさんの携帯端末に入力する。トミージェイのパーソナルカードに記された、現住所。パーソナルカードは、もう目の前になかったけど。記憶にあるかぎりの、〈サワタリづくし〉の漢字表記を試みた。
〈猿渡郡沢亘町大字…〉次のサワタリがどんな漢字だったか、思い出せなくてアタシもやむなく、トミージェイに訊いた。三つ目のサワタリって、どんな漢字だったっけ?
「佐渡ヶ島の佐渡って書いて、サワタリって読むんだよ」
いささかの迷いも躊躇いも見せず、トミージェイはしれっと答えた。ウソでしょ。それはアタシにも、すぐわかった。その弾みで、思い出した。〈…大字早渉九十九番地〉だった。
国内地図の検索エンジンに入力してみたけど、結果はやっぱり、思った通りだ。〈このような地名は存在しません〉。二度も続けてデタラメな質問を繰り返したので、検索エンジンに悪いことをしてしまった気がした。
トミージェイは意気揚々と、初めてユリアを通り越し、アタシに微笑みかけた。
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